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7月, 2021の投稿を表示しています

アスリートが頑張る姿が観衆に感動を与えるのかどうか問題

  アスリートが自分から「俺らで感動しろ」言うの、アレだ、親が「子供は私を選んで生まれてきた」言うのと同じなんや。第三者が当事者を励ますためにかけた言葉を第三者に向かって言うからあかんのや。わかったわ。 — 島村ゆに (@simamura) July 29, 2021 コロナで緊急事態宣言がでてるのにオリンピックをやっているという、なんともいえない事態が起きている。まあ各所にあれこれあってやらなければならん状況だ、というのもあるんだろうけど、ほんとはやらないほうがいいと思うんだよね~。って、多くの人は思ってるけどわざわざ言わないだけだろな、というようなクソ暑い今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?わしは暑さにキレてます。 ってゆーか、普通にニュースと天気予報を観たいだけなのに、テレビの地上波はオリンピックばっかりやっててイライラする。しょうがないので録画しといた怪談番組ばっかり観てるせいでもう覚えた飽きたが増えてきて、これまたしょんぼりするしかない。 スポーツの話題だけすっとばせばいいや、と、ぼんやりニュースを観てみるが、ほぼオリンピックの話題しかない。もう朝食だけに集中して観よ。 とかモグモグしていると、「私たちが頑張る姿が復興に繋がると思っているので」とかいうのが聞こえてきて「は?お前ただ運動しとるだけやろ?具体的に何か瓦礫の撤去とか人命救助とか建設とかなんかしとんのか?」とか思えて暑さが倍になった。 もう、おばちゃんはすぐにカッカしてダメねえ。ピーナッツバターが冷めちゃう(冷めない)わ~。 で、上のツイートに繋がったわけなんだわな。 あ~、これ、あれよ。近所にマラソン頑張ってる高校生の子がいたら、毎朝ストレッチしたり走りこんだりしてる姿を目撃して、朝玄関の掃き掃除しながら「おはよう。今日も頑張ってるね。おばちゃん、元気もらえるわ~」「あざーっす」みたいな会話だったら、別にイラつきもしないんだわよ。 観てる側からの、頑張ってる人に対する言葉だから。 これが逆になるといきなり上から目線になるんだわね。 「おはざーっす!おばちゃん、俺の頑張ってるとこかっこいいっしょ?元気出るでしょ?」とかやられたら、とりあえず返事は「お、おう」しかない。心の中では「何言ってんだこの脳筋が。朝もはよから道路バタバタ走りやがってうるせーんだわ」思ってても、とりあえずは笑

ネットが普及するのをイチからみてきた人たちとスマホしかしらない人たちの格差

 最近はあんまりPVのないところで書くのが気持ちよくてしょうがない。 先日、Twitter(そもそも最近はTwitterとRSSリーダーしかみてないが)で、なにかのイベントのイメージ写真と紹介が流れてきた。それはよくあることだけど、どこでいつやります、とかの詳細がなかった。 なので、興味のある人物が、これはどうやったら観られますか?というレスをつけていた。 すると主催者でない人物からスクショのはられたリプがあり、そのスクショにはURLが書かれていた。 一体どうやってアクセスしろというのだろうか? このURLをどうやって踏ませるつもりなのか? 昨今Twitterを始めた、というのもなんだが、スマホからしかネットに繋がない人たちには、このTwitterをやっていること=インターネットに繋がっているという知識がないのだな。 当然だがURLというものがどういった役割をしているのかも知らない。 ここでこのスクショの詳細を貼った人物がIT関係者でもあれば論外なのだが、多分ごく普通の一般人だろう。でなければスクショで詳細を説明するわけがない。 そんなことをされたら、不親切どころか嫌がらせにしか思えない対応だと感じる老害が私だ。この人は俺に来るなと言っているのだな。せっかく面白そうなイベントだと思ったのに。残念だがリムるしかない。 もうかなり前から、この問題が話題にされている。最近の新社会人はパソコンが使えないだの、アプリはネットではないと思っているだの、とにかく身近に浸透し過ぎて仕組みがわからないアレだ。高度な科学技術は魔法と大差ない、とかいうようなアレ。 ちょっと前ならテレビのなかった我々の祖父母世代が、朝起きて最初にテレビつけると「テレビ中毒」とか罵っていたアレと同じことが、世代格差として起こっている。 それは別に問題ないと思う。科学の進歩が格差を生むのは当然だから。 けど、基本的な仕組みを知って、その膨大な基盤から自分が端末でアクセスしているだけだということを理解しないと、こうした行き違いはこの先ももっとどんどん増える。 そしてその先の若者の数はどんどん減っているのに、若者だけの知識世界で私のようなインターネット老害に対応など、私達の世代よりももっとできなくなるんじゃないか。 市場が狭くなり、規模も小さくなり、そこにいるプレイヤーも観客も減る。若者は全体数が少ないのに、更に

その昔、サブカルとオタクは敵対関係にあったのか?というような個人的な感覚

 このブログは個人の日記みたいなものなので、思ったことを書き散らして残していこうという方向へ気持ちは変換しました。以前は消えてもいいというくらいでいい加減なものだったけど。というわけでなんか思ったことを書き残していく。 私は1980年代は美少女漫画というジャンルで同人活動をしていた。なので漫画家になろうとして投稿していたのも、いわゆるエロ漫画といわれる分類になる。 ある日、持ち込みをしたとある雑誌の編集長さんに「少女漫画を目指したほうがいい」といわれ、私は投稿する雑誌を変更した。そうしたら小さな賞をいただいたので、これで一層頑張ろうと思っていた。 ところが原因不明のめまいに襲われ、以後一切漫画絵が観られなくなる。 この間、この件についてTwitterで、いわゆる脳内の神経に過集中が起こり、そこの回線がショートして使い物にならなくなったようなものだ、というものをみかけた。 理屈としてはそれで理解できるのだが、長年の夢を叶えられるようなきっかけを掴んだ途端のこの出来事で、気持ちの問題としては30年経った今でも納得がいっていない。 諦めたのが1990年だったと思う。その年に国道でひどい事故にあったのでよく覚えている。 大体同時期だっただろうか、M君事件が起きた。彼は特撮ジャンルだった。 当時は理由はわからないがジャンル分けをしていて、実写特撮はサブカル、漫画アニメはオタク、となっていた。 サブカルは、オタクはロリコン(美少女漫画のジャンルの別称として使われていた)で気持ち悪いものだ、と一方的に叩いていた。 時流の言い方に変えれば、サブカルはオタクをいじめていたのである。 実際問題として、例えばコミケ会場などでサブカルがオタクをいじめているのを目撃したわけではない。だが、当時発売されていた、サブカル向けの雑誌は、ほぼこのスタイルをとっていたといってもいいと思う。普通の漫画雑誌などにあるサブカル記事なんかも、大体そういった体裁だった。だから、特に選んでそれを読まなくても、世間の空気がオタクをいじめていた。 そこへもってきてM君事件。時流の空気に流されて、週刊誌の記事では堂々とロリコンのオタクとして報じられた。当然だがさらに勢いがついた。 事件が報じられた当時はすでに漫画家をあきらめていたが、私は仕方なく諦めたので、美少女漫画に対する気持ちはまったく変わっていなかった。なのに社

アネックスビルの閉館

  この記事 を読んで思い出したこと。 昭和50年代、通っていた中学校で一つの都市伝説があった。 それは、中日ビルには緑の魔女と白い魔女がいる、というものである。 私は友達と、その緑の魔女と白い魔女を見に行った。 当時、休日のおでかけは制服で行かなければならず、私たちは全員セーラー服で中日ビルまで行った。 緑の魔女が出没する階は聞いていたので、その階へ行き一回りすると、とあるショップに緑の魔女がいた。そう、緑の魔女というのは単にアパレルの店員さんなのであったが、何故緑の魔女と呼ばれるのか。 それは全身緑色だからなのだ。髪、メイク、ネイル、洋服、すべて緑。 目的の一つを達成した私たちは、あとは白い魔女だけだ! と意気込み、彼女が出没するというエレベータを目指した。 そしてそこまでで私たちの情報が足りないことに気づく。 なんと中日ビルのエレベータは一つではない。普通に正面入り口から入ればすでにそこには6つのエレベータが存在するのだ。その上、南側の入り口や業務用も合わせれば、全部回っている時間などないくらいの数があった。 「白い魔女…どこ…?」 せっかくクソ真面目に制服でやってきたというのに、これでは探しようがない。 アホの女子中学生4人はとぼとぼと帰路についた。 さて、それから10年以上経ち、女子中高生のおしゃれショッピング・ポイントは別のビルへと移行した。それがこのアネックスビルである。東急ハンズが初めて名古屋へ進出した、記念すべき都会的なショッピングビルなのである。 当時私はとある同人誌サークルに入っていた。そこで会員である現役女子高生のひとりがこんなことを言っていた。 学校帰りにアネックスへ行った。エレベータに乗っているとお尻を触られた感触がした。振り返るとそこには女性が立っていた。たぶん何かの拍子に手が当たったのだろう、と思った。 目的の階に着いたのでエレベータを降りると、後ろから肩を叩かれた。振り返るとさっきエレベータで後ろに立っていた女性がいた。女性は「私の家に来ない?」と誘ってきた。 怖すぎて走って逃げた。 というような内容だった。 これ、まさしく、私が中学生の時に聞いた白い魔女のエピソードそのままなのだ。 驚いた私は女性の詳細を聞いてみた。すると、物凄い美人、長髪、白いワンピース、だったとのこと。完全に白い魔女である。しかもちゃんとエレベータに出没してい

三二〇ボードから記事を転載しました

  秋月朗芳 さんが運営している 三二〇ボード から記事をいくつか転載しました。 三二〇ボードはとても軽くて気軽に使いやすいブログシステムです。 使ってみたい方は三二〇ボードの説明を読んでみてくださいね。 昔はネット上から消えてもいいと思って文章を書いていましたが、Google+が消えた辺り(2019年4月2日だって)から、何かちょっと惜しい気がしはじめたのです。 それで、少しくらいは残してもいいかもしれない、と思い、三二〇ボードからブログへ転載することにしました。 ただ、内容として三二〇ボードにあった方がいいと思われる内容はそのままにしておいて、どちらにあってもいいようなものだけ転載していますので、気になる方は私の ユーザートップ を見ていただいてもいいかもしれません。 今後は長文はブログにだけ書くかもしれません。 昨今はnoteが流行りみたいですが、個人的には炎上が多過ぎてあまり安心できないのです。 枯れたシステムというのの良さ、PVが少ない、というのも悪くないと思います。 あとnoteは記事のエクスポートができないので、その点では三二〇ボードも同じなので、今回のように転載しようとすると実にめんどくさい、ということもあります。 このまま自分のアーカイブとして残してみてもいいかもしれない、と、人生で初めて思えるようになったので、たぶんとても歳を取ったのか、はたまた死期が近づいたのか、と思わないでもありません。 ま、どっちにしても今はそう思っているので、そうした、というだけのことです。 個人ブログだから自分の好きにやっていきますよ。

犬の話

野良猫が地面に寝ててドキドキした漫画を読んで思い出した。  20年以上前、私が借りていた駐車場の隣の家に、新しく引っ越してきた家族には年老いた飼い犬がいた。  犬は玄関の軒下に犬小屋を置いてもらっていて、いつもそこに繋がれていた。  私が通るとこちらを見て軽く尻尾を振るので、とりあえず「おはよ」とか声をかけていた。  とある冬の朝、犬はいつものように顔だけ出して小屋に入って寝ていたが、私が前を通り過ぎても目を開けなかった。  犬の頭には少しだけ雪が積もっていた。  かなり年寄りの犬だと思われたので、仕方がないのかもしれない。  通りすがりの私が犬の飼い主に声をかけるのもどうなのだろうか?  しかしひとこと言うべきか?  そう思いながらこの家の玄関前にしばらく立ち止まっていた。  散々迷ったがそのまま通り過ぎることにした。  夕方、駐車場に戻ると、犬は元気に小屋の前に立ち、私に向かって尻尾を振っていた。  とりあえず一安心したが、それから数日後、犬の姿は見えなくなり、たぶん死んだんだろうなあ、という気持ちで、残された犬小屋の前を通っていた。  犬小屋もしばらくしてなくなった。