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多重人格もはたからみたら憑依にみえるんだけど

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久しぶりにビリー・ミリガンの映像を観て思った。 これって外部からみてみると、憑依とどう違うんだろう。 自分がチャネラーなどというものを経験しているから、こういうのにはやはり関心がある。 というか切っても切れないというか、何をもって「多重人格」という判断をされるのかに興味がある。 まあそりゃ医療として治す方法があるんだから、きっとなんとかの数値が異常である、とか、医者が判断するための基準とかあるんだろうけど。 これを観てて、なんで多重人格だと判断したかの説明みたいなところで、一番賢い人格の喋り方が、真似だけでできるものじゃないから、というような話があった。 それを観て思い出したのが、以下の話。 ここでは、知らない言語を喋っているという事実から、これはこの人の前世である、と結論づけているけれども、多重人格だという可能性については調べなかったんだろうか。 ビリー・ミリガンの例に沿って考えたら、否定できないんじゃないのかなあ。 それにやはり私の体験から考えられることは、これも憑依だと思う、って話だ。 今まだ途中までしか読んでないけど、蝉丸Pのご本で、瞑想などの身体状況から作り出される環境は、簡単に脳みそを騙す、というようなことが書いてある。 ストレスの多い環境下では、そこからの回避行動として、眠くなったりするんだそうだ。 ずーっとお経を聞いているとか、虐待されているとか、瞑想とか、そういう普通じゃない環境にいると眠くなる、とかがあったら、それは精神がそのストレスから回避しようとして働く自然現象なんだと。 それが脳みその正常な働きらしい。 ビリー・ミリガンは子供の頃からの虐待で多重人格になったという説明がなされている。 この催眠を受けている人だって、もしかしたらそういう状況で、過大なストレスの上でこの人格(番組内では「前世」とされている)を創りだしたのかもしれない、という考え方もできるんじゃないだろうか。 私だって憑依現象みたいになったことは何度もあるけど、それだってストレスの多い状況で精神がそこから逃げるための手段として「憑依」といわれるような現象が表出したといえなくもない。 チャネリングもそのひとつであるといえないだろうか。 チャネリングだって憑依のひとつだもんな。 結局、判断する人の立ち位置で、これは多重

呪われてしまいました

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オタクも長いことやってると、同じような事件が繰り返し起きていることに気づくものです。 たとえば、原作がアニメ化された、というような状況下において、「原作しか認めない」派と「アニメもいいじゃん」派とかにわかれてもめたり、というようなことが起きます。 細かいことをいえば、他にももめる原因はたくさんあるのですが、今回はわかりやすく二つの派閥にわけて考えます。 私はどちらのタイプかというと、どっちでもありません。 例えば原作が漫画だったら、漫画でしかできない表現や作者が描きたいと思っているテーマなんかをなるべく多く受け取るように読みます。 それがアニメになった場合、これはまったく別物だと考えます。 何故なら、制作している人間が、漫画なら数人で描けます(編集さんとか印刷会社とかは別にして原稿を制作するというだけの意味で)が、アニメだと数人ではできないからです。 しかも絵が動きます。音がつきます。時間の制限があります。紙じゃありません。 その他いろいろな物理的条件が、漫画とアニメではまったく違います。 そうなってくれば、それが同じ世界観、キャラクターの物語であっても、まったく違う作品としてみてもなんら問題はないと考えているからです。 制作している側も別の人間ですから、同じテーマを扱っているとしても、それぞれの考え方がまったく同一であることはありません。 当然表現方法もかわってきて当たり前の話。 ですから、漫画とアニメは別の作品としてみるほうが、受け手として幸せになれると考えています。 でもせっかくオタクなのですから、そこをおしてわざわざ「原作命」になるのもまた宿命。 避けられぬ運命なのですなあ(笑) まあそれもオタクの醍醐味ですから、オタクだという自覚があれば、わざとそういう宿命に囚われて、ジレジレしたりイライラしたりするのを愉しむわけで、それが正道なのでしょう。 このようにして、オタクであれば「ああ、この人は原作命なんだな」とわかれば、それ以上つっこまずに、「まあ俺はアニメも中々好きだよ」くらいに言っとけば問題ないのですけれども、これがオカルトになるとどーいうわけか、そうならないんですなあ。 心霊だとかいってる業界ですら、人間の作った世界観でしかないのに。 そのあたりのことは、こないだ紹介した本を読むと、すげえわかりやすく書い

嗚呼もうなにも言うことないわ~

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この中に、私も調べたり、本を読んだり、人から聞いたりしたことが、ほとんど書かれている。 目からうろこというよりも、すっきりした、というか、肯定されたようで、安心した。

関係性に萌えるのである

月に1回くらいはブログ書いとこうかなあ、って思ってるわけですが、そういや今月は書いたっけ? って思って、今、こうして記事を書く前に確認してみたんだけど、なんだ、もう、UFO勉強会のネタ書いてるじゃん。 ああ、ほんじゃあもう書かなくてもいいかなあ? なんて思いつつ、なんだけども、せっかくなので読んだ本の感想でも書こうかと思う。 てなわけで、ようやく読みましたw 実は3月にオカばたで紹介してから、まだ読んでなかったのね。 それなのに、先に こっち読んじゃったんで、まあ、あれだ、うんwww そんなわけなので、一応出版された順番に感想を書いてみようかなあ、などと。 『職業欄はエスパー』ですが、本文とは関係ないところに┌(┌ ^o^)┐<ホモォ(腐女子)が思いっきり食いついてしまいましたw ごめん、うん、すっごく、ごめんww だって「TVタックル」のくだりがさあ、そりゃもう大槻教授×韮沢編集長な私の心のツボを撃ちぬいたんだもの~。そこを外さずにはいられない。矢追の出ないやおい本ですよwww ごめん、とにかく、ここに私がときめいている二人の関係性がきっちき描かれていて、もう、萌えずにはいられなかったんです。(*´Д`)ハァハァ とにかくまあそんなところで、ですねw とりあえず、そんなお馬鹿な私の嗜好はおいといて、内容についてなんですが、これ、テレビで放映された分を観た記憶が少しあったのですが、だいたいそんなところの補足も含めての内容でした。 まあ10年前くらいに出版されているので、それなりに古い感じもするのですが、現実問題として、オカルトを取り扱う基準としては、世間は今もあんまり変わってませんねえ。 そう思って『オカルト』を読むと、また、やっぱり変わってないね、という感じですかね。 でも、この著者の立ち位置って、今の私と同じなので、共感する部分があるんですよね。 とはいえ、ちょっと信じすぎじゃないかとも思ったり。 中間地点というか、この境界部分にいようとすると、どうしてもこうなる気持ちはわかる。 わかるけど、揺れすぎてる気がして読んでいて不安になる部分もある。 中間地点に立っていようとすると、それぞれの両端が何処にあるのか、いちいちその場その場で確認しなくちゃならないので、とてもしんどい。 しんどいんだけど、そうしな

UFO勉強会に行ってきますた

というわけで、実は去年も行きたくてうずうずしてたんですけども、どーにも体調が悪くて動けなかったので、泣く泣く諦めた、という経緯があった UFO勉強会 へ、ついに参加してまいりました(`・ω・´)ゞ いや、もう、なにをもってしても、私だってオタクだと言えるくらいの自信はあったのですが、ええ、オカルトに関しまして。だって ネトラジ もやってるくらいだし、いいじゃないですかっ。 というような儚い自信は、開始早々あっという間に何処かへ飛び去りましたね。 さすがに参加者さまどなたの発表をとってみましても、 濃い 。実に、 濃い 。 一応、私も発表をする段取りでおりましたので、色々ネタを仕込んではいきましたが、リクエストされていたのはこのブログにあります「俺チャネ」だったんですね。 けどまあ、だいたいのところはここに書いてしまっていたので、目新しいことをつけくわえてご披露するようなこともないので、そんなんでいいのかなあ? という不安があったのです。あと、どうしても20分以内に収まらない、というのもあって(笑) やはり、濃い方たちが集まる場所ですから、チャネラーごときの話など、一笑に付されて終わり、だろうと判断しておったことも理由にあげられましょう。 なので、いや、ここはもう、ほら、実地目撃談的な電波をよんよんと発する人としての発言の方が、きっと受ける(笑いをとるのが最優先の関西人気質)と思い、申し訳ないなと思いながら、内容を、わたくしのUFO目撃談へと変更させていただいたのです。 急遽、そんなへんてこな申し出を受け入れて下さった皆様には感謝をいたします。そしてそれなりに受けもしたので、ただありがたく、ほっとしております。 それもこれも前日に、散歩の途中の竹やぶの、筍相手に発表の練習をした甲斐があった、というものです。ええ、筍なら黙って聞いてくれますから。 しかし、生のお客様の前ですと、これまた話が違いますからね。笑いどころを探りつつ。 ってゆーか、どうも関東人の笑いのツボが、昔からイマイチつかみきれないところがありまして。 なんでかもう、とにかく、普段の怪談喋りな感じでやらせていただきましたよ。 ほんと、ほんと、ご静聴くださった皆様、ありがとうございます。関西人は人前で話していても、黙って聞かれるよりつっこまれたいので、次回はよろしくお願い致

押入れの中身

今更ですが、この前、言われてようやく思い出したことがあるので、ここにUPしておきます。  言われたのは数日前だったのですが、今まで綺麗サッパリ忘れていたので(笑)。 すいません、ほんとに。 一昨年、某コンテストの最終選考まで残った奴です。 私が小学生の頃、一度だけ遊んだ記憶のある同級生がいる。 彼は転校生で、いつの間にかクラスにいて、そして知らない間にいなくなっていた。 当時、私の住んでいた町の地場産業は盛況で、働き手となる大人の転入出が大勢あった。 だからそうした『いつの間にかいていつの間にかいなくなる』友達も沢山いた。 私のクラスに彼が転校してきたのは学期中だった。 私と仲のよいYちゃんから彼を紹介された。 Yちゃんの家の近くにある、崖の上に飛び出したように建っている家に引っ越してきたという。 彼の名前はS。 女の子のような名前だった。 Sくんの家の前には工場があり、それ以外は砂利の空き地になっていた。 空き地には、工場で使わなくなった鉄のダクトが放置されていて、フェンスで囲ってあった。 当時の私達には、そのフェンスを乗り越え、ダクトに潜って遊ぶのが流行っていた。 大人達はここで遊ぶのを禁じていたが、子供にはそんなことは関係なかった。 Sくんが引っ越してきたその家も、当然のごとく毎日見ていた。 なんといってもダクトの目の前にあるのだし、目に入らないほうがどうかしている。 だが家の中がどうなっているのか知っている子供はいなかった。 Sくんの家がダクトの目の前にあることがわかると、私はSくんをダクト遊びに誘った。 放課後、ランドセルを自宅に置くとすぐ、私はダクトのある空き地へ向かった。 Sくんはもう家の前で待っていた。 暗くて長くて曲がりくねったダクトを一度通っただけで、Sくんは飽きたようだった。 私達にはジェットコースターとお化け屋敷を足したような、この楽しい遊びも、Sくんにはつまらないものだったらしい。 Sくんは首からぶら下げた家の鍵を出して、中で遊ぼうと言った。 当時、両親が共働きの家庭では、こうして家の鍵を持った子供がたくさんいて『鍵っ子』と呼ばれていた。 私の家は一日中祖父母や両親がいたので、私が家の鍵を持つことはなかった。 Sくんの家は裏が崖になっているので、玄関と勝手口が並んで空き地側にあった。 その勝手口の鍵

尊敬と祈り

いやー、月初めくらいはブログを更新しよう、とかなんとか殊勝な思いで書いとかなくちゃなあ、なんて思うんですけども、このブログは始めてまだ3ヶ月経ってないので、もっと毎日更新とかしなくちゃあかんよね、なんてもね、思うんですよ。 ほいで、昨日はちょっと張り切って朝からネタを考えようとして散歩してたんですけども、それがまああなた、ランドマークにしてた池が見当たらなくって焦ってしまってわんわんわわ~ん♪ で、何が言いたいのかというと、しっかりエイプリルフールだということを忘れていた、という話。 毎年いろんなサイトのネタを見るのが楽しみだし、自分でももちろんやるのも楽しみですよ。 小説サイトをやってたときはBLゲームサイトにしたりとか、まあ色々やりましたね。 でもねえ、これってねえ、前もって仕込むだけの余裕がないと面白いと思えるものができないんですよ。 だから当日いきなり思いついて何かしようと思っても、あの程度のネタが精一杯で、しかも午後からUPして、いったいどれだけの効果があったのか、ってゆー、ね。 まあ、どうでもいいですか。でもそんなことに全力を注ぎたいんです。 皆様には「本物すぎる」とのツッコミをいただきまして、誠にありがとうございます。 フォームの埋め込みを、以前にテストしてたのに、どうやってやるんだかわかんなくなって、単純にリンクはったりとか馬鹿なことをして修正しまくって、ほんまにごめん。 ちゃんとした形にしたら速攻ネタの投稿してくれる人がいて、ほんまに嬉しい。・゚・(ノ∀`)・゚・。 来年はもっとしっかり練るわ。 しかしあの<妙な翻訳調>の文章書いてると、癖になるね。 というわけで、昨日読んでいた本の感想を書きます。 内田氏のことを知ったのは、たぶん、一昨年くらいの『宗教と現代がわかる本』だったと思います。巻末の図書紹介だったか記事だったかは忘れちゃったけど。 それ以降、図書館で借りてはせっせと読んでいます。 なんというか、面白いと思ったから読んでいるんですけどもね、この『呪いの時代』は、なんつーか、ああ、こういうこというアラ還いるなあ、というような感想ですわ。しかし、これもまた内田氏の一側面に過ぎない、ということですけども。 以前も内田氏とどなたかのインタビューを読んでいた時に「李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず

天使のワークショップ開催

うららかな春の日差しと共に、あなたに真実を告げる天使が訪れます。 このワークショップは、あなたの中のほんとうの輝きをみつけだし、その光のあたたかさに触れ、赤い糸でつながったソウルメイトを探すためのプログラムです。 いままでは秘伝中の秘伝としてそのメソッドが表にでることはありませんでした。 ですが、天使たちの求める新たなる未来に向かって、それらを解放する時代が遂にやって来ました。 それを受け取る準備が整った、限定12名様にだけ、このワークショップは開かれます。 ほんとうに、こんなわたしでいいのだろうか? いままでの人付き合いは真実ではない。 未来への新しい希望と、そして守りたい家族のために。 こんなメソッドを、あなたも体験してみませんか。 直に天使との繋がりを持つ、しまゆー先生だけが、日本でそれをお伝えできる、たった一人の存在です。 さあ、あなたも、これらの、あたたかく新しいエネルギーに触れてみましょう。 開催日時、場所、料金などの詳細はメールにてお問い合わせ下さい。 ここで詳らかにすることにより、波動エネルギーを搾取する人々に知られてはなりません。 申し訳ありませんがご了承下さい。 また、なんらかの疾病により治療中の方からは申し込みいただけません。 <p><p><p><p><p>&a

しぞーかケンミンのヌクモリティに癒された話

ありがとう、しぞーか! そして、ありがとう!! もうこの言葉しかでません。 というわけで、久しぶりにしぞーか…ってか地元民じゃないのにしぞーか、しぞーか言ってますんで、わからない人のための説明もせねば、ですな。えー、<しぞーか>とは静岡のことです。 これ、何処から始まったのかは知らないんですが、5年前はもう、しぞーかって言ってた気がする。 とにかく、まあ、そんなしぞーかに行ってきたわけです。 前回は超能力実験の講座のために、SF大会でグランシップ行ったんですけども、そこで『海ぼうず』さんがお弁当売ってて「うおおおお!」って友達と二人で叫んでたんですな。 『海ぼうず』があるのにセッシャーがいない!! ってなwww ちなみにセッシャーとは『 からくり侍セッシャー1 』です。 セッシャーが人間の時バイトしてるのが『海ぼうず』という居酒屋なのです。 なので、SF大会で弁当売るなら、セッシャーがいればいい宣伝になったのに! って思ったわけですわ。ここに集う人々ならば、必ずや一人や二人はセッシャーにはまるに決まってるというのに、マーケティングが足らないぞ! テレしず!! とか、素人二人が騒いでおりましたw まあそんな感じで非常にいい男のセッシャーに会うために、グランシップから駅南銀座に移動した私達だったのですが、SF大会の日は丁度台風が来ておりまして、残念ながら、木製精密機械のからくりであるところのセッシャーは、雨が大の苦手なのですな。 当然、お休みでございました。(´・ω・`)ガッカリ… というわけで、一昨日はそのリベンジに!!!! ……じゃなくて、一番の目的は、『 ふるさと怪談トークライブ in静岡』です。 そのためにしぞーかに行ったのです。しぞーか。 や、大変素晴らしいライブでございましたぞ。もうね、静岡の駅北に行ったのは20年ぶりだったものでね、もうすっかり様相が変わっているかと思っていたのですが、まあお店は変わってるんだけど、あのレンガ道の商店街はまったく変わってないでしたナ。(ナで笑った人はセッシャー通だ) そんなような不純な動機も含めましたところで、今年初の『ふる怪』でござる。 黒木あるじ 氏制作のビデオレターも新作になっておりました。 上映が終わったら、 水銀座 さんの、怪談一人芝居。youtubeで探すと動

文化としては必要

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ペンパルさんがG+で紹介されていた動画です。 まあこれを観て笑い飛ばすのもひとつの行動でしょう。 こういったものはひとつのテンプレに沿って答えていくものだと実感します。 それでご遺族が納得や安心を得られるのなら、その文化にも価値があるのですから、私は否定はしません。 ただそこにはまって周囲に強制するようになると、それは残念な結果が待っているよ、としか、実体験者からは申せませんなあ~、という言動になる。 ところで、テンプレがある、と感じるのは、いろんな霊能者や霊媒師、教祖さまを見てきて感じることです。 何何系のなんとか、とか、本職の方はその答えを聞いてピンとくるものらしいです。 確かに複数こういったものを見聞きすると、その系統があるのがわかります。 現在の私達では、たしかにそれで納得や安心を得られるのかと問われれば、なんだかなあ~、とか失笑してしまったりするしかありませんが、時代や文化圏が違えば、これは遺族にとって大変な癒しになると思います。 必要とする人たちは存在しているでしょうが、この先はそういった人たちもどんどん減っていくでしょうねえ。 全体的に日本が閉塞感で窒息しそうになっている、というのは、スピ系文化にも現れているんでしょうか。こういうのが無駄なのだと省いてきたのが今までの文化ってことでしょうか。 グレーゾーンや緩衝材になっているそのムダ部分、そろそろ見なおさないとやばいのかも。 そんな風に10年前くらいからずっと思ってるんですが、環境はどんどんそれに反して厳しくなる一方ですねえ。( ´Д`)=3

親のため

昔、とある宗教団体の施設に連れていかれたことがある。 とは行っても拉致とかではなく、連れていってくれた人は、私が悩んでいることにたいして何かしらの解決法になれば、と思って連れていってくれたわけだ。 まあ私としては「ネタになる」くらい思っていたことも否定しない。 なにせほら、心霊現象研究家ですから(笑)。 その宗教団体は、見かけが普通の家なのに、中が神社の拝殿のようになっていて、それなのに飾ってあるのが仏像、という、神仏習合的な何かっぽい感じだった。 なんだっけ、ほら、修験道とかだとこういう感じのとこあるよね。でもあれは建物がお寺っぽいところが多い気がするが、まあ神社でも差し支えないんだろう。どっちもありだもんな。 ここでは色々あったんだが、それはさておき(笑)、結構長い間その場所にいたんだ。 合宿生活みたいな感じで数週間、て感じだろうか。夏休みの合宿かなんかっぽい感じ。 その何週間かの間に、でかい集会があった。例祭とでもいうのかなあ。詳しいこと何も訊かなかったからよくわかんないんだけど、その日は信者さんが大勢集まっていたんだ。 その中に、一組の親子連れがいた。両親と娘さんの組み合わせ。 大勢の信者さんが集まって雑談していた所に、すーっと真ん中割って教祖様が壇上にいった。 そこへ、その親子連れの娘さんを呼び出した。 何か新参のお披露目式っぽい感じだった。 そこで何がきっかけだったかよく覚えてないんだが、突然、手を合わせていた娘さんがトランス状態になり、何事かを喋りだした。早い話がチャネリングか。なんか観音だとか言ってた気がする。 そのとき私の興味は、実はそんな他人様のチャネリングではなく、その娘さんのご両親に集中した。 娘さんがトランスってるその横で、お母さんが必死に、小さな声でお経を上げ、両手をあわせて頭をたれ、体中力んでいる状態でガクガク震えていた。 お父さんは娘さんをはさんでお母さんの反対側で、恭しく頭をたれ、あぐらをかいた膝の上に両手を置いて、畏まって固まっている。 そんな光景をみて、自分の実家を思い出したのだ。まるで同じだなあ。と。 滑稽だった。哀れだった。悲しかった。自嘲自責。 自分も必死で親のためにいい子になってたことを、その場で見せられた思いだった。 トランスが終わると教祖様はさっさと自室に引き上

顔が黒く見える

さて、俺テキで<死が近づいている人の顔が黒く見える>という話を書いたわけだが、実はコレ、いまだに続いているのである。 このあとしばらく見なかったので、もう見ずに済むのかなあ、と思っていた。 まあ、こんな出来事があった後に身近で死人が出たことなんて、ジジババくらいなので気づかなかっただけなんかもしれんなあ、てな感じ。 おばあちゃんの時も、おじいちゃんの時も、19歳で死んだ猫の時も、こんなふうに顔が黒く見えることはなかった。 単に「ああもうすぐお別れだなあ」という実感があっただけだった。 その実感も、正確に年月を切って知らされたので、何が実感なのか、それも霊感なのか、私の中ではまったく区別がついていない。 身近なモノが亡くなるのを知るのは寂しい一面、その限られた時間内に精一杯対応しよう、という心構えができるので、私にとってはいいことだった。 人によっては辛いかも知れないけれど、先の顔が黒く見えた人達と思えば、つきあうのが辛いということはなかった。 そんなわけなので、それから顔が黒く見える人達とは付き合わなくてもいいんだな~、なんて気軽に思っていたわけだけど、それもつい数年前にぶち切れられた。 笑い事じゃないんだけど、その時気づいた人達は、今はまだ元気に生存している。 何故顔が黒く見えたかは、理由がはっきりしている。病気だったからだ。 それが治れば黒く見えないので、まあ単なる顔色が悪い、という話だったのかもしれない。 そんな風にして<顔が黒く見える>事態は私の中から遠ざかっていったかに思われた。 ところが、今から2年半ほど前、急に世間が暗くなった。 まさに<顔が黒く見える>状態と同じように、世間が黒くなった。 これは世間が死ぬのか、それとも、鏡を見れば自分の顔も暗く見えるわけだから、もしかしたら自分が死ぬのだろうか。そんな風に思った。 光が届かないところなんかは、本当になんにも見えない状態だったので、病院で色々な検査をした。 結果、つい最近、それが脳梗塞寸前の状態であったことが判明した。 つまり、自分が死にかけていたわけだ。

俺がとり憑かれていた時の話をテキトーにする:8(終)

土曜なので、電話番といっても、平日みたいにガンガン電話がかかってくるわけでもなく、緊急事態に備えて事務所番しているようなものだった。 細々としたことを片付けているだけで済みそうな感じではあったが、急にお腹が痛くなる。 トイレに駆け込んで事無きを得たが、その後も何度も下腹が差し込んでくる。 正露丸を飲んでもまったく効かない。とにかく痛い。鎮痛剤も飲んだが、今度は吐き気までしてきた。 これは耐えられない! と思ったが、フロアには私しかおらず、誰にも伝言できない。 会議室は緊急事態以外誰にも入ることが許されていない。とはいえ、これは緊急事態である。 耐えに耐えてどうにもならないと思った私は、仕方なく会議室の扉をノックした。 扉の一番近くにいた人に声を掛け、事情を説明してなんとか早退させてもらえることになった。 ふらふらしながら着替え、会社の前でタクシーを拾おうとしたが、普段ならいくらでも見かけるというのに、こういう時には一台も通らないのがセオリーなのか。 仕方なく大通りまで出て、交差点でタクシーを停めた。 この時のタクシーは個人タクシーで、とても親切な運転手さんが駅まで乗せてくれた。 そこではうようにして電車に乗り込んだはいいが、次は電車の揺れがひどく体に響いた。 痛みと吐き気とで、それ以上電車に乗っていることはできず、私は途中の駅で降りた。 そこにあったベンチになんとか横になったが、それ以上はもう動けなかった。 ホームにいた客の誰かが駅員さんに知らせたのだろう、しばらくして「大丈夫ですか?」と声を掛けられた。 それからなんとか実家に連絡をとり、父に迎えに来てもらった。 その日はそのまま実家で寝ていることになった。 翌日、嘘のように腹痛も吐き気も収まったので、いったいなんだったのだろうかと思った。 とりあえず何かAさんに関係があるのではないかと、霊能者にたずねてみることにした。 霊能者の答えは、「Aさんが私の体から出ていく腹いせに色々していった。だがもう出ていったから安心」というものだった。 そうなんだろうか。と、ちょっと不安に思ったが、月曜に医者へ行ってみて、異常なしだとわかったので、まあそんなもんかもしれないなあ、と思った。 いなくなったのならそれでいいや、という感じである。

俺がとり憑かれていた時の話をテキトーにする:7

それから1ヶ月ほどして、Tちゃんのバイトするカフェに行くことになった。 ランチも終わって午後のゆっくりした時間のほうが、Tちゃんともお話できるだろう、という目論見で、Kちゃんと二人、そのカフェに出かけた。Tちゃんはカウンターにいた。 「いらっしゃいませ」 こちらに目を向けて微笑んだTちゃんの、その顔を見て私は固まった。真っ黒だった。 Kちゃんはまったく気づかないようで、カウンター席に座ってTちゃんと談笑している。 私は急に居心地が悪くなり、その時何を注文したのか、それは美味しかったのか、そんなことは一切記憶に残らなかった。 ニコニコしながら話しているTちゃんに向かって、何度「何か困ってることでもあるの?」と訊こうとしたかわからない。だが、それを訊いてしまったら、次は私の番である。 その場をやり過ごすのが辛くて仕方なかった。 それから更に1ヶ月後、Kちゃんから電話があった。 「Tちゃんのお葬式があった」 中学からの同級生であったKちゃんへ、Tちゃんの訃報が届いた。別の同級生からの報告だった。 地元にある有名な観光地の橋から飛び降りたらしかった。理由は誰にも心当たりがなかった。 当日Tちゃんのクルマが、橋の袂の駐車場にあったのを近所の人が目撃しており、すぐに警察へ連絡がいったそうだ。(休日でもない時にクルマが停まっているのがおかしいと思ったらしい) 捜索の結果、Tちゃんが発見されたのだと、Kちゃんは教えてくれた。 KちゃんはTちゃんの家に焼香に行くのだが、私にも来るかと尋ねた。私は断った。 立て続けにあった事件で、私は精神的にかなり消耗していたと思う。 それでもバイトは続けなければならないし、会社へ行っていた。 とある土曜日、その日は1日中会議をするので、私ひとりが電話番としてフロアに残された。 同じフロアにある他の部署は全部お休みで、そこにいるのは私ひとりだった。

俺がとり憑かれていた時の話をテキトーにする:6

そんなわけでこれは霊能者に頼るだけじゃどうにもならなくなった。 ここはひとつ、自分の中でも戦わなければ、ずっとこのままかもしれない。 生活に支障が出るのは困る。そして腹立たしい。 毎日毎日私の中でAさんがひいひいと泣いているのが許せない。 とはいえ、どう戦ったらいいのかわからない。 それで無理矢理ひねり出したのが、勧善懲悪法と勝手に名付けた方法である。 それはとっても簡単だが、この時点では有効に働いた。 何故なら、私に死にたい理由がなかったからである。 というわけで、ネガティブな思想は総てAさんの思考であって、私のものではない、と、否定することにした。これが案外上手くいった。 ただ、楽しいことだけ考えるというのも、現実をみればそうそう簡単なことではないのだけれども、このときは完全勝利と言っても過言じゃない。 だけどAさんにとり憑かれていたこの期間は、はたから見てもそうとう具合が悪いとわかるようだった。 ある日更衣室でEさんに「最近、具合が悪そうだけど大丈夫?」と、声をかけられたのがきっかけで、とりあえずEさんにだけはとり憑かれていることを話せるようになった。 現状を理解してくれる人がひとりでもいることが、精神的にも落ち着けて、よかったと思う。 この一件からEさんとはスピリチュアルなことを話すようになった。 霊能者のところで除霊を受けて、自分でも対処して、理解者もできて、そろそろ落ち着きかけてきたころだったと思う。地元の友人Kちゃんから誘いがあった。 久しぶりにゆっくりしゃべろうということになり、モーニングを食べるために喫茶店に向かった。 そこで偶然、高校の同級生Tちゃんを発見した。 TちゃんはKちゃんと中学から同じなので、当然顔見知りだし、私も知っている人物だ。 ひとりでボックス席に座っていたTちゃんと合流し、私達三人はおしゃべりを始めた。 近況を話していたところ、Tちゃんは「実はカフェを経営したいと思っている」と言った。 私は実家が飲食店だし、色々と話がはずんだ。 そしてTちゃんは、当時の地元ではかなりおしゃれなカフェでバイトをしていると教えてくれた。 そこの店主さんはとても親切で、Tちゃんの目標を叶えるために、色々とアドバイスをしてくれていることなど、Tちゃんが頑張っていることをたくさん聞いた。 私とKちゃ

俺がとり憑かれていた時の話をテキトーにする:5

その晩、私は夢を見た。 会社のビルのエントランスにあるエレベーター。朝のラッシュですでに満員。 乗れないので次を待つことにした。目の前で閉まろうとする扉。 社内の人達でぎゅう詰めのその一番奥から、申し訳なさそうにこちらを見るAさん。 エレベーターの扉が静かに閉じる。 「ああ、やっぱり来ちゃったか」 私は夢の中でそう思った。 それから1週間、きちんと3食とっているはずなのに、私の体重は10kg近く落ちた。 さすがにフラフラになって仕事にでかけるのも大変だった。 医者には行ったが原因は特にみつからず、薬も処方されない。 もしかしたら。 他に解決法が思いつかなかったので、両親が信用している霊能者に相談することにした。 うちの両親はその当時、毎週その霊能者のところへ出かけてお祓い? を受けていた。 2~3時間ほどお経を上げてもらうのだが、そのとき私はトランス状態になって泣き出した。 このへんはよくテレビで除霊とかやってるのを観る人もいるだろうけど、あれを思い出してもらうといいかな。まったくあの通りで、なんだかわからないうちに喋りだしたりするのである。 で、その時も、「体調が悪いんですけど医者では原因不明で」みたいな相談をした。 それでお経を上げているうちに、突然倒れて泣いて喋りだしたわけだ。 自分の意識ははっきりしているんだけれども、体がまったくいうことをきかない。 自分じゃない声で、ひいひいと泣いている。 心の中もふたつにわかれているように、このときは感じた。 冷静な自分と、悲しくて死にたくて仕方ないAさんの気持ち。 この時初めて私はAさんにとり憑かれているのだとわかった。 お経が終わってから、霊能者に、以前も母の友人が死んだ時に夢をみて、死ぬ前の顔が真っ黒だったということを話した。だけどおばさんの時のように襲って来なかったから、とり憑かれてはいないだろうと思っていた。というか、おばさんには襲われたけど、別にとり憑かれてないし。 霊能者の答えはこうだった。 「それは単にAさんが控えめな性格だという話で」 そんなわけで、私はAさんとお別れをするために、この霊能者のところへしばらく通うことになった。 完全に切れるまでどのくらいかかるのか、さっぱりわからない。 そして普段の生活の中でも、ふとしたときに、いきな

俺がとり憑かれていた時の話をテキトーにする:4

「お疲れ様です」 とりあえず挨拶はしたが、重苦しく黙り込んだ二人から返事はなかった。 制服を着替えながら、何か言葉をかけたほうがいいか迷っていたが、おもむろにHさんが口を開いた。 「Aさんが死んだ」 私はHさんへ振り向いた。 「は?」 それからあとはBさんが説明してくれた。 昼頃、Aさんの実家から電話があった。 緊急事態が発生したため、至急帰宅して欲しいと、Aさん父からの報せだった。 Aさんは、自分の父親にその理由を尋ねた。 Aさん父は頑として答えなかった。 押し問答はしばらく続いた。 とうとうAさん父は折れ、Aさんに帰宅を乞う理由を告げた。 Aさん母の自死。 電話を切ったAさんは、会社を飛び出した。 Bさん「それから行方不明」 Hさん「ついさっき警察から電話があって」 Aさんは、とあるビルから飛び降りた。 屋上にメモ書きの遺書が1枚おかれていた。 制服姿だったため、すぐに会社に連絡が入った。 Bさんは、「悩み事があるなら相談してくれればよかったのに!」そう怒りをぶつけるように、誰にともなく叫んだ。 「今朝だって、婚約指輪を見せてくれた!」 そうして立ち上がり、Aさんの鍵のかかっていないロッカーを勢い良く開いた。 「私服だってまだここにあるんだよ!」 Bさんの憤りを、Hさんと私はただ見守るしかなかった。 しばらくして『俺チャネ』にも登場するEさんがやってきた。 ただ私はその間も、ひたすらAさんが私のところに来ないことを祈っていた。

俺がとり憑かれていた時の話をテキトーにする:3

この<顔が黒く見える>という現象は私にだけそう見えるもので、他の人にはわからなかった。 そして、私がAさんを嫌う理由も、誰にも明かせなかった。 もし他の誰かに相談できたとしても、Aさんは誰からも認められているできた女性である。 私に理がないことは明白だ。 私の心は、毎日、解決法のない問題と戦っていた。 自分の中だけで葛藤を処理せねばならなかった私は、この頃の精神状態を最悪のものだと記憶している。 それでも表面上は普通に対応しており、まだ若かった私は、これで社会人としての処世術を身につけていったのではないかと思う。 そんなある日、地下鉄への帰り道を歩いていたら、後ろから声をかけられた。 Aさんだった。 「島村さん、☓☓駅?」 「はい」 「じゃあ同じだね。一緒に帰ってもいいかな?」 もちろん、断る理由などない。 「島村さんは彼氏いる?」 「いいえ」 「そう。あのねえ、Bさんから聞いているかもしれないけど、わたし、婚約したの」 「おめでとうございます」 「式は3ヶ月後。あの人気のある式場が予約できたんだよ」 幸せそうなAさんの笑顔が続いた地下鉄までの道のりだったが、私にとっては拷問に近かった。 話のほとんどはあらかじめBさんから聞いていたことばかりだった。 Aさんの彼氏の話と婚約のこと、結婚式の日取りなど、明るい未来へ向けての彼女の語り口は今でも忘れられない。 それからまたしばらく経った頃だった。 仕事を終え、女子更衣室に入った私は、いきなりBさんの喫煙姿を目にする。 隣にはHさんが、同じように足を組んで腰掛け、煙草をふかしていた。 喫煙室でもない場所で、二人は灰皿を持って静かに煙草をふかしていた。

俺がとり憑かれていた時の話をテキトーにする:2

Aさんは実に気さくで丁寧、心遣いが細やかで、当時まだ若かった私には「これが大人の女性というものか」と感動するくらいのできた女性であった。 同じ受付嬢のBさんでさえも、「憧れの女性はAさん」といってゆずらないくらい素敵な女性だ。 ところで、受付嬢のBさんとは歳が同じだったこともあって、割といろんなことをしゃべったり、就業後に遊びに行ったりした。 Bさんが喫煙室に行くときは、私は吸わないのに無理矢理連れていかれてしゃべりたおしていたり、まあそんな感じで仲が良かったといってもいいかもしれない。 ただ、外見オタクな私と、今風にいえばギャル系なBさんが仲がいいというのは、周りからはちょっと不思議がられていたw そんなわけなので、Aさんが素晴らしい女性であることは、普段の彼女からも、Bさんからの情報でも知ることはできた。 だが、ここでひとつ、重大な問題がある。 私は一目みたときからAさんが大嫌いなのだ。 Aさんからはいじめを受けたわけでもないし、普段の行動からAさんを嫌う理由など何一つないのに、私はとにかく彼女が大嫌いだった。 いわゆる「不良が委員長を嫌う」ような、世の中に対して拗ねた気持ちからでもない。 理由はたったひとつ。 彼女の顔が真っ黒に見えたこと。 それだけである。 何故顔が真っ黒に見えるのか、それには理由があった。 彼女があちらの世界に引きずり込まれていることを示すものだ。 これは私の経験上の判断である。 高校生の頃、母の友人の見舞いに行った。 小学生の時に、よく一緒に旅行したこともあり、よく知ったおばさん、という感じのつきあいだった人だ。 母と一緒に見舞いに行ったはいいが、何故か私は入り口の大きな待合室で待たされ、おばさんの病室まで行ったのは母だけである。 待合室のテレビをぼーっと観ながら座っていたら、母と一緒におばさんがやってきた。 病院の寝間着のままのおばさんは、昔の面影もないほどやせ細っており、そのおばさんの顔はAさんと同じく真っ黒に見えた。 だがそんなことを本人に伝えるのはいけない気がして、母と二人でおばさんに挨拶をして家へ帰った。 帰り道、「おばさんの顔が真っ黒に見えたけど、何の病気なの?」と母に訊いた。 おばさんは胃がんだった。 それから数週間後に、私は夢を見た。 高校の教室で友だち数人

俺がとり憑かれていた時の話をテキトーにする:1

というわけで、気晴らしに昔の話をつらつら書くことにした。 色々と反響をいただいた『俺チャネ』の、その前の話になる。 当時、私は某一部上場企業でバイトをしていた。 営業の部署で、PCを使って書類やら統計やらをするバイトだった。 さすがに一流企業なので、自社ビルだった。 いまどきの一流企業だと、受付にはモニターと電話があって、そこで取引相手と連絡をとる、なんていうふうになっていると思う。 だがその当時はまだまだそんなシステムはなかった。 どうでもいい話だが、愛知万博当時の某一流企業の受付には、モニタの横にマスコットキャラクターのモロゾーとモッコリ…じゃねーや、なんだっけ、とにかく森に住んでるあいつらが並んでて、私は取引相手が現れるまでそのぬいぐるみをなでなでしていた。 その会社に行くときは常にぬいぐるみをなでなでしながら相手を待っていたんだ。 他に誰も人はいないので、絶対バレてないと思ってた。 ところが、実は現場をみられていて、取引相手にクスクス笑われていた。 …という事実をだいぶ後になってから聞いた。 まあそんなどうでもいい話はともかく、その当時はまだそういったシステムは導入されていなくて、受付嬢がいるエントランスがあるビルだったんだわな。 さすが一流企業だぜ。 なんてことを当時は思ったものだった。 んで、その受付嬢が、当時は3人くらいいたかなあ。 交代制で常に2人はいた。 受付嬢といえば定番の制服、ってものがあって、その制服は私も着ていた。 なので女子ロッカーでは受付の人ともよく会っていた。 ってゆーよりも、流石に受付嬢だけあって、新しく入ったバイトでも一発で覚えているものらしい。 バイトの面接に1度来ただけだったのに、すっかり顔を覚えられていて、初日で速攻担当部署に連絡してくれて、愛想よく「よろしくね~」なんて声をかけてくれた。 その相手を、仮にAさんと呼んでおこうか。 実に物腰の優しげな、コミュ障なんかとはまったく縁のない女性だった。

音声レイヤーとマナーモード

読者さんチーッス。しまゆーッス。 気づいたら3月になってましたッス。もう春って言ってもいいッスよね。 この先の季節は、女子的にはブラジリアンワックスが気になります。 さて、この前、ちょっと面白い話を仕入れました。 一応ブログに書いてもいいという許可ももらいましたので、ちーっと書いてみるッス。 話してくれたのは、仮にOさんとしときます。 Oさんは、先月の『不安奇異夜話』を生で聞いていたそうです。私はあとで聞きましたけど。 最初のほうは、いたこさんと、らいとまんさんと、りんすけさん? でしたっけね、3人でお話してましたよね。 ほんで、Oさんが言うには、りんすけさんがお話ししはじめたあたりで、何やら男性がぼそぼそとしゃべっている声が聞こえたらしいんです。 あれ? もうひとりメンバーが増えたのかな? と思ったそうなんですが、4人目の男性の声というのは、何をしゃべっているのかまったくわからなかった。 Skypeが混線しているのかな? とか思ったそうですが、よくよく聞いていると、りんすけさんがしゃべっている手前にもうひとつ、音声レイヤーみたいなものがあって、そこでしゃべっているように聞こえたらしいんですな。 そんで、おかしいなあ、聞き間違いかなあ? と、思った。 そのうち、りんすけさんの話の内容が終わったあたりで聞こえなくなった。 あれー? ねとらじの混線かなあ? Oさん、思ったんだ。 けどまあ聞き間違いとかもあるだろうし、それはそれで忘れてしまった。 そのあと、ファンキーさんが参加して、携帯のマナーモードがうるさいとか言い出した。 これ、聞こえないとか、いたこさんは言ってませんでしたっけ? でもOさんは聞こえたらしいんだな。ブー、ブー、って。 だもんだから、Oさん、今日の放送はアタリだなあ、なんて思ったんだって。(何のアタリやねん) ちなみに私はいつも録音を聞いているので、何時頃に終わったのかよくわかってないんだけども、Oさんは最後まで聞いて、それから寝たそうなんだ。 そしたらいきなり金縛り。 「くっそwww おまwww」 とか言ってかなり抵抗したらしい。 が、いきなり額を細身の男性の右手で押さえられた。 そう、金縛り&男にのしかかられている状態。 男は右手をOさんの額にかけ、左手でOさんの右肩を押さえ、Oさんの左足

俺がチャネラーだった時の話する:おまけ

やあやあごめんなさい。 「僕と契約して教祖になってよ」の元ネタがわからないよ! というお問い合わせが来たので、謎を解決したい方はこのアニメをご覧下さい。 というわけで、3月からは番茶こと バンダイチャンネル でも観られるそうです。 全部観てね。最後まで観てねえ~(^_^)/~

俺がチャネラーだった時の話する:13(終)

生理現象(?)的考察 この体験談部分を書いているとき、友達に読んでもらって色々と意見をもらいました。 (ご意見をくださったみなさまに感謝!) その中で、「もしかして腫瘍の痛みに耐えるために、脳が防御機能として天使を創りだしたのではないか?」というご意見に対し、特に興味をひかれました。 いわゆるサードマン現象ではないか? ということです。 スピリッチャルな人々の間ではガーディアンエンジェルとかいわれているアレですね。 人間が生命の危機に陥った時現れるという、救いの第3者。 確かにチャネラーをやっていた3年間は腹痛に悩まされていましたし、その腹痛から逃れるために天使を脳が創造して私の気を紛らわせていた、と考えるのもアリかと思います。 ただ、そうすると、よく話しに聞くサードマン現象とは違う部分がありますよね。 その危機的状況の瞬間だけ現れているわけではないこと。 3年間もずっと出たまんまですし、しかも自分以外の人間にもアドバイスをしています。 これはちょっと違うのではないかと思いますが、考え方としては面白いかと。 腫瘍の痛みを紛らわすために脳が天使を創造した、というのでも面白いんですが、ここはひとつSFぽく、「腫瘍自身が宿主に天使の幻を見せて操っていた」とかどうでしょうか? SFホラーにならないかな? 【まとめ】現在の最終論 さて、現在はどう考えているかというと、まあ人間の主観的な体験ですし、答えはでなくていいと思っています。 このうちのどれをとっても、それはそれでいいかな~、って感じですね。 そして、現在はチャネラーにたいしてどのように考えているか、というと、 サービス業 だってことでしょうかね。 お客さんの求めるものを提供しないと儲かりませんよwww 日本じゃ、ニューエイジからスピリチュアルという流れになってますけど、単なる市場の差別化なんじゃないかなあ。 ニューエイジの中にはエコロジーも含まれてますし、その上にさらに不思議なパワーとかつけとけば、他の商品と差別化できる。 そしてエコがおしゃれ、とか、オーラが女子力UP! とかやっとけば売れますし、いいわけとして「効果には個人差があります」みたいなとこで、あと横文字だし、かわいいかな~、みたいな。 それで上乗せして高めに料金設定をしても売れる、というのなら、スピ

俺がチャネラーだった時の話する:12

こんなバカブログ書いてるのが恥ずかしくなる、 蝉丸Pの名言 を聞きました。 「僕と契約して教祖になってよ」 まさにこれだよね。 Google+でコメントもらったんだけど、コーランて神の一人称は複数形なんだって。 まごうことなき「僕と契約して教祖になってよ」以外のなにものでもないじゃない。 あと、古典英語の王侯は一人称が we なんだって。まあエライ人は一人称が複数形なんだ。 そんなことを知ってまたひとつ賢くなった。ドヤあ\(^o^)/ というわけで、以下考察の続き。 内面的考察 まあ恥のかきついでに、続けて考察を書きますが、もうこんな考察も己を生暖かく見守る気持ちでいっぱいなので、もうどうにもならん気がするが、それでも書くだけ書いとくわw 私は自称文学少女だったので、かなり本を読みまくっておりました。 学校の図書館とか街の図書館とか、児童書の棚は全部漁った! くらいの勢いで読んでた。 翻訳物が好きだったので、読むのはたいてい英米の小説だ。 と、いうことは、ですよ。たとえ典型的日本人の生活をしていても、キリスト教的思想哲学は、エッセンスとしてであってもそこはかとなく、私の脳内に蓄積されていった、と考えられます。 (余談ですが、うちは父方の大本家がお寺で、母方の大本家が神社です。だから躾としては完全に日本的だった) つまり、ごく一般の日本人として、初詣には神社へ参り、お葬式にはお寺さんへ行く程度の暮らしであっても、そこには小説の中からキリスト教的教えも十二分に浸透している状態なわけですよ。 そんな蓄積から、私の内面から天使が顕在化し、ニューエイジっぽい教えをつらつら喋ったとしても全然不思議じゃない。 そう思いませんか。 そんでもって、今、この本を読んでいる最中です。 一昨年だったかなあ、この本、図書館に予約したんですけど、直接購入してもらえなくて、何処かの大学の図書館から借りてくれることになったと連絡が来たんですな。 でも、持ち出し禁止だから、閲覧は図書館内だけに限るけどいい? っていう話だったので、全部読みたい私は断ったのだ。だってどう考えてもφ(`д´)メモメモ...とりながら読んでたら、図書館が開いている時間内に読みきれるわけないもん。 ほんじゃ自分で買うわ! って言いたいとこだけど、その当時はこ

俺がチャネラーだった時の話しする:11

怪談(オカルト)的考察 さて、わたくし、こうみえても、怪談なんぞ書いております。 参考作品をここに紹介しておきますので、お暇な折にでもどうぞ。 原稿用紙にしたら50枚くらいなので、そんなに長い話ではありません。 この話は3つのパートにわかれております。 真ん中のパートは、私の大おばさんの霊が話している、という設定です。 実はこの部分は実話9割です。 書いている最中に「こんな細かい話聞いたことあったっけ? ああ、確かおとんが言ってたかもしれんけど…」と不安になるほど手が止まりませんでした。 いわゆるイタコ書きw その前後の部分はけっこう時間がかかったのですが、真ん中パートだけは一気に、あっという間に書いてしまいました。 なんとなく、今、私、憑依されてるな、みたいなw そんな感じで書き上げました。 書き上げたあとの「大おばさん、これで成仏できるな」という達成感と、「ああ、これでおばあさんは死ぬな」という理解。 実際この半年後、おばあさんは亡くなりましたけどね。 もう40年くらい会ってない人だったから、全然感慨ないの。 だってこのおばあさん、私が生まれる前から「もう死ぬ、明日死ぬ」つって結局99歳まで生きてた人ですから、今更感満載で。 私もかなりひとでなしですし。 そんなような実話怪談ですのでw このチャネラー事件も怪談(オカルト)として考察するのです。 で、何を怖い部分に据えるか、という問題ですが、この場合は天使という存在ですね。 まず、天使は私に天使の形(人間型で背中に翼が生えている)を見せましたが、名前を名乗ることはありませんでした。 これは、その当時は、私が「誰でも知っている宗教上のエライ人を名乗るものは偽物」であると理解していたからでしょう。 うっかり4大天使でも名乗ろうものなら、即座に「お前は偽物だ!」といって天使を排除したであろうことから想像できます。 とはいっても、のちに誰かのセッションで名乗っている録音テープがwww (私に向けてじゃなく、お客様に向けて名乗ってただけなので、多分、お客様が名乗らないと不安になる、と思ってそうしたんじゃないのかしら? とにかく奴らは私には一度もその名前を告げておりません) が、とにかく、まあ、私を操ろうと企んで、名乗らずにいたことは間違いないわけです。 続いて、

俺がチャネラーだった時の話する:10

あとがきのはじめに いやはや、心霊現象研究家などというご大層な肩書きを名刺に書いた手前、なんの研究発表もしていない我が身が情けなく思っていた次第ではあるが、こうして体験談を書き出してみると、色々考えることがあるわけで、今後はそれらについての思うところを記事にしていこうと思う。 とはいえ、研究家などと名乗ってはいても、別に何処かの研究所に所属しているわけでもなんでもないので、市井の素人同人…ん? 研究家でも同人でいいの? とにかく、まあそんなもんなのである。 もしかしてこうして書き記すことで、何がしかのご意見をいただけることがある、というのを、別方面で経験したので、ブログを書くことは悪いことではないとも思っている。 自分の頭の中も整理できるしね。 実はこないだまで血の巡りが悪くて死にかけてたわけだから、今現在すっきりした脳みそで考えてみることが大事なんじゃないかなって、切実に感じている。 そして、その血の巡りの悪い状態でも常に考え、まとめ、己の戦う縁として整えてこなければならなかった現状もふまえて、ここでひとつ研究の発表を、だな。 そんな風に考えているわけでございますですよ、はい。 とかなんとか偉そうに言ってますが、たいしたことはないんですよ。 単なる妄想ですから。 しかしなんだな、記事として9個も書いてる割には、肝心のチャネラー時のこと、実はなんにも書いてない、という自体にお気づきでしょうか。 はい、これはわざとあらすじ程度に出来事をなぞっただけです。 もちろんこれには理由があってそうしているわけなのですが、ここが一番肝心なところ。 私は自分の能力を特別なものであるとか思っていません。 そしてそれを活かして他人様を救おうとか、相談にのろうとか、そんなことを一切考えていません。 もし、それを考えて書くのであったとしたら、瞑想の恐ろしさやスピリチュアル関係者の悪口なんざ書きません。 綺麗な綺麗な天使が言っていたものごとをのみ書き記し、どうだ、私はこんなに綺麗な天使が降りてきて天使を助けてくれ! と頼まれるほど凄い人物なのだぞ! という部分だけを強調した記事を書いていたでしょう。 そして最後に、みなさんも悩み事があったら天使に相談してね☆ こうして信者を増やし、がっぽがっぽと大儲け。 これを狙って書いてないからそう

俺がチャネラーだった時の話する:9

いやー、バナナチップス、美味しいね(・∀・) というわけで、テープはその当時から更に15年ほど遡った昔のものであった。 ひとりの女性がなにやら話している。 Yさんによると、それはその当時Yさんが所属していた、とあるカルト教団でのチャネリングの模様であった。 当時は流石にチャネリングとはいってなかったらしく、天使の降霊会と呼んでいたらしい。 うろ覚えなんでごめん。つーか、Yさん、もしみてたらつっこんでほしい。 天使の降霊会でしゃべっている女性は、つまり天使のいたこ状態であって、チャネリングと同じ。 そしてその声は私にそっくりだった。 しゃべりかたも、私が天使のチャネリングをしているときとそっくりで、しかも内容まで殆ど同じ。 Yさんが私に降りていた天使を信じるのはそのためだ、と言った。 信じる? 私は必要ないと言ったその口で。 信じているのは私ではなく、天使だろーが。 私は完全に人間不信に陥り、まあそれまでもチャネラーであるということで近づいてきた人達にさんざんいいようにされてきた経緯もあり、当時いろいろと家庭や仕事の現実問題でも事件が立て続けであって、さらに輪をかけて人間不信&スピリチュアル不信になった。 霊界とか精神世界とかニューエイジとか、みんな滅びろ! である。 というわけで私のバカなチャネラー生活は完全に終わりを告げたのであった。 さて、次回移行は、この出来事に対する現在の私からの考察、という方向で展開する予定。 結局ここまでは単なる体験談になってしまったなあ。 みなさんも、気をつけて。はまらないでね。 あ、あと、当時も散々質問されたけど、薬とかやってませんからwww わざわざケミカルな力でチャネラーになりたいからってアムステルダム行くと宣言した人がいましたけどね。後付の理由だろ。と、当時も突っ込んだが。 いま、元気、かなあ~。

俺がチャネラーだった時の話する:8

私は自分の「痛あーい!」と叫ぶ声で目が覚めた。 手術室を出る直前のことだった。 最初計画していたより手術の時間が長引いたため、終了直後に麻酔が切れたのだった。 私の叫び声に看護師さんが「お腹切ったんだから痛いのよ」と返事をしてくれたが、私はまともじゃないのでそれにつっこめなかったことが心残りだ。 そんなこんなでひと月ほどして、私は無事に退院した。 それからはもう天使はいないことを公言し、チャネラー活動も辞めたったwww 当然なんだけど。 それでも熱烈な天使信者ってのがいて、その天使信者のYさんから、是非チャネリングをして欲しいと何度も連絡が来た。 私はそれに対して「天使はもういない」こと「チャネラーをやる気はない」ことなどを説明し、断り続けた。 Yさんからは1年くらい、根気よく連絡と要請が続いていた。 私もそのたびにお断りをしていたのだが、さすがに1年も頑張って要請されたので、多少情にほだされるような甘いところがまだあった当時、ついにおれてしまい、1度だけYさん達の集まりに出ることにした。 当然前もって「天使はもういない」こと「チャネラーをやる気はない」ことを散々説明した。 だがYさん達はまったく話を聞いていなかった。 「天使がいないならあなたは必要ない」 正面切ってこんなことを言われたのは初めてだった。 本当にドラマみたいなセリフをいう人がいるのだなあ、なんて思った。 だから散々説明したじゃないかと言っても、何一つ通じていなかった。 そんなことを言われたあとでも、しばらく世間話をしていたように思うが、言われたことが言われたことであったし、かなりショックを受けていたので、何を話していたのかまったく覚えていない。 なので唐突にYさんがカセットテープを再生しはじめたことにどんな意味があったのか、理解できていなかった。 テープの中身は、私には更に衝撃的なものだった。

俺がチャネラーだった時の話する:7

幸せ脳汁に洗脳された私は、この攻撃に耐え切れず、ついに天使のチャネラーになることを決意する。 だがしかし、チャネラーなんていうハイカラな横文字名称だが、それが霊媒だということは承知していた。 世間からみれば頭のオカシイ人の仲間入りをすることになる。 当然抵抗があってしかるべき事態なのだが、この幸せ汁は最強だった。 それでも多少の抵抗を考えつつ、まずチャネラーになる前に、本当にできるのかどうか、それを確かめねばならないと思った。 できないのなら天使にあきらめてもらえるだろうし、とも思った。 私はチャネラーの講演会にたくさん出かけているEさんに、ひとまずみてもらうことにした。 Eさんは喜んで、共通の友達であるMさんと二人で私の家まで来てくれた。 そこで二人を相手にチャネリングの実演をした。 結果、大好評だった。 すぐにEさんはスピツアーで知り合った、とあるライターさんに連絡をとった。 そのライターさんのところまででかけて、私はチャネリングの実演をした。 ライターさんも相当数のスピツアーを経験している人だったが、私のチャネリングを絶賛した。 私はひとさまに喜んでもらえるなら、と決意し、3年間だけ天使のチャネラーになることを承知した。 今思うと相当のお人好しである。 あの頃の俺、バカバカバカ。 それからは、あれよあれよという間に大きな会場でチャネリングの披露、そして個人セッション(二人だけで天使にご相談、とか)も、バイトの休日いっぱいに入るようになった。 このときの広がり方は、ネットがある現在よりも早かった。 そしてでかかった。 ちょっと調子がよすぎると思うくらい、トントン拍子に話がでかくなっていった。 そうして半年後くらいには、私のために会社を起こそうとするHさんという人物までもが現れるくらいの広がり方をみせた。 これ、どう考えてもおかしいよね。 うん、絶対おかしいんだ。 そんなとき、件のでかい事件が起きる。 あの世紀末大事件の年だった。 その後、新しい会社をつくろうとしていたHさんが入院した。 会社で突然の吐血をして救急車で運ばれた。 原因は内蔵にできたでかい腫瘍だった。 Hさんは数ヶ月の入院後、無事退院した。 そんなこんなで月日は流れ、いつのまにやら約束の3年が過ぎようとしていた。 天使との約

俺がチャネラーだった時の話する:6

で、無事に目覚めたわけだ。腹痛もおさまってた。 昨夜は死ぬかと思うくらい痛かったのに、どっか行っちまってた。 それはそれでありがたかったんだが、それからがいけない。 突然、バイト中に脳みそが幸せ汁であふれかえった。 もう何もしてなくても幸せで幸せで、こんな幸福感を味わうなんていままで生きてて初めてヾ(*´∀`*)ノキャッキャ ってゆー感じ。 正直いって本気でヤバいと思い始めた。 天使に憑依されたんだと思った。 前に書いたけど、解決までに2年かかった実話怪談ってのも、憑依された話なんだ。 このときに憑依されたのは顔見知りの人だった。その人が死んでから憑依された。 そのときも今回と同じように、とにかく自分の頭がおかしくなったかと思うくらい、何があっても悲しくて死にたくて仕方なかった。まあ天使は「何があっても幸せ」だから正反対なんだけど。 現実にそう思う必要があるとは思えないときにも急に悲しくなって泣き出したりしてた。 だからおかしいと思って霊能者に相談に行ったんだ。 結局その人が完全に抜けるまでは2年かかった。 だけど、この天使のときはその霊能者に相談に行かなかったんだ。 なぜかといえば、その霊能者はおばあさんだったので、天使だのなんだの言っても理解できないだろうと思ったからだ。 実際にその当時の若者文化の中から、これはおかしいんじゃないか? と説明するのにすごく時間がかかって、結局理解できていなかった、といことが何回かあったから、今時流行りのニューエイジ(当時はスピリチュアルとは言わなかった)な話をしても理解してもらえないだろうと思ったからだ。 今思えば相談しとけばよかったと思う。どんなことでも憑依されるってのはおかしいんだから。 そんなわけで幸せ脳汁のせいで、段々私は天使にだまされていった。 とにかく幸せ(*´∀`*)でしかないからまともな判断ができなくなってくる。 私の後ろでもう一人の私が、ヤバい、危ないと言っているんだけど、その更に後ろから天使が幸せ光線を発していて、表面の私が洗脳されていく。そんな感じがしてた。

俺がチャネラーだった時の話する:5

透明度50%くらいの、虹色の光がイカみたいにグネグネ変色しながら飛んでる天使がいた。 天使の形をした硝子細工(ブリリアントカットで太陽光をプリズム状態)とでもいうべきようなものが。 まあだいたいルネッサンス期の宗教画みたいな感じで、バスの先頭に頭向けてて、ハープのちっさいのみたいなやつを抱えてて、ニコニコ笑ってて水平飛行。 ほんでそいつのでかさがだいたいバスとおんなじくらい。 ちょうど銀行の前を通り過ぎるときだったんで、その半透明の天使の向こうに銀行が見えてたwww さすがにこんなもん見たのは生まれて初めてなので、これはもう完全に頭がいっちゃった状態か、さもなくばお迎えが来た(死神的な意味で)んだろうなー、と思って、盛大にため息をついてバスの椅子の背もたれに、がくっと倒れかかったよ。 実際に実家についてから親に「私、もう長くないかもしれん」と、超うつ入ってつぶやいてしもたwww そりゃそんなもん見ればたいていの人は、自分の頭がおかしくなったと思って凹むよね。 でも、天使からの攻撃はそれからが大変だった。 もーね、一日中頭ん中で、このキラッキラしたあれが色々しゃべりまくるの。 それもさあ、どっかで聞いたことあるような綺麗事ばっかり並べてまくしたてるの。 ほんで私にこの教えを広めろ、つーのよ。 当然抵抗するじゃん? ふつーはさあ、抵抗するよ? だって頭おかしいもんな、そんなの。 で、抵抗しまくったね。たぶん3ヶ月くらいは抵抗しまくった。 だが奴らの攻撃の手は止むことがなかった。 ある日、寝る直前にめっちゃくっちゃ腹が痛くなった。 すげえ腹痛なんだが、もう眠くて眠くてしかたなかったんで、 「もうどうでもいいわ。朝起きて死んでてもいいわ」 そう思って目をつぶったら、自分が井戸の底から空を見上げているような、真っ暗なところに丸い光の穴が空いている様な、そんな光景が見えた。 その光の穴の中から、アニメみたいな色の髪(ピンクとか水色とか)の、綺麗な人達がニコニコしながら私を見下ろしている映像が見えた。 これはもうダメかもわからんね。 私は真剣に諦めてため息をつき、そのまま眠りに落ちた。

俺がチャネラーだった時の話する:4

みんな励ましのコメントありがとう! モチベ上がるwww というわけで妄想……じゃない、瞑想の続き。 先生の誘導に従い私が見たビジョンは、「笑顔で働く未来の自分から『鍵』をもらう」というものだった。 瞑想後、質疑応答の時間があって、みんなは先生に自分たちが見たビジョンの意味を訊いていた。 私は面倒だったので、色んな人が色んなビジョンを見たんだなあ、という話を聞くだけで、質問はしなかった。 それでもそれに対する先生の見解が面白かったし、こういうのを見たらこういう意味、みたいなのが、夢占いかなんかみたいで興味深かった。 帰りにEさんにそれとなく、私はこんなビジョンを見たんだよ、みたいな話をしたと思う。 そしたらEさんは、それは素晴らしいビジョンだ! みたいなことを言った気がする。 なんか今となってはどうでもいいので、どんな解釈だったか忘れたけど、悪いことは言われなかった。 まあ当然だわな。新しい信者増やさないとならん、大切なお試し会なんだし。 そんでその日は普通にひとりで帰った。 次の日は実家に帰らなければならない用事があったので、朝早く家を出た。 実家は駅からバスに乗って5分くらいのところにある。 むちゃくちゃ天気がいい日で、バスに乗っているとぽかぽかしてて、ついうとうとしちゃうような、本当にものすごく天気のいい日だった。 ふと、目の前を、キラキラした光が通り過ぎたように思った。 光は私の右後から、前へ、バスの窓の外に走っていったように見えた。 私はド近眼で、ときどきこうしたキラキラした光が見えることがあったので、またそれだろうと思ったのだが、何かそのときのキラキラはいつものキラキラよりでかかった。 魔法少女アニメの変身シーンでキラキラ光る☆みたいな、あんなキラキラだった。 それが気になって、私はつい、そのキラ☆キラが走り去った方向を向いた。 するとそこにはとんでもないものがいた。

俺がチャネラーだった時の話する:3

貧乏な私でも大丈夫な値段設定とはいっても、バイトで時給をほそぼそと稼いでいた私には、まる1日バイトしないと稼げない額だった。 それでも熱心に勧められたし、興味があったので、結局そのお試し会に参加することにした。 会場は同人誌の即売会でよく使われるビルだった。 今でもオンリーとか小規模なイベントにはしょっちゅう使われている。 迷いもせずにまっすぐたどり着く己のオタクぶりに感動しつつ、その会場へ到着した。 Eさんは会場でサポーターだかなんだか、そんな仕事をしていた。 その他のスタッフもみんなボランティアだといっていたように思う。 そうまでしてこの素晴らしい瞑想法を世界に広めたいのだとか言ってた気もする。 発祥はアメリカなので、それもまあそんなもんかと思うけどね、何しろ、宇宙人から教えてもらった究極の瞑想法らしいから、UFOとか大好きな私は大いに心をくすぐられたのよ。 ここで貧乏をうっちゃって好奇心……いや、宇宙人か、が勝ったってわけだな。 私ももしかしたらバシャールみたいな宇宙人と友達になれるかもしんねーじゃん?(今だからいえる、なれねーよwww) わくわくしながら、何すんのかなあ? って思ってた。 しばらくして瞑想の先生がやってきて、簡単な全体説明とかあった。 それが済んだら実際にやってみましょう、って感じ。 CDから流れてくる音楽を聞きながら、先生がいうような妄想を頭の中で描いていく。 そんな感じだな。 元々そういうことには妙に順応性がある、つーか、自分がおかしいのは自覚してたけど、その突端から、先生が誘導するイメージが簡単に見えた。 つかさ、こういうの、オタクなら割と簡単にできね? だって、オタクの超得意な妄想って分野だよ? それを視覚化するとか、そんなもん漫画描いてた一素人だけど、余裕で朝飯前っしょ? そんなわけなので、先生が誘導するイメージなんか天元突破するくらいの勢いで妄想しまくった。 「未来の自分から贈り物を受け取る」 そんな感じの誘導をされていた。

俺がチャネラーだった時の話する:2

なんか励ましのコメントくれた人、ありがとう。 調子に乗って書いていきますw そんでEさんの海外旅行ってのがこれまたスピ系で統一されてて歪みない。 今月はインドでサイババに会うツアー、来月はバリ島で神の世界を感じるツアー、その次はセドナで大地と繋がるツアー、みたいな感じでバンバン出かけてた。 そんなツアーの中で、別のツアーに別に申し込んでいるのに同じ人に何度も出会ったりとかしてたらしい。 その中で特に仲良くなった人とか、かなりの人数がいたみたい。 旅行のおみやげをくれたり、おみやげ話をしてくれるEさんだから、ときどき、そのツアーで知り合った人達とかなんかとも一緒に、私を招いてくれて食事会とか、スピリチュアルな話をする会、みたいなのをやっていた。 そのスピリチュアル会で、とある瞑想法の話が出た。 ツアーで仲良くなった人が、その瞑想法の先生らしい。 Eさんはそれまでもいろいろな瞑想だとかヨガだとかをやっていたから、当時できたばかりでちょっと珍しいその瞑想法をやってみたいとか話してた。 そして、どういう瞑想なのかというのを詳しく説明してくれた。 専用のCDを聞きながら、先生が誘導する言葉にしたがって瞑想するものらしい。 その瞑想は数日合宿して習得し、全部で数ヶ月かかるというようなものだった。 費用は宿泊費も含めて相当なもので、しかもその場所まででかけていかないとならない。 そんな大金がない私は、たとえ興味をもったとしてもどうしようもないので、ふ~ん、とか、へ~、とか半分くらい聞き流していた。 そんなある日、唐突にEさんからある話が舞い込んだ。 「その瞑想法のお試し会があるから来ない?」 Eさんはいつのまにかその瞑想法を取得し、そのお試し会のスタッフとして働いていた。 そしてお試し会は、貧乏な私でも大丈夫な値段設定となっていた。

俺がチャネラーだった時の話する:1

こんなまとめ読んで面白いと思ったので自分もやってみようかな。なんて思ったった。 アフィサイトのライターしてたけど何か質問ある? だけど、2ちゃんにスレが立つかどうかもわからんし、そこで盛り上がらんかったら収入ないし、そもそも誰にも依頼されてないんだから収入とかそんな話に繋がらんwww というわけで、自分でブログ作ってアフィ貼ったほうがいい、つーことでやってみる。 とはいえ、いちいち商品を検索してリンク作るの面倒w アフィサイトの管理人さんてマメだね。 だいたい、まとめサイトなんて板巡回してそこから抽出してコピペして、その上にアフィ探して貼って、更にライターまで雇うなんて、どんだけ手間かかってんのwww ってゆー。 とかなんとかどうでもいいことでリソース無駄にしてるwww まあいいや、そろそろ本題。 と、思ったけどその前に、チャネラーの説明。 チャネラー=霊媒。以上。 詳しく知りたい人はググれw ほんじゃ始める。 あれは平成の年数がまだ一桁だった頃、私はとある一部上場企業でバイトをしていた。 そこで知り合ったベテランの社員さんと、その会社で起きたとある事件から、スピリチュアル関係の話をするようになった。 この事件はそれだけで解決まで2年もかかったでかい実話怪談なのだが、それはこのさい省略する。 つーか機会があったらそのうちに。 で、この大企業さんが、それまで大手を振って無駄金使いた押していたくせに、バブルがはじけたとたん人員整理する、という名目で希望退職者を募った。 まあ時流に乗って古株の社員を整理したら偉いさんが遊べる金がもっと回ってくんじゃね? ってゆーよーな思惑があったとしても、私には妄想するしかないんだが、その時にそのベテラン社員さん(仮にここではEさんとしておこうか)Eさんも早期退職をした。 私はただのバイトなので早々にクビを切られ、その頃は別のバイトをしていた。 Eさんから「あの会社を退職したのよ」という話を聞いたのはしばらくたってからだった。 Eさんは早期退職で、定年まで務めたときの退職金をもらったので、とうぶんは左うちわで暮らせるらしく、それまでも海外旅行が大好きな人だったが、それからもガンガン海外旅行をしていた。 そんなわけで西洋かぶれだな、という風に私は見ていた。 実際、私のスピ系情報は