押入れの中身

今更ですが、この前、言われてようやく思い出したことがあるので、ここにUPしておきます。
 言われたのは数日前だったのですが、今まで綺麗サッパリ忘れていたので(笑)。
すいません、ほんとに。
一昨年、某コンテストの最終選考まで残った奴です。

私が小学生の頃、一度だけ遊んだ記憶のある同級生がいる。
彼は転校生で、いつの間にかクラスにいて、そして知らない間にいなくなっていた。
当時、私の住んでいた町の地場産業は盛況で、働き手となる大人の転入出が大勢あった。

だからそうした『いつの間にかいていつの間にかいなくなる』友達も沢山いた。
私のクラスに彼が転校してきたのは学期中だった。

私と仲のよいYちゃんから彼を紹介された。
Yちゃんの家の近くにある、崖の上に飛び出したように建っている家に引っ越してきたという。
彼の名前はS。
女の子のような名前だった。
Sくんの家の前には工場があり、それ以外は砂利の空き地になっていた。

空き地には、工場で使わなくなった鉄のダクトが放置されていて、フェンスで囲ってあった。
当時の私達には、そのフェンスを乗り越え、ダクトに潜って遊ぶのが流行っていた。
大人達はここで遊ぶのを禁じていたが、子供にはそんなことは関係なかった。
Sくんが引っ越してきたその家も、当然のごとく毎日見ていた。

なんといってもダクトの目の前にあるのだし、目に入らないほうがどうかしている。
だが家の中がどうなっているのか知っている子供はいなかった。
Sくんの家がダクトの目の前にあることがわかると、私はSくんをダクト遊びに誘った。
放課後、ランドセルを自宅に置くとすぐ、私はダクトのある空き地へ向かった。

Sくんはもう家の前で待っていた。
暗くて長くて曲がりくねったダクトを一度通っただけで、Sくんは飽きたようだった。

私達にはジェットコースターとお化け屋敷を足したような、この楽しい遊びも、Sくんにはつまらないものだったらしい。
Sくんは首からぶら下げた家の鍵を出して、中で遊ぼうと言った。

当時、両親が共働きの家庭では、こうして家の鍵を持った子供がたくさんいて『鍵っ子』と呼ばれていた。
私の家は一日中祖父母や両親がいたので、私が家の鍵を持つことはなかった。
Sくんの家は裏が崖になっているので、玄関と勝手口が並んで空き地側にあった。

その勝手口の鍵を開けるSくんを、私は少し羨ましく思った。
勝手口が開くとSくんは、蹴り飛ばすように靴を脱いで中に入った。

中は六畳ほどの和室で、勝手口のすぐ左側にはシンクがあった。
シンク側は板の床になっていた。
私が立っている勝手口のたたきの右側は、半畳ほどの押入れだった。
私は細い板の床に座って靴を脱ぎ、たたきにそろえて置いた。
すると、今は私の左側になっている半畳の押入れの戸が、音もなく開いた。

押入れの戸は手前に引く扉になっていて、それが、すーっと私の方へ向かって開いた。
初めは人の足が目に入った。

押入れの中に人の足。
その足はしわしわだった。
煤けたような、焦げたような色をしていたが、しっかりと押入れの床に立っている。
私は上に向かってゆっくりと視線を動かした。
骨の浮き出たすね、ごつごつとした膝。

筋張った太もも。
おしめのような布。
両側にだらりと下ろされた手、腕。
べこりとへこんだ腹。

一本ずつ数えることが出来るほどの肋骨。
鎖骨。
それから細いしわしわの首が見え、骨の上にすぐ皮が乗っているだけの顎が、ほんの少しだけ下がって口が開いていた。

そしてその老人の、大きく見開かれた目は、私に背を向けて積み木で遊んでいるSくんへ、飛び出さんばかりにして向けられていた。
そのとき私の頭に浮かんだ言葉は、「ああ、この家は、おじいさんを大事にしまってあるんだな」だった。
Sくんに注がれていた老人の視線が、やがてゆっくりと私に向かって動き始めた。
そこで私の記憶は途切れた。

その日の次の記憶は、自宅で家族と夕食を食べているところから再開している。
どうやってSくんの家を後にし、どうやって自宅まで戻ったのかわからない。
それについでSくんの記憶も、それから以降まったくない。

どうしたものか、いつの間にか、Sくんは私のクラスからもいなくなっていた。

程なくして、これと同じようなことが、私が住んでいた家でもあった。
当時住んでいたのは、庭を通り抜けないと便所に行けないつくりの古い家だった。
庭に出る扉のすぐ横に納戸があったのだが、その、普段はちゃんと閉まっているはずの納戸の扉が、その日の夜は半分開いていた。
私は便所に行こうと、庭に出る扉の前に立った。そこで納戸の扉が半分開いているのに気づき、何気なく納戸の中を見た。

納戸の中は私達のおもちゃや洋服がしまってある。
その箪笥の上に、当時買ってもらったばかりだった絵本『ベトナムのダーちゃん』みたいな、笠をかぶったおじいさんが座っていた。

うずくまって座り込んでいるそのおじいさんは、Sくんの家で見たおじいさんと同じ、しわしわで骨だらけで、裸でおしめみたいな布を巻いていうずくまっていた。
やはり皺だらけの口はほんの少しだけ開いていて、見開いた目で何かを凝視していた。
私はすぐにおじいさんから視線をそらし、庭へ出る扉を開け、便所で用を足し、部屋に戻って眠った。

これを書きながら思い出したことがある。
小学生当時の私は、何処の家でも、『おじいさんは押入れにしまっておく』ものだと思っていたことだ。
遠い親戚の家に行った時、その家の子、Mちゃんにもそう教わったような記憶がある。
Mちゃんの家はとても大きくて、蔵や工場がひとつの敷地内に、中庭を挟んでいくつも建っていた。

Mちゃんの部屋はその中の一角で、母屋は中庭を挟んで更に向こう、というように随分と離れていた。
その母屋で法事があって、祖父に連れられて行ったのだと記憶している。
たぶん、子供達だけで遊んでいるように言われて、私はMちゃんの部屋にいたのだ。

だがMちゃんが、何か大事なものを自慢げに「見せてあげる」と言い出して、Mちゃんの家の蔵まで連れて行かれた。
そこで、赤くてピカピカに輝いた、木目調の櫃、とでもいうような大きな箱を見せられた。
Mちゃんはそこに「おじいちゃんをしまってある」と言った。
そしてその蓋をあけ、三角形の小さな布をつけた、経帷子のおじいさんを見せられた。
そんな記憶がずっと、子供の頃の私にはあった。


そんなわけで、某さま、楽しんでいただけましたでしょうか?

コメント

  1. オタナサマかも…。姥捨てしなかった老人を匿って生かし、亡くなった後は納戸で祀るという伝承。間引かれた子供を祀る事も有るとか無いとか。

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    1. 情報、ありがとうございます。
      興味深いですね。調べてみます。

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