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2024年1月4日イベント告知 「憑依と霊能者Q&A」

 と、いうわけで、なんば白鯨さんでトークイベントを開催します。 今回のテーマは憑依と霊能者について。 宗教研究者のさむさん、沖縄から神崎英敏さん、名古屋から私が登壇します。 さむさんと神崎さんの前回のイベントでは霊障が発生? 配信が止まるなどの不可思議現象も。今回は私がいるので、更に何かが起こるのか? それとも何も起きないか? それは観ないとわかりません。ぜひこのトークライブをお楽しみください。 日頃の心霊研究の発表でもありますので、研究者ならではの視点や、みなさんの疑問などにお答えすることも。今回は1日2回ありますので、どちらか来られる時間にお越しいただけましたら幸いです。通しでご参加の方にはおまけもあるようです。(私が欲しいw) チケットなどの情報はこちらから。 新春オカルトSP第1部「憑依を考える」 新春オカルトSP第2部「霊能者とは何者か」 よろしくお願いします。

このブログは個人の妄想を書き綴っています

気の毒ではあると思うが、これ、わし個人の場合、表に出るという行為自体に制限がかかるんよね。 だからまあ表に出られる(出させられる)以上はそれだけの返りがある、というか、当にこの業界なら呪詛返しみたいなもんなんよ。 それは個人の性格もあるけど、因縁というか、個人ではどうしようもない年季(因縁と時間の積み重ねという意味で)の流れというか、そういうもので決まっていて、立ち向かって勝てる人と負ける人、どうにもできない人、どうにかできるけどそこまでしかできない人(こういう場合は次に繋がるのでステップとして必要だけど、その時には理解できないから個人の感情としてはモヤモヤしちゃうね)など色んな場合が、段階が、あるんだわ。 それ説明が難しいというか、そういうもんだ、としか言えないので、仮にも霊能者という能力(仕事ではない)を持っている場合は強く出ているように見える。 これは霊能者でない場合、(一般的に霊感がないとか言おうとも)それも同様なので、どこでそれが決まってんだ?!という憤りも感じる。 そういう場合にその憤りを引き受けてくれるのが神というものなのかもしれん。 無関心で無慈悲というわけで、それは大自然というものかもしれん。 宇宙の真理とかいっちゃうのかもしれん。 そういうあっちの世界の仕組みはわしにはなんで?という意味では理解できないが、確実にある、としか今は言うことができない。 その意味で言えば、マスメディアに出ている場合はそういう返りもでかい。 わしはその返りに耐えられないから表に出られないのかもしれない。 表の絶対数が決まってる気がして、そしてそれ以上になると必ず潰される。 面白いくらいにそういうことが数多くあった人生なので、そこはもう潰れた時に、あ、最大数越えたんだ、くらいに思うようになった。 これも人それぞれ決まってることなのでどうしようもない。 諦めるよりも、その中でできる範囲内でできることをやる以外はない。 追記:数字の話。 このブログだとまあだいたいよくて30PVくらいあったら普通なので、たぶんネットでは100PVくらいが、私の場合の安全値だと思われる。 ついで同人誌が、つっても100冊以上売れそうだったんだけど、それ以上になると脳が理解できなかったwので、多分それくらいが上限なんだろうと思われる。 商業出版だと…まあ、てのひら関連のあれに3編採用されたけど、そ

結局自分の世界でしかない、という結論に辿り着いてる

 今年の締めくくりというわけでもないけど、まあ12月だからいいか。 長年心霊関係の書籍など読み漁って至った結論ですわ。 よくある霊能者本てのは、大抵は’大昔の苦労話→能力のせい→能力を活かすための苦労話→俺の教団に来い’というパターン。 心霊研究者(自分で能力がある、ない含め)が長年みてきた経験談。だからあっちの世界は存在する。(なんでそれが存在する証明になるのかわしには理解できん) 客観的体験を綴っただけのもの。(第三者的視点というよりも二人称っぽい感じでもある) こうすれば能力者になれる!ハウツー本。 なんかわからん存在からのメッセージ?かな? 俺の見てきたあるいは考えた最強の霊界。 こんな感じかなあ?と思う。例外として’俺の教団のお経本’とかもあるな。あんまり冷静に’こういう存在からこんなメッセ来たんだけどよ〜わからん。とりあえず読者に投げとく’というものはない?かもしれん。まあ読者が作者の思う通りに理解してるわけではないのでなんともいえんが、正解はないのかもしれん。 そんなような長年の経験上、歴史的に受け継がれている技術的なものは、伝統宗教に集約されとる気がするので、街場の霊能者は ’俺だけが最強の世界’ でいいんじゃないかな、って確信したね。だいたいその霊能者一代限りの話ってのが多すぎる。つかそれしかない。 だからわしの言うことが世間一般の霊能の常識みたいな話と何一つかぶらない、というか一致しないとしても、それは俺だけが最強の世界だからであって、誰もその後を継がなくて正解なのだ。 そういうことを本当にマジで今年から実施してたけど、何も変わらず、わしにあるものは変わらず、そして相変わらずわしが見ている世界が正解である、ってことを変わりなく過ごした。 なので今後もこの姿勢は変えずに、この先も心霊研究を続けていきますよ、っと。 余談:あんまり読者がいなくてうるさいコメントや反応ボタンもない、なにか長文が書けるサイトないかなあ、って思って探しても、結局ブログに戻ってるから、まあそのあたりも、今後はそういうことでここを続けていくだろうと思う。最近エッキスはあんまり見てないし、Blueskyはどんどん時間が伸びているので、SNSの拠点もどうするかわからんけど、それでもやっぱりブログはやってるかもな、っていう。そんな気はしてる。

霊視メモ:キキョウ、カタクリ?

 ことの発端 平成9年 秋頃? 当時私は店をやっていた。両親と一緒に働いていたが、父が「この店には女性の霊がいる」と言う。 確かに女性の霊がいるのは知っていたが、私は特に気にしてはいなかった。 両親が女性の霊がいる理由を知りたそうであったので、女性の霊と交信してみることにする。 女性の霊を私に降ろしてみたところ、女性は「キキョウが…キキョウが…」と言う(私の口を借りて喋る)。その時私に見えていた映像は、小さめの青い花。野草?山中の光景。しかしキキョウと言う割には花の形は違った。時代は江戸期と思われた。女性の袖が見えたため。 全体として女性の主張したいことは以下。 彼女は薬草のキキョウを採りに山に入った(私の店が建っている土地は山を切り開いて作った住宅地である)。その際足を滑らせて斜面を滑落した(本人は崖から落ちたと言っていた)。結果としてそこで死んでしまったのでずっとここにいる。 当時調べたこと キキョウの薬効:咳止め、痰を切る。 今朝のこと NHK BS1にて「 薬草歳時記 」を観る。宇陀の山奥でカタクリを見つけるエピソードが紹介されていた。時代は吉宗の時代(徳川吉宗 在職1716~1745)。 花の写真を観たところ、上記女性の霊を降ろした時に見た青い花の写真にそっくりであったことを思い出す。カタクリの薬効→嘔吐、下痢、胃腸炎。 花の形、カタクリは山奥に自生していた、という内容で、上記女性が江戸期に薬草を採りに山に入る可能性は高かったことを確認。まあこのへんは時代劇にもよく描かれる。 ただし女性の霊を降ろした時に見た花は形がカタクリで色がキキョウであったため、もしかしたら女性は花を間違えて記憶していた可能性が高いと感じていたことの確認ができた。また薬効も、女性は咳止めのものではなく、下痢止めを求めていた気がしていたので、ちょっと不思議に思っていたが、そのあたりも彼女の勘違いで山奥に入り運悪く転落死亡、の可能性高まってきたように感じた。 結論 まあ、俺ってやっぱマジすごい能力者じゃね? とりあえずブログに記事でも書いてメモっとこ。 あとついでに、NHKさん時々こうしてドキュメンタリみたいなやつで俺の霊視を確認させてくれるな。以前も、「どうしても前世を見てほしい」と言われて見た建物が、アイルランドに実在してたのを確認したことがあったしな。やだマジで俺すごい能力者。 自

というわけで昨日の感想文の続き

イメージ
 全体的によき本だと思った。実際のところを書いている。 ただまあ暴いた結果、みたいな話は書いてないけど、それは別の人達に任せるとしてw それでも一本筋の通った、そっちの立場からみたちゃんとした書き方はしてるので好感を持った。 最後に書いてあったところが特に。昨日も抜き出したあたりが一番最後だった。あとの残りは全部参考文献だったので、ここもゆっくり見ないとだけど、ありがたい本だなあ。 ほんでまあTwitterにも…じゃない、Xにも書いたけど、 今ふっと思ったけど、欧米の霊能者って霊能者なんだけど、日本の霊能者って現代魔女なんじゃないかなあ。近い気がする。単独が基本だけど小規模の団体に所属する場合もあり、背後霊が複雑で多様。ほら〜。 画像はジョークなので本気にしないでもらいたいんだけどwそう考えたら情報交換と交流のみでも成り立つのでは。妙なカルト教祖にならないようにお互い情報交換は必要と思うので。そこは大事なんじゃないかなあ。反社会的になっては意味がない。文化の一部にならないと、と思うなあ。 とか思うので、躍起になってどうこうせんでもいいような気もしてきた。 わしも一応は さむ占 (小規模団体)所属なわけだし、みんなで頑張ってこ!みたいな感じにはもうなってるしな。 メモ: 日本スピリチュアリスト協会

読書メモ:『近代スピリチュアリズムの歴史 心霊研究から超心理学へ』

まだ途中ですが(分厚い)あまりにもいいこと書いてあるのでメモというか引用というか、いやむしろ私の体感にものすごく近いのと、外国の霊能者(大雑把にくくるけど)のことは知らないのでためになる。自分用にも誰かにもぜひ聞かせたい部分をここに書いておきます。 日本のスピリチュアリズムの問題点 要約:社会とのかかわり方の違い(重要←) メモ:日本は閉鎖的。土台は霊能者だが守護霊とか支配霊とか霊界の指導者によって導かれる。 総称、背後霊。(この辺、こないだツイキャスでさむさんとえびさんが話してたとこの私の疑問点でもある)欧米に比べて複雑多様。霊能者はほかの霊能者について知らない。自分の背後霊が唯一無比。排他的、独善的(まあねw)。他の霊能者には無関心。(はいw)  少し霊力を発揮するようになると、支持者や追従者が「取り巻き」となって「先生」と呼び、 はいはいはいはい(激しく頷く)  別格な存在としてますます孤立化する。自分こそは神様(仏様)に愛されその言葉を伝達する選ばれた存在であると思い込むようになり、いわゆる「教祖」になりやすい。   これは彼らが、人の覗き得ない、自分さえもわずかに手元か足元しか見えないような世界にすんでいるからでもあるが、そのために他の霊能者の住む世界を覗き見ることができず、自分の背後霊の素性や能力の範囲などを知り得ないことから起こる。 どうしよう、まったくもってその通りです。とにかくここらへんがあまりにも首がもげるほど頷くしかない。詳しくはこの項目だけでも読んでほしい。いや、全部読んでほしいんだけど。 次からはこの本読んでない人の相談はお断りしようかな?っていうくらいだわw このあとも、欧米の霊能者の場合が書いてあり、私が常々思ってる安定というか、自分より上の存在の一本化というか、自分の手足だけ観てフラフラしない理由というのも書いてあって、そこを私は感じ取ってて現在を選んでいる部分なのよ!って、こちらも首がもげるほど頷くしかない部分なのであった。 まあともかく今読んでいるあたりがあまりにも自分の経験上の部分と合致するので、これは素晴らしい書物である!みたいになってるな~。もっちっと客観的に読まねばならんのだが、それでもこれだけでもものすごい当たり感がある。 他にもちゃんとした歴史の流れもわかるので、とにかくこれはいい本だ。というメモだけでも書き残しておか

トークライブ後の一人反省会その2

 8月19日のライブの一人反省会の続き。というのと気づいたことメモ。 こないだ、普段から見える異次元(霊とは限らないので)と、病気の幻覚と思われる天使の見え方の違いについて尋ねられたので答えた話。 通常見える場合はAR、と答えたのだけど、それは自分で見える部分をコントロールできる、というところが近いかな?と思ったからだ。 何が違うって、現状ARはスマホを介さないとできない。スマホのカメラを通して実在の場所をまず背景として使用する。その上でアプリが別の画像データをレイヤー表示し、レイヤーで表示されている画像はコントロールができる。ピンチアウトしたりズームアップしたりできる。 これが一番大事だな。 レイヤーで見ている画像が異次元のもの、という確認ができること。その解像度が変えられること。これは自分がARを見ていると確認できること、スマホを介していると理解できること。その機能としてカメラやアプリがあること。こういう異次元と自分の間に技術が介されていると理解していること。 ここが一番大事だ。その大事な部分は自分でコントロールできる。これを修行で会得するんだわ。っていうの、実感した。 で、幻覚かもと思われる天使の場合、まず見ようとすることを自分でコントロールできない。 見えるものを自分で選べない。聞こえる話を自分でコントロールできない。 あ、ARの時(通常時)は自分が質問しない限り向こうから話しかけてくることはまずない。あったらヤバい奴と判断するので。 そして見ているもの聞こえているものが今後マジで起こることなのか、現在実在しているものなのか、そうした確認がとれないんだわ。後からでも「それマジでありました」とか「実際起こりました」ということがわからない。だから出来合いのCGなりAI作成画像だったりと同じで、こちらが弄れない。ここが一番でかい違いかもしれん。 例えが全部デジタル技術で申し訳ないが、自分も例えるのに一番わかりやすいのがこれなので仕方なし。まあここを読まれる方がわかるかどうかはともかく。

エンタメは適度に利用する

 わしがチャネラーを辞めた時は1996年年末か1997年年始くらいだったと思う。 その時はまだまだ信者がいて、個人相談をやってくれと言われ続けてた。 けどチャネリングのソース(天使)はとっくの昔(多分1996年の10月後半くらい)にいなくなってた。 つまりわしはわし自身の言葉でしか個人相談できないわけで、それでもいいならやるけど、と散々言ってきたのに、いざそうなったら「天使の言葉じゃない。あなたは不要」と言われた。 これでやる気がそがれない(うつ病にならない)のならほんとうによくできた人だけど、わしはそうじゃなかった。 とりあえず樹海に行ってみるか(目的はソレ)と軽い気持ちで高速を走らせていたら、知人が近所で暮らしているのがわかり、そこで暫くお世話になった。 その後は普通に派遣で仕事した。パソコンができる人でほんとうによかった。 それから、日本公開は2000年の3月だけど、映画『ロードオブザリング』三部作にはまった。 理由は単純にオタクだったから、とも言えるけど、原作は高校生の頃に読んでる(けどうろ覚え)し、テーブルトークロールプレイングゲーム(TRGP)の特にファンタジー系やってたし、ゲームブックも通ってきた世代。はまらないわけがなかった。 そして主人公とわしは誕生日が同じ。主人公は強大な力の誘惑(世界の王になれる。わしの場合は教祖になれる)にうち勝って指輪(わしの場合はチャネリング能力)を破棄する。そして日常に戻る。 主人公に自分を投影して気持ちをなんとか切り替えることができた。 本来の正しいエンターテイメントの利用方法の一つではなかろうか。 こうやって自身の体験ではないが、現実に問題としてふりかかってきている精神的な問題を、エンターテイメントを利用して解消したからこそ、わしはなんとか生きている。 けどまあ映画のラストはアレだよね。結局生きている限り理解者はなく、己の正当性も担保されない。誰もが欲しがる素晴らしく強い魔法の力を破壊したんだから、一般人からみれば悪魔よ。(だがその一般人が強い魔法の力を制御できると思ってんのかね?) だったら、自分だけが自分を理解してとりあえず死ぬまでは生きていこう。そう思った。 この能力は誰のものでもない、わし自身のものである。 それだけでも十二分にわしには利益があった。そういう素晴らしい映画だった。 エンターテイメントの力という

バシャールはフリー素材か?

 イベントにお越しくださった皆様、当日の配信をごらんいただいた皆様、ありがとうございました。とても楽しいひとときを過ごさせていただきました。 配信アーカイブ は9月2日までご覧いただけますので是非どうぞ。 ところで、タイトルの話なんだけど、私はバシャールとなんとかチャネリングしたかったのに天使が来た、というあたり、言われてみればなんなんだ?と。 バシャールって本家の人以外にもたくさんチャネラーがいたんですよ、当時。 だから当然バシャールを呼べばうちにもバシャールが来るものだと思ってた。 コンタクティって一人の宇宙人が一人の人にしかコンタクトしてない事例が多く、あんまりあっちこっちに同じ宇宙人が出てきて色んな人にコンタクトする、ってない。あっても聞いたことない。まあウンモ星人は色んな人に手紙出してるけど。 当時はウンモ星人のことは自分は知らなかったと思う。 だからお手軽に色んな人のところに来てくれるバシャールを呼びたかった。多分動機としてはそんなとこだった。 コンタクティは(一応)直に宇宙人と会わないとコンタクティじゃないのかもしれなけど、チャネラーは宇宙人と精神で交流すればなれるわけだから、チャネラーくらいならなれるだろう。という動機も、まだいいとして(だいぶ寛容だが)。 で、チャネラーになったんだから当然だけどバシャール呼び出せるよね?って話にはならなかった。呼んでもないやつが来た。 なのに、本家以外の人達の言うには「うちにもバシャールが来ると思ったら来た」とか言うんだよねえ。いいなあ、どうやってんの?ここ昔から疑問。 ま、それはさておき、今回話してて初めて思ったことがある。 もしほんとにバシャールが存在するのなら、多くの、本家以外の人とチャネっても、別に問題ないわけだよね。著作権者じゃないとチャネっちゃだめとかそういう話じゃないもんね。現実の人間として存在するならバシャールの自由意思が尊重されるもん。 だから呼んでも来ない場合もあるわけで、それはなんの不思議でもない。ほんとに存在するならね。(実在が確かめようもないもんな) だからまあそれをフリー素材って言っちゃうのも、ずいぶんとバシャールに失礼な話だよなあ、という反省はする。するけども。するけども、だ。 バシャールはフリー素材。そうとしか思えん。

【イベント】霊媒とバシャールと私【告知】

 2023年8月19日土曜日 イベントタイトル  霊媒とバシャールと私 開場 18:45 開演 19:00 終演 20:30(予定) 料金 2,000円(D別) 出演 島村ゆに(元チャネラー) さむ(宗教学研究者) 場所 大阪 なんば白鯨 というわけで、詳細はリンク先をご参照ください。 多分2年ぶりに現行スピリチュアルの悪口を言う(笑)トークライブです。 ツイキャスでの配信(有料)もある、予定ですが、詳細は会場へお問い合わせください。 私がチャネラーデビューを公にしたのは大阪なので、原点に戻ってチャネラーとは?みたいな話を中心にしていきたいと思います。 さむさんも詳しい人なので、めっちゃオカルトオタク的な内容になるかと思われます。 詳しくない人がわからないところは質問していただければ、わかるように説明しますよ。 折角なので現役当時(1994年~1996年ごろ)の知人とかが来てくれたら嬉しいと思いますけど、たぶんこの名前(「島村ゆに」はペンネーム)で出てもわからないですわね。 とはいえ天使のチャネラーで大阪でやってたのは、一部白装束以外他に知らないので、まあ、適当に、アレじゃないかな?(どれ?w) 終演後はBAR営業の白鯨でおしゃべりしてます。 ではだいたいそんな感じで流れに任せて、よろしくお願いいたします。

オカルトの定義?っぽいアレでおもしろいなあ、とおもったこと

 TO。(懐かしの表現) これだけではなんなので、じゃなくてなんのことかと説明しますと、昨今は科学技術がめちゃ進歩して、ちょっと前の科学でも最新の科学から否定されてしまう、っていう話。 んで、その最新の科学から外されたちょっと前の科学がオカルトになってしまう、という理屈らしいです。 検証とかそういうのじゃなくて個人の感覚の話だと思うけど、Twitter(年寄りなのでずっとこれでいくつもり)で流れてきた。 確かになあ、と思う気持ちがわしにもあるので、ここはオカルトのキモチとしてメモしておく。 ここんとこ色んなあれこれがあってSNSがとっちらかってるし、あっちこっちに登録しはじめたのでプロフィールに追加しておきました。pixivとカクヨムにも登録してるけど、これは今後更新する予定はないので省いております。 メインにするのはブログで、あとはSNSて感じかなあ。まだ定着するSNSは決めてない。

バチクソのネタバレかもしれん

 バチクソが上映されているせいか、ちゃんと精神病なのかどうなのか見分けて対処している、とかいうのがよくTwitterに流れてくるんだけど、大昔からやってんのよ、あの業界のまともな人は。 そういう システム構築 と情報の蓄積ってのがあの宗教にはある。他のとこにももちろんあるんだけど、中央集権みたいなとこがないんだわな。それは言える。(一部あるところもあるにはあるんだけど) でもってあれの優秀だと思うところは、オカルト的な要素の事件も少なからずある、ということの示唆と、現実問題を解決すれば精神病でもない事実はあるんだけど、それが権力側の罪であれば結局のとこ隠蔽されるんで、エクソシスト側の清廉潔白さの必要性というか、組織の透明化というか、その指摘もある。ってとこかなあ。 オカルト的な要素ってのは実際に悪魔がいるとかいないとかの話ではなくて、わしなんかもそうなんだけど、バチクソでは98%は精神的な問題で2%はわからん、みたいに言ってたけど、わしの個人的な体感では1000件相談があったら1つくらいはそうかもなあ?っていう感じ。まずない。 となれば、儀式をしてやれば安心するだけの心理学的な問題か、ほんとの精神病か、現実的な問題で疲弊しているだけなのでその解決法を示唆する、のどれかになる。 まあ人生経験がそれなりにあってこその問題解決能力とでもいうか、経験の少ない者が「えい」ってやってなんとかなる問題じゃねーのよな。 そういう表現としてもバチクソは、ベテランおっさんと若気の至りのバディものといえばいいし、上手いこと表現と、暗示というか示唆というか、ちゃんとしてるなあ、と思える部分でもある。(エンタメなんでこまけえこたあいいんだよ) けどまあどこの世界にも読解力のない人ってのはいるもんで、占いでも霊能でもお祓いでもエクソシストでもなんでもいいんだけど、オカルトに自分に都合のいい答えを求めてる人は、相談しに行った相手が自分の欲しい答えを言わないとキレるわけである。 こちらとしても恨まれてもいい気はしないのでそれはほんとにお断り。 お前らの言うキラキラスピ沼の浅瀬でぱちゃぱちゃキャッキャうふふしとれ。こっちくんな。 またバチクソで勘違いした馬鹿が相談に来ないことだけ祈るわい。

心霊関係のここんとこ思うところ

 私は10年以上前に脳梗塞をやったわけだけど、第六感的なものはまだ残っている。 何故第六感と書いたかというと霊感とかはなんか違う気がするんだよな。 一般的には霊感=幽霊を見るだけど、それ言ったら私は幽霊を見ない。 だから第六感のほうが近い気がする。セブンセンシズ(小宇宙<コスモ>を燃やせ)でもいいぞ。 ということを考えていると、第六感って脳の機能ではないんじゃなかと思える。 じゃあ何?と言われると、そこはまだわからない。 あと、取り憑かれたとされる人は常に「これは自分の思考なのか取り憑かれたものの思考なのか」という判断をしなければならないので、そこに過集中を起こして脳の機能が壊れたんじゃないかと思わないでもない。私の場合は、だが。 だから脳梗塞でその判断をする機能の部分がイカれちゃったんじゃないかな?と。 絵を描きすぎて自分の絵を見ると吐く、ってなっちゃったくらいだから。 あんまり脳みそを使いすぎると早くイカれちゃうんだろうなあ。

Twitterがあれなので心霊関係と告知はこっちに集約することにした

 思ったことは書いておかないと忘れるし、書くことは大事だからブログを更新するように心がける。いつまで続くかはわからないけど。 というわけで、タイトルの通り、心霊関係の考えとかまとめとかはブログに書く。 それと告知(イベントとか同人誌とか)もブログの記事にする。 SNSは続けるつもりだけど、どうなるのかまったく見通しが立たないので現状維持であっちこっちにアカウント作っておいとく。気になる人はフォローしてください。 一応mixiもあるけどあそこは知人限定。Mastodonは誰でもフォローできるようにしたけど記事は1週間で消えるから注意。Instagramもあるけどどれくらい使うかは不明。noteもアカウントはあるけどこちらも頻度は不明。Tumblrもあるよ。 ともかくSNSアカウントも全部「島村ゆに」でやってるので検索して出てきたらフォローしても構いません。よろしく。

どういう対応をとるかといったら基本は無視しかない

 昨日は呪物に関するあれこれのトークライブに行ってきました。 地道な取材や呪物取得に関する興味深いお話が聞けました。 それは大変におもしろかったのですが、一つ疑問がわきました。 ヌガザカさんがお持ちのインドネシア?の剣。聖剣、ということで魔を切る剣とか、そんなような説明でした。(よくわからんしどうやってググればいいかもわからんので) 客席からぼんやりと眺めていたのですが、ふいに「あれ私も作れるなあ」と、そんな風に感じました。そしたら、その剣は鍛冶屋さんが作るのではなく、この剣を作らねばならないと感じた人物が作るものだ、という説明がありまして、大草原不可避でございますわ。 こういうのってねえ、あれよ、操られてるのよ、あっちの世界から。 まあ解釈の違いっていえばそうとも言えるんだけど、ともかくこういう風に感じるのはあっちからの操作なのよ。安易にのっちゃだめなのよ。 これがもし万が一でもほんとにそれをやることになれば、嘘みたいに物事がスムーズに進むので、それも一つの目安にはなるんだけど、そのスムーズに進んだ先に何があるのかも見極めないと、大変にひどい目に会います。(強い意志を持った瞳で訴える) そんなわけなのでここにちょいとメモしておきます。 朝からTwitterの取得制限とかがあって阿鼻叫喚だけど、今後こういったメモ的な感想でもブログに書き残しておこうかなって思う程度には私も混乱しているのだわ。 だってちょっとしたことならTwitterに書いておいたほうが楽だし便利だったのに。 だからといってMastodonとか他のところには書きづらいってのが不思議な感じもするんだけど、ブログにわざわざ書くようなことでもない、というか、長文の記事として残しておくようなものかわからない欠片の書き出しみたいなことがTwitterではできていた。 それも今後はできなくなるのかもしれない。 他人と意見を交換しあって自分の意見をまとめていく、とか、そういう使い方もできなくなっていくのかしらねえ。mixiが昔のTwitterの機能だけをまとめてくれて、シンプルに使いやすい感じに変更されたらいいのになあ、って、昔から思ってるけど。 もうTwitterも14年使ってるから生活の一部になってるわよね。ガンジス川だとしても生活の一部ならそれはなくせないわ。どうなるのかわからないけどさみしいわ。

現時点での疑問点まとめ

 Twitterでぶつぶつ書いていて疑問点がいくつか出てきたのでとりあえずまとめておく。 トランスになる時のナチュラルの場合と薬を使った場合の違い 憑依と前世の違い あんなにもはっきりと映像に映るのは幽霊ではなくないのか? 自分の妄想と外からの情報なのかの違い こんなとこかな? 1について。 某有名人が外国で薬物を使用してトランスになり霊媒状態となった記録の音声を聞いた。その音声からは私が体験した霊媒の状態のときとは明らかに違うと感じられる部分があった。ただしこれは私の体験とその人の体験という狭い範囲での結果でしかない。そして違いは薬物を使用してからのトランスに入ることと、単にトランスに入ることである。薬物がどのような違いを生むのか、または使用しない場合との違いを計測できるのかどうか、探していくしかない。 2について。 1の有名人がトランス状態で語ったことが前世だと判断されたのだが(トランスの状態を観ていた人によってだったか、それを起こさせたシャーマンによってなのかがよくわからんけど)、これは以前にもテレビで観て違うと感じていた、催眠術により異言が発生しそれは催眠術にかかった人の前世であると催眠術師が断言した事例にも同じことが言える。私の体験からすると、霊媒になっている状態でそれが憑依か前世なのかはわからない。だが、完全に自分の身体を別のなにかに貸していることだけははっきりとわかる。それだけでその別の何かが前世なのか憑依なのかの区別はできないので、喋った内容を精査するわけだが、ここでなぜ前世だと判断できるのかが私には理解できない。そのため区別する必要を感じている。 3について。 某有名芸能スタジオの映画を観てものすごく思ったことである。あんなにもはっきりと映像として映るのならすでに幽霊とは言えないのではないか、ということ。吉田会長もTwitterでつぶやいていたけど、映像に映るということは物理的に存在しているということだから幽霊ではないのでは? 何か別の名称をつけるか、その存在は異世界から何故か繋がった現世界へ移動していて現世界の映像記録機材で撮影が可能である、と考えるほうがいいんじゃないか。 このあたりはなんとかなるのであれば、霊媒として方法を探してみてコンタクトを取るとか、なにかできそうな気がしないでもないのである。もっと専門的なことを別の角度からたずねてみるこ

さむ占オカルト研究所

  さむ占オカルト研究所 に顧問として参加することになりました。 メンバー紹介の詳細 はこのブログに書かれていることのまとめでしかないのですが、改めて見るとマジでやばい人にしか見えませんねえ。 とはいえ、オカルトに寄ることなく現実的な話しかしてませんので、さむ占サイトをよく読んでいただきますとご納得いただけるかと思います。 けどわし別に科学を信じてるわけではないので。だってテクノロジーは信仰じゃないですからねえ。そこだけはちょっと(笑) まあガチの心霊相談なんかまず来ないので、わしの出番はないと思いますわ。 何か話してスッキリしたい、みたいな感じで占いをご利用なさるとよいかと存じます。 どっちかというと、なるべくご相談者さんの不安を除き現実的な解決方法を示すような感じですんで、いきなり恐怖感を煽って何かを売りつけたりはしません。 そのあたりはわしも海千山千なので、伊達に年は取ってない。 というわけで皆様よろしくお願いいたします。

【読書感想文】白装束集団を率いた女 千乃裕子の生涯

  個人の感想です 一番最初にこう書いておいても誤読する人はいる。 なのでこの記事を読んでどのような感想を持っても自由ではある。だがそれを私に押し付けるな。 ざっくりとした経緯 私が千乃正法会を知ったのは1998年とかだったかもしれない。正確には覚えていないけど某公営団地のポルターガイスト騒動があるよりは前だったから、まあだいたいそんなもん。 それまではGLAは「H井K正がゴーストライターをやっていた」という情報しか知らなかった。 私は10代の終わりごろからとある霊能者の元に通っていた。親がその霊能者のところに通っていたのでついでについていっていた程度なのだが、その親が通うようになった理由が私の虚弱体質ゆえであった。なので、まあ半強制というか、自分も好奇心があったし、虚弱体質が治るのなら通いたいという気持ちがあった。 そこでたまたま何かの霊が降りるようになり、歌ったり喋ったり身体が勝手に動くという常態になり、霊能者や周りからもてはやされるようになった。 そんな経緯もあり、20代になったころ知り合った人と、そうしたオカルトめいたことを話すようになった。その人がたまたまニューエイジ運動に詳しい人だったため、瞑想法などの話を聞くようになった。その人はその後瞑想法の先生になった。 その人経由で、バシャールという宇宙人とチャネリングをしている人物が来日するということも知る。バシャールの講演会にも行った。 1970年代の子供だったし『UFOと宇宙』や『ムー』を読んでいたこともあって、UFOコンタクティというものになりたい、というような気持ちも持っていた。それが瞑想で叶うかもしれない、というチャネリング。私は宇宙人とコンタクトがとれるのならと、瞑想法を習うことにした。 ところが瞑想を始めたとたん現れたのは宇宙人ではなく天使だった。 一番初めにその天使の幻覚を見たのは1994年5月だったと記憶している。それより前に瞑想法のお試し会があってそれに参加していた。その後日、用があって実家に帰る途中のバスの中で、バスの斜め前方を虹色に輝く巨大な天使が飛んでいたのである。 当初「遂にお迎えが来た」と思った。その当時は腹痛で倒れるのが常態となっていたためである。 それでどうしたものか悩んだのだが、残念ながら私の周りにはオカルト肯定派しか存在せず、誰に相談しても「そのまま天使とコンタクトするべき

いまさらなにを?!薄皮あんぱんシリーズの謎に迫る マンデラ効果を超えた先

 というわけで、去年暮頃「薄皮あんぱんの数が減る」というニュースが私のタイムラインを賑わせた。年々小さくなるカントリーマアムという話もあることだし、失われた30年だか40年だかそういう話だろ、くらいにぼんやりと流していたのだが、なにか、こう、引っかかるものがある。 そう思いながら日々過ごしていたあるとき突然思い出したのだ。 薄皮あんぱんは6個入りであった と。 最初のツイート。 https://twitter.com/simamura/status/1602236671809888257?s=20&t=BeDQOHDG_QcJHY_NhZzPPg 2022年12月12日にこうツイートしているが、特に誰からの反応もなかった。 やはり私の世界線は薄皮あんぱん6個入であり、他多数の人々には最初から5個入の世界線なのだろう、というような諦めにも似た感覚に包まれたが、いや元菓子屋のカンが言うのだ。 絶対に6個入りであった と。 その時に何故検索しようと思わなかったのかというと単にめんどくさいと思ったからだが、やはりいつまでたってもモヤモヤするのも腹が立つので昨夜やっと検索してみた。 そうして見つかったのがこの知恵袋記事だった。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q107745915 この記事は2006年3月22日。ということはその時点では6個入りであったということだ。しかもこの投稿者は「薄皮じゃなくなった気がする」とも書いている。 そう、たしかに私も初期の頃の薄皮感がまったくなくなって普通の感じになったなと思っていた。 ここでちょっと製造過程を説明する。実際にその場で働いたわけではないが、元菓子屋としての考えだ。 業務で作るあんぱんというのは皮の重量、あんの重量は最初から規定の重さがある。例えば皮5gあん15gというように。お気づきだろうがこの皮の重量で薄皮か厚皮かが決まる。 だが手作りじゃない。こうした製品は当然機械が自動的に作るものだ。そこで機械の性能などによって皮とあんの配分が違ってくる。これは機械のクセみたいなもので、皮の粘度などによってあんを包めなかったりするのだ。 そういうこともあって皮のギリギリの薄さが決まってくる。初期の頃の薄皮感がなくなってきたのは、皮の配合を変えたか、機