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幻視は自分が集めてきた情報の集積

 たまたま発見した このツイート の一文に首がもげるほど頷いてしまったのでメモ。 私は情報処理を学んでいたし、オタクだったから中二病にも当然罹患していた。 なのでチャネリングのソースが天使であってもなんらおかしくはないのだ。 そして比喩がすべてIT系になるのも当然なのである。(それはチャネラーをやっていた当時から感じていたことではあった) ということは、私が学んだ霊能者が「本を読んではいけない」という意味もそこなのだな、というのは理解できる。つまり、余計な情報を仕入れたらそこで霊媒が表に出した情報の信憑性が失せる、ということなのだろう。(実際にすべての情報を遮断なんかできないんだから本を読まなくてもいい、というわけにもいかないと思うけどさ。社会生活していくのになんの情報も得なければ生きていかれないんだもん。どこかの石油王に囲われて何もしなくてもいいなら別だけど。それはそれで精神がいかれそうだ) とはいえ、このようなオタク的情報の集合知をもってしてもそこからの情報だけでは得られないこともたまにはあるのではある。まああんまりそこに拘ってもしかたないほどの少なさだからなあ。常にn=1みたいな結果ばかりではあるのだ。心霊現象なんか追っかけてると。 ツイキャスでも言ったけど、やはり最低でも2人が同じ結果を持っているのでなければ、それをエビデンスとして扱ってはいかんのじゃないか? しかしまあこういうこと話すと否定派とか懐疑派とか言われて話にならんからなあ。 ビリーバー側の人と情報とか意見の交換をしたくても、あっちに嫌われるの、難しいね。

年齢による棲み分けはほんとうに必要なのか問題が重くのしかかってきた一年であった

 まだ終わってないけどな。 まあ月一くらいではブログ書いとこう、くらいの気持ちではいるんだけどネタがなくて困ってる毎日です。ツイキャスもやりたい気もするんだけど、そうそう心霊スピリチュアルネタは転がってないのよ。そもそも足洗って20年以上経ってるし。 ほんでまあタイトルのことを書いておこうか、と思った次第。 今年ほんとに頭からこの話題を散々っぱら見てきてねえ、何度も「わし、ここの客だとみなされてないんだな」って実感しておりました。ここには来ちゃいけない年寄りなのだと。 まあ実感はあるので別にいいんだけど、こちらとしてはネット上なら年齢の棲み分けなんて昔から気にもしてなかったんだけど、昨今はそうでもないの? もしかしてのポリコレと同じで価値観をアップデートしないとやばいやつなの? ってなってまして、かなり自分の中で悩んでいる部分ではあるのだった。 ほんでまあ自分が若い頃とは比較しちゃいかんのだろうけど、色々考えてみてるところなんですわ。実生活はともかくおいとくとしても、趣味の活動とかでの年齢による棲み分けなんかしてたんだろうかと。 主に同人活動とスピリチュアル方面だけどさ。 あ、関係ないけどスピリチュアルといえば、Twitterプロの専門選ぶとこに霊能者とスピリチュアルがあるってのが個人的にうけた。 話戻して、自分は特に年上だから年下だからとか考えずに活動してたんで、世間でいうところの「50代は若者文化に入ってくんな」がまったく理解できんのよ。 昔のあれ、広告代理店が煽ってくるタイプのやつなのかなあ?くらいに思ってたんだけど、そうでもない、客商売やってる側からこれ発信してるのいくつも見てさあ、まあ主にTwitter上でだけど、そんなに年齢限定して市場狭めてどうすんの?って気もするんだけど。 現在の私には正解がわからんのです。 究極的に言ってしまえば、50代を相手にしたくない、というだけの個人の感想を主語でかくしてるだけなのだろう、という気もするんだよね。そうでもないの? 若い子に話を聞く機会がないのでまったくわからんのだけど。個人差が大きいだけだと思うんだよなあ。 あと女子なんかはクソ鬱陶しいジジイに声かけられてて断る口実にしてるだけ、という気もするし、なんだか正解が見えない。 もし本当に50代はいらない、と、私に向かって遠回しに言われているのなら、こちらとしてはおも

【感想】やっぱ自分に都合のいいものしか、人間て選ばないよね~

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  そんなようなわけで、やっぱブログを書くのが一番マシかなあ、と思うような感じ。 コメント欄閉じられてるので感想を書きたいと思っても、TwitterのDMで、とか言われてたのでそうしてたんだわ。 だけどもお忙しいとこにわざわざお返事いただくのもなんだなあ、と思って、ちょっとこっちで書くことにした。 これ、以前に知人のE氏から聞いて知ってたんだけど、そのE氏でさえもがセクハラだから、とかなんとか言ってたように思うやつだった。 そらまあ限定的過ぎるもんなあ。これがもしBとかLとかだったら男性向けのメソッドになるんだろうけど、男性はあんまりスピにはまらないし、スピ教祖になりたがる男性は全部(偏見)ハーレムの主を目指すからなあ。 そう考えると個人的には納得のいくやつなので、こういうのにはまるのはそういう女性なんだろう、としか思えないわけだけど。 そういやあyoutubeでも手かざしでイクとかいうような動画が上がってますな。気功だとかなんとかゆって。わしゃどこぞのスピリチュアルAVか?!と思いましたわ。 けどE氏も、自分が理想としている瞑想法や手かざし療法ならよしとしてるのに、こういうのには否定的なんだから、えり好みが激しいとうか、まあ、人間なんてそんなもんか。 ところで、手かざしの元祖はなんぞや?みたいな話を冒頭でしてらっしゃいますが、わしがそこを聞いてて思い出したのはロイヤルタッチってやつ。 昔、王様には手をかざすと病が癒えるチカラがあった、とかいうようなやつよ。 古くからはキリストさんが手をかざすやつに由来すんのかもだけど、まあ、偉い人に手をかざしてもらうと治ったような気持ちになる、ってゆーよーなやつなんだろうなあ。 そういえばタッピングっていうんだね。指でトントンすると悪いところが治るという。 その昔、気功でそれやってる人に長年の愁訴を治してもらったことがあるんだけどさ。 ツイキャスでも喋ってる回 がある。お暇な方はどうぞ。 ちなみにわしはレイキは完全に詐欺だと思っとる。あんなもんで治るわけねーべ。 で、思い出すのがバーバラ・ブレナンですわ。古い人間は色んなことを経験しているわね。 カルト研究室さんのこの回の前の回、tsukiプロジェクトの時にも思い出したけど、ネットでカルト化するのもあれだけどさあ。 ほんでもって昨日、金持ちのお遊びSDGsだったその昔のヒッピーわよ

自分を売りたい人と作品を売りたい人の違い

  美味しそうに見える食品サンプルと、本物のごちそうの違いについて 〜Sa-Rah〜 あまりにも的確に説明されているために他に何も言わなくてもいいんじゃないかと思うほど素晴らしい記事である。 全部読んだ後のこのタイトルは記事の内容をすべて表していると言ってもいいのではないか? スピリチュアル業界の教祖はほぼすべての人が、自分を売りたい人、なんだ。 自分のファンを作り、バカがバカを食い物にする商圏。 ああ、何もかもが納得がいく。 そこでわしが嫌われたのは、わしは作品を売りたい人だったからだ。 そしてその作品もたいして凄いものでもなかったから、更に不要な人材だったんだな。 とても納得がいった。 わしには不要な世界であり、そしてスピリチュアルもわしを不要としたのだ。 今こうしているのにもそこに必然がある(とか書くとスピっぽいね)。

アスリートが頑張る姿が観衆に感動を与えるのかどうか問題

  アスリートが自分から「俺らで感動しろ」言うの、アレだ、親が「子供は私を選んで生まれてきた」言うのと同じなんや。第三者が当事者を励ますためにかけた言葉を第三者に向かって言うからあかんのや。わかったわ。 — 島村ゆに (@simamura) July 29, 2021 コロナで緊急事態宣言がでてるのにオリンピックをやっているという、なんともいえない事態が起きている。まあ各所にあれこれあってやらなければならん状況だ、というのもあるんだろうけど、ほんとはやらないほうがいいと思うんだよね~。って、多くの人は思ってるけどわざわざ言わないだけだろな、というようなクソ暑い今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?わしは暑さにキレてます。 ってゆーか、普通にニュースと天気予報を観たいだけなのに、テレビの地上波はオリンピックばっかりやっててイライラする。しょうがないので録画しといた怪談番組ばっかり観てるせいでもう覚えた飽きたが増えてきて、これまたしょんぼりするしかない。 スポーツの話題だけすっとばせばいいや、と、ぼんやりニュースを観てみるが、ほぼオリンピックの話題しかない。もう朝食だけに集中して観よ。 とかモグモグしていると、「私たちが頑張る姿が復興に繋がると思っているので」とかいうのが聞こえてきて「は?お前ただ運動しとるだけやろ?具体的に何か瓦礫の撤去とか人命救助とか建設とかなんかしとんのか?」とか思えて暑さが倍になった。 もう、おばちゃんはすぐにカッカしてダメねえ。ピーナッツバターが冷めちゃう(冷めない)わ~。 で、上のツイートに繋がったわけなんだわな。 あ~、これ、あれよ。近所にマラソン頑張ってる高校生の子がいたら、毎朝ストレッチしたり走りこんだりしてる姿を目撃して、朝玄関の掃き掃除しながら「おはよう。今日も頑張ってるね。おばちゃん、元気もらえるわ~」「あざーっす」みたいな会話だったら、別にイラつきもしないんだわよ。 観てる側からの、頑張ってる人に対する言葉だから。 これが逆になるといきなり上から目線になるんだわね。 「おはざーっす!おばちゃん、俺の頑張ってるとこかっこいいっしょ?元気出るでしょ?」とかやられたら、とりあえず返事は「お、おう」しかない。心の中では「何言ってんだこの脳筋が。朝もはよから道路バタバタ走りやがってうるせーんだわ」思ってても、とりあえずは笑

ネットが普及するのをイチからみてきた人たちとスマホしかしらない人たちの格差

 最近はあんまりPVのないところで書くのが気持ちよくてしょうがない。 先日、Twitter(そもそも最近はTwitterとRSSリーダーしかみてないが)で、なにかのイベントのイメージ写真と紹介が流れてきた。それはよくあることだけど、どこでいつやります、とかの詳細がなかった。 なので、興味のある人物が、これはどうやったら観られますか?というレスをつけていた。 すると主催者でない人物からスクショのはられたリプがあり、そのスクショにはURLが書かれていた。 一体どうやってアクセスしろというのだろうか? このURLをどうやって踏ませるつもりなのか? 昨今Twitterを始めた、というのもなんだが、スマホからしかネットに繋がない人たちには、このTwitterをやっていること=インターネットに繋がっているという知識がないのだな。 当然だがURLというものがどういった役割をしているのかも知らない。 ここでこのスクショの詳細を貼った人物がIT関係者でもあれば論外なのだが、多分ごく普通の一般人だろう。でなければスクショで詳細を説明するわけがない。 そんなことをされたら、不親切どころか嫌がらせにしか思えない対応だと感じる老害が私だ。この人は俺に来るなと言っているのだな。せっかく面白そうなイベントだと思ったのに。残念だがリムるしかない。 もうかなり前から、この問題が話題にされている。最近の新社会人はパソコンが使えないだの、アプリはネットではないと思っているだの、とにかく身近に浸透し過ぎて仕組みがわからないアレだ。高度な科学技術は魔法と大差ない、とかいうようなアレ。 ちょっと前ならテレビのなかった我々の祖父母世代が、朝起きて最初にテレビつけると「テレビ中毒」とか罵っていたアレと同じことが、世代格差として起こっている。 それは別に問題ないと思う。科学の進歩が格差を生むのは当然だから。 けど、基本的な仕組みを知って、その膨大な基盤から自分が端末でアクセスしているだけだということを理解しないと、こうした行き違いはこの先ももっとどんどん増える。 そしてその先の若者の数はどんどん減っているのに、若者だけの知識世界で私のようなインターネット老害に対応など、私達の世代よりももっとできなくなるんじゃないか。 市場が狭くなり、規模も小さくなり、そこにいるプレイヤーも観客も減る。若者は全体数が少ないのに、更に

その昔、サブカルとオタクは敵対関係にあったのか?というような個人的な感覚

 このブログは個人の日記みたいなものなので、思ったことを書き散らして残していこうという方向へ気持ちは変換しました。以前は消えてもいいというくらいでいい加減なものだったけど。というわけでなんか思ったことを書き残していく。 私は1980年代は美少女漫画というジャンルで同人活動をしていた。なので漫画家になろうとして投稿していたのも、いわゆるエロ漫画といわれる分類になる。 ある日、持ち込みをしたとある雑誌の編集長さんに「少女漫画を目指したほうがいい」といわれ、私は投稿する雑誌を変更した。そうしたら小さな賞をいただいたので、これで一層頑張ろうと思っていた。 ところが原因不明のめまいに襲われ、以後一切漫画絵が観られなくなる。 この間、この件についてTwitterで、いわゆる脳内の神経に過集中が起こり、そこの回線がショートして使い物にならなくなったようなものだ、というものをみかけた。 理屈としてはそれで理解できるのだが、長年の夢を叶えられるようなきっかけを掴んだ途端のこの出来事で、気持ちの問題としては30年経った今でも納得がいっていない。 諦めたのが1990年だったと思う。その年に国道でひどい事故にあったのでよく覚えている。 大体同時期だっただろうか、M君事件が起きた。彼は特撮ジャンルだった。 当時は理由はわからないがジャンル分けをしていて、実写特撮はサブカル、漫画アニメはオタク、となっていた。 サブカルは、オタクはロリコン(美少女漫画のジャンルの別称として使われていた)で気持ち悪いものだ、と一方的に叩いていた。 時流の言い方に変えれば、サブカルはオタクをいじめていたのである。 実際問題として、例えばコミケ会場などでサブカルがオタクをいじめているのを目撃したわけではない。だが、当時発売されていた、サブカル向けの雑誌は、ほぼこのスタイルをとっていたといってもいいと思う。普通の漫画雑誌などにあるサブカル記事なんかも、大体そういった体裁だった。だから、特に選んでそれを読まなくても、世間の空気がオタクをいじめていた。 そこへもってきてM君事件。時流の空気に流されて、週刊誌の記事では堂々とロリコンのオタクとして報じられた。当然だがさらに勢いがついた。 事件が報じられた当時はすでに漫画家をあきらめていたが、私は仕方なく諦めたので、美少女漫画に対する気持ちはまったく変わっていなかった。なのに社

アネックスビルの閉館

  この記事 を読んで思い出したこと。 昭和50年代、通っていた中学校で一つの都市伝説があった。 それは、中日ビルには緑の魔女と白い魔女がいる、というものである。 私は友達と、その緑の魔女と白い魔女を見に行った。 当時、休日のおでかけは制服で行かなければならず、私たちは全員セーラー服で中日ビルまで行った。 緑の魔女が出没する階は聞いていたので、その階へ行き一回りすると、とあるショップに緑の魔女がいた。そう、緑の魔女というのは単にアパレルの店員さんなのであったが、何故緑の魔女と呼ばれるのか。 それは全身緑色だからなのだ。髪、メイク、ネイル、洋服、すべて緑。 目的の一つを達成した私たちは、あとは白い魔女だけだ! と意気込み、彼女が出没するというエレベータを目指した。 そしてそこまでで私たちの情報が足りないことに気づく。 なんと中日ビルのエレベータは一つではない。普通に正面入り口から入ればすでにそこには6つのエレベータが存在するのだ。その上、南側の入り口や業務用も合わせれば、全部回っている時間などないくらいの数があった。 「白い魔女…どこ…?」 せっかくクソ真面目に制服でやってきたというのに、これでは探しようがない。 アホの女子中学生4人はとぼとぼと帰路についた。 さて、それから10年以上経ち、女子中高生のおしゃれショッピング・ポイントは別のビルへと移行した。それがこのアネックスビルである。東急ハンズが初めて名古屋へ進出した、記念すべき都会的なショッピングビルなのである。 当時私はとある同人誌サークルに入っていた。そこで会員である現役女子高生のひとりがこんなことを言っていた。 学校帰りにアネックスへ行った。エレベータに乗っているとお尻を触られた感触がした。振り返るとそこには女性が立っていた。たぶん何かの拍子に手が当たったのだろう、と思った。 目的の階に着いたのでエレベータを降りると、後ろから肩を叩かれた。振り返るとさっきエレベータで後ろに立っていた女性がいた。女性は「私の家に来ない?」と誘ってきた。 怖すぎて走って逃げた。 というような内容だった。 これ、まさしく、私が中学生の時に聞いた白い魔女のエピソードそのままなのだ。 驚いた私は女性の詳細を聞いてみた。すると、物凄い美人、長髪、白いワンピース、だったとのこと。完全に白い魔女である。しかもちゃんとエレベータに出没してい

三二〇ボードから記事を転載しました

  秋月朗芳 さんが運営している 三二〇ボード から記事をいくつか転載しました。 三二〇ボードはとても軽くて気軽に使いやすいブログシステムです。 使ってみたい方は三二〇ボードの説明を読んでみてくださいね。 昔はネット上から消えてもいいと思って文章を書いていましたが、Google+が消えた辺り(2019年4月2日だって)から、何かちょっと惜しい気がしはじめたのです。 それで、少しくらいは残してもいいかもしれない、と思い、三二〇ボードからブログへ転載することにしました。 ただ、内容として三二〇ボードにあった方がいいと思われる内容はそのままにしておいて、どちらにあってもいいようなものだけ転載していますので、気になる方は私の ユーザートップ を見ていただいてもいいかもしれません。 今後は長文はブログにだけ書くかもしれません。 昨今はnoteが流行りみたいですが、個人的には炎上が多過ぎてあまり安心できないのです。 枯れたシステムというのの良さ、PVが少ない、というのも悪くないと思います。 あとnoteは記事のエクスポートができないので、その点では三二〇ボードも同じなので、今回のように転載しようとすると実にめんどくさい、ということもあります。 このまま自分のアーカイブとして残してみてもいいかもしれない、と、人生で初めて思えるようになったので、たぶんとても歳を取ったのか、はたまた死期が近づいたのか、と思わないでもありません。 ま、どっちにしても今はそう思っているので、そうした、というだけのことです。 個人ブログだから自分の好きにやっていきますよ。

犬の話

野良猫が地面に寝ててドキドキした漫画を読んで思い出した。  20年以上前、私が借りていた駐車場の隣の家に、新しく引っ越してきた家族には年老いた飼い犬がいた。  犬は玄関の軒下に犬小屋を置いてもらっていて、いつもそこに繋がれていた。  私が通るとこちらを見て軽く尻尾を振るので、とりあえず「おはよ」とか声をかけていた。  とある冬の朝、犬はいつものように顔だけ出して小屋に入って寝ていたが、私が前を通り過ぎても目を開けなかった。  犬の頭には少しだけ雪が積もっていた。  かなり年寄りの犬だと思われたので、仕方がないのかもしれない。  通りすがりの私が犬の飼い主に声をかけるのもどうなのだろうか?  しかしひとこと言うべきか?  そう思いながらこの家の玄関前にしばらく立ち止まっていた。  散々迷ったがそのまま通り過ぎることにした。  夕方、駐車場に戻ると、犬は元気に小屋の前に立ち、私に向かって尻尾を振っていた。  とりあえず一安心したが、それから数日後、犬の姿は見えなくなり、たぶん死んだんだろうなあ、という気持ちで、残された犬小屋の前を通っていた。  犬小屋もしばらくしてなくなった。

わしは標準治療を望む

わしはアレなんよ。  子供のころから体が弱くて、母が今でいう自然派にはまって、鍼灸なんかの奇跡もすりこみされ続けて、自分が視える人になって最終的にチャネラーにまでなったから言えるんやけどさ。  スピリチュアルで病気なんか治らんよ。   まあそんな育ちなわけなので、わしも30歳くらいまではちょっとスピに傾いてたとはいえるわな。 それは否定せん。  けど、それで能力を他人のために使うのが正義って思って、他人のために尽くして、自分の具合の悪いのは漢方で治そうとしてて、最終的に緊急入院で手術直前に腫瘍が破裂して、んでその腫瘍のせいで幻覚を見ててそれがチャネリングになってて、っていうのをな、経験してきたわけ。   漢方で腫瘍治らんかったな?  最終的に腫瘍が破裂する2週間前くらいに幻覚見えなくなったな?  手術してからはまったく幻覚見えてないな?   以上のような経験から何度でも言わせてもらうがな。   スピリチュアルで病気は治らんよ。   代替医療はクソ。   標準治療受けろよ。

君はSpaceをやったことがあるか?!

わしはTwitterのアカウントをふたつ持っている。  ひとつはこのアカウントで、2009年からやっている。  もうひとつは去年作ったネタアカウントなのだが、ネタが思いつかなくなっ、てとりあえずサブアカウントとして運用したりしなかったりしている。   現在のフォロワー数は、メインアカウントが669、サブアカウントが6。  TwitterにはSpaceという音声チャット機能があるのだが、これが4月くらいからじわじわと実装されていっている。  最初はテストとして実装されていたのだろうが、ちゃんと運用できそうだとわかって開放していく、まあWeb2.0とか言われ始めた頃のあれで永遠のβ版なんだろう。 世の中はそういう仕組なのである。   それはいいとしても、5月からは「みんなにSpaceできるようにしていくよ~。でもまずはフォロワー600以上のアカウントからね」つって公式が発表しといてさあ、今、6月も後半に入りましたけどね、メインのアカウント、いまだにできませんけどね、なんなんですかね?これは? まあたぶんサーバの新旧があるんだろうなと思ってるので別にいいんだけどさあ、公式アナウンスと違うことやられると、なんだかなあ、と思うわよ。 有料になるなら払おうかなとか思ったりもするくらいのヘビーユーザーなのにさあ、Twitterさんよお。 そこの青い鳥よお。 ちょっと体育館裏に顔貸せよお、くらいは思いますよね。 思います。   なもんだからもう諦めて、それでもサブアカウントで読んでるものもあるのでちまちま読んでたら、なんか右下に「Spaceできるようになったよ」的なお知らせのフキダシが出てるじゃん。  なんだとお前この垢のフォロワー5だぞ?!(その時点のフォロワー数)   あ、これはもう完全に鯖側の都合だな。 前回の公式アナウンスはとっくの昔に撤廃されてんだな。  そう悟りましたね、ええ。  しょうがないので前からやりたかったし、一回くらいはやっとこ思って、さっそく昨夜やってみました。   ところがさすがにフォロワー5ですよ。 誰もこない。  けどこれもちょっと変でさあ、数字の表示は5なんだけど、実際にフォロワーを確認してみると4しかなくて、本垢のフォロー入れたら6なんだけど、それを差し引いても見えてる部分にはフォローしてくれてるアカウント4しかないんだけど。   まあいいわ。そう

ちょー簡単!電子書籍の作り方

①なんらかのテキストデータを作成する  ②googleドライブにUPする  ③googleドキュメントで開く  ④ePubで保存する  ⑤キンドルプレビューのソフトで確認する   追記:6/17 つっこみがあったので追記しますが、最初からgoogleドキュメントでテキストを作成しておけば、①~②は省略できます。 あと、①以前の問題と数字間の細かいところと⑤以降はggrksでよろしくお願いします。

昭和時代からスピリチュアル業界にいるものとしての所感あれこれ

昨夜のスペースでスピリチュアル界隈に長年いる方と話していましたが、 20年くらい前までのスピリチュアル: 癒し、精神の充足、真理の追求 今のスピリチュアル: 60億円振り込まれろ!ビジネス成功しろ!トランプ氏は救世主! こんな感じ — ちびまる a.k.a 大仏, 雨宮純 (@caffelover) June 5, 2021 上記のような人との個人的な感覚が全く違うので、これは是非にも書き残しておくべきかと思い我慢できなくなりました。 私は確かに現在はほぼつきあいがなくなったとはいえ、昭和の時代からニューエイジ→スピリチュアルへの変換もリアルで体験してきているので、ほんと、そんな純情派ばっかりだったとはとても言えません。これは批判ではなく、確実に個人がいた場所の違いだと思います。 そういう意味で言えば純粋に癒やしや精神の充足、心理の追求をしていた人達は少数で、また翻って確実に金儲けだけを目指していた人々もまた少数でした。一番多いのは、自分が気持ち良いところだけを利用して、あとは知らん、という人達です。これはどこの業界でもそうだと思います。 なので20年くらい前までのスピリチュアルは純粋だったのかといえば、全く違うとしか、私からは見えませんでした。そもそもその頃になると、E氏がテレビでスピリチュアルという単語を広め始めていて、純粋なスピリチュアリストの人達は、E氏のいうスピリチュアルと、自分たちが探求しているスピリチュアルは違うものではないのか?という議論も始まっていた頃でした。 E氏が英国スピリチュアリスト協会の会員であるとか言いふらしていたせいもあって、日本語での情報しか追ってない一般人スピリチュアリストたちが迷っていた感がありました。 そんでもって確かK氏の翻訳が悪いとか、ネット上でも言い争いがあって、本家のスピリチュアリズムの人達同士の間でも揉め事があったりして、どんなに崇高な精神性を求めていても人間など所詮このようなもの、というような上からバードウォッチングしていた私ですら、このE氏の言動は金儲けにしか見えなかったのですが、果たしてこれが崇高な精神性からの行動だったのでしょうか? もうわけわかりません、とこまでいきましたよ。 ニューエイジでも、こっちは金儲けもありましたけどV社が一人勝ちみたいなとこがあったので誰も何も言わなかったかもだけど、どっちかという

お気に入りのうどん屋の話

私も名古屋圏人なので、自分だけのお気に入りのうどん屋がある。 それは子供の頃にまで遡るのだが、残念ながら今はもうないお店だ。   子供の頃、2軒のお気に入りのうどん屋があった。 一つは今も営業していて、しかも当初の10倍ぐらいでかくなった店だ。  しかしもう一つのお気に入りだったうどん屋は、10年くらい前まで個人店として駅前のテナントビルにこじんまりと店を構えていた。  そこの名物は「味噌ころ」うどんである。   ここで、名古屋圏以外の人に説明をすると、「ころ」とはお汁が少ないうどんの総称である。 ただし私は子供の頃は「冷たくてお汁が少ない」と教えられていたので、今でもつい「冷たくてお汁が少ない」と思ってしまう。  しかしこれは大人になってから「店による」ことを発見した。  麺もお汁も温かい「ころうどん」が存在するのである。 温かいおかげで冬場も途切れることなく「ころ」が食べられるのだった。 ありがたい。   というわけで、この「味噌ころ」とは、お味噌のお汁がかかっているうどん、だと思っていただきたい。 その形状は担々麺を想像していただければだいたいあっている。  そしてここのうどん屋は麺の形状が独特で、1本の中に微妙なクランクが存在していた。 うちの叔父が「切るのが下手だ」と言っていたが、私はそれが味になっていると思っていて、そのクランクのある麺も好きだった。   そのうどん屋の味噌ころは、クランク麺の上に甘辛く味付けた八丁味噌のたれがかかっている。 そしてその上には小口切りのネギが大量に載っていた。  一人用の鉄鍋で提供されるのだが、麺もタレも鉄鍋も冷たいのでお子様にも安心だ。  味噌ころが出てきたあとは、テーブルの上にある「ご自由におかけください」と書かれた天かすを、これでもかとぶっかける。 余談だがこの天かすは、名古屋圏人なら「必ず家族の人数分が家にある」と言われている一人用の土鍋に入っている。  そのクランク麺と味噌ダレとネギと天かすを好みに応じて混ぜ、そしていただく。 それが味噌ころだ。   そんな味噌ころを私は子供の頃から大好きで、親と外食するときはたいていこのうどん屋に行くのだった。   子供の頃の支払いは親がしていたので、味噌ころの値段ははっきりとは覚えていないが、うどんなのでそんなにむちゃくちゃ高いということはなかったと記憶している。 だが、ある

島村ゆにが自己紹介するだけで心霊業界の裏側がわかる本

  島村ゆにが自己紹介するだけで心霊業界の裏側がわかる本 しまゆー文庫の新刊です。 タイトルまんまの内容です。 このブログでも過去に書いたことがある部分と重複する内容もあるかと思いますが、それから10年近く経過していますので、新たにまとめなおしたというか、そんなような内容です。 それでもあんまりスピリチュアルには寄らないで、なるべく心霊に寄ったつもりです。 紹介文↓ 筆者が体験をもとに、長年調べている心霊についての研究レポートです。 霊感とは何か?心霊とは何か?そして苦労の果に霊能者になるのが正解なのか? 既存の心霊業界に疑問をぶつけ続けた半生記。今あるすべてが正解ではない。自分なりの精神世界を築き上げることこそが心霊ではないのか? 常に疑問をもち、探し続けた答えは見つかるのか? まだまだ現在進行系。探求の旅は続く。 ePubファイルです。    BOOTHの紹介文にも書いてありますが、電子書籍のデータ形式ePUBでのダウンロード販売です。どうぞよろしくお願いいたします。なお、誤字脱字、表示の不具合などがありましたらご連絡いただけますと幸いです。 以下余談。 今回はすべてGoogleドキュメントで作成してみました。 画像の加工は別のソフトですが。 購入された方それぞれが違うアプリでご覧になると思いますが、こちらもそれなりに対応して確認をしております。 とはいえ個人での作業ですので、どこかで不具合が出るかとも思います。 そういうときは是非ご連絡をください。 現在できることを努力しておりますが、さすがに寄る年波と脳が壊れた関係上致し方ない部分もございます。 指摘いただかないと対処のしようもありませんので、何卒ご指導ご鞭撻のほど。 あと、Twitterや三二〇ボードもとても使いやすくて便利なんですけど、今のところネット上での活動を公にしているところで一番古いのはこのブログなので、今後はもうちょっと色々と更新していくべきではないかなと反省している次第。 つってもきっとまた楽な方に流れるんだろうけども。 ま、マイペースでやってないと続きませんのでね。 

宮家のオーラ

天皇陛下からレスをいただいた話を読んで思い出した。   ★そのいち   あれはまだ昭和の時代、バイト帰りの私は周囲の道路のむちゃくちゃな混雑具合に辟易しながら歩道を歩いていた。  なんでこんなに混み合っているのか? 普段ならいくら帰りのラッシュ時とはいえ、ここまで自動車が渋滞していることなどない。 駅までの道中に信号を2つ渡るのだが、そのときでさえ車は一ミリも進んでいない。 何事か? 用心しつつ進んでいくと、大通りには自動車が一台もいない。  頭の中は???だらけで、それでも歩道には普通に人が歩いているので、私も駅に向かって歩いていると、ふいに後方から黒塗りの自動車軍団がやってくるのが見えた。 曲がり角だったのでそちらに目をやったときだった。  相変わらず頭の中は???なのだが、この、黒塗りの高級車軍団、ただものではない、とひと目でわかる車好きのサガ。  数秒立ち止まって高級車軍団を眺めていると、目の前を浩宮殿下(令和の天皇陛下である!効果音ドン!)が通り過ぎていった。  な、なにー!ナルちゃん、だとぅ?!(←心の声&背景ベタフラ)   なんと浩宮殿下は立ち止まって見ている歩道の上の我々一般人に軽く会釈をしながら手をふっておられた。 歩道の人々は突然の殿下のご登場に誰もリアクションをとれないでいた。   ポカーン…である。   手を伸ばせばその高級車のドアに手が届くようなところで浩宮殿下。  ピッカピカの車体の中には白のレザーシート。 そして浩宮殿下。   な…なんだこの…この…極超絶オーラは! 光学迷彩とでもいうのか、透明なのに見えるとでもいうのか、それはもう表現しがたいなにかのすごいエネルギーとでもいうか、とにかく浩宮殿下からはものすごいオーラが出てた。  …こ…これが…宮家の実力…。   そのとき私は己が一般庶民だという事実を自身に叩き込んだのであるッ!  ★そのに   上記の事件が起きてからしばらくして、私は駅前のパン屋に転職した。  相変わらずバイトの身ではあるが、当時は体が弱かったので致し方なかった。  普段夕方のシフトであったが、その日はたまたま朝からのシフトに入っていた。 開店してしばらく経った頃だった。  店の前を虹色の何かが通り過ぎていった。  驚いて振り返ったのだが、そこには人だかりがあるばかりで、何が虹色なのかがわからない。 ただ、その人

自己啓発セミナーの件で思い出したこと

そういやあ勧誘って割とされたほうかもしれんけど、一個もやってない。  というとあれだ、自己啓発セミナーも最初から胡散臭いなあ、というか、嫌いだったから、なんだけど。  瞑想の講座受けたときも自己啓発セミナーに似た胡散臭さがあったから、アレ以上ははまらなかったのかもしれん。 しらんけど。   マルチの勧誘も割とされたほうかもしれんけど、そもそも二十歳になった途端に、知らない人からの誘いの電話がかかってくるようになって、それ全部断ってたけども。 だってあやしすぎるやろ。   中学の先輩から電話があったときは、ほんとに普通に世間話するつもりで近所の喫茶店に行ったら、あの頃はよかったね、とか自分がいかに幸せかという話ばかり先輩がしてきてうんざりしてた。  そのうちに、私にも「幸せだったよね」って話をふってきたので、私は一ミリも幸せだと思わなかったので、中学生当時の不幸自慢と現在の不幸自慢を始めたら、割と早めに喫茶店から出れた気がする。  まあそのおかげでターゲットからは外れたんだろうね。 それからは一度も連絡がないんだから。   二度目は有名なお鍋会社の勧誘だった。  中学の同級生から電話がかかってきて、ほんとに仲がいい子だったので手土産持ってその子の自宅まで行った。  「練習だからダメ出ししてほしい」というから、何をするのかと思ったら洗剤の実演販売みたいなこと始めた。  私はそのあまりのデタラメさにぽかーんとなった。  その同級生は私より成績が良い子だったので「あんた何言っとんの?それ理科でやったやん?わしより成績よかったのに、どうしちゃったの?」って真顔で言ったら黙っちゃったなあ。 ちょっと涙ぐんでた。  旦那が、パソコン通信で情報商材売ってるとかゆってたなあ。 当時流行り始めた競馬の必勝法みたいなサイトだったかもしれんけど。  新築の持ち家だっつってたけど、お金に困ってるんやな、ってのはわかったので黙って帰ってきたけどさ、その情報商材のことも批判して帰ってきた記憶がある。 今は元気でやってんのかな?

犬の死

急に思い出したんだけど。  小学生の時、マルチーズを飼うのが流行した。  今だとトイプードルってのと似たようなものだ。  私は親にねだった。  親の知人のブリーダーから1匹の子犬を購入してもらった。  値段はあんま関係ないけど、昭和50年代で500円。  よくある、買ってもらったはいいけど世話は放置するタイプじゃなかったので、朝晩の散歩や餌やりなんかもちゃんと自分でやってた。  当然だけど私にはよく懐いてた。   ある日、犬の具合が急に悪くなった。  飼い始めて2年経たないくらいだった。  いつもは元気に近寄って来るのに、段ボールの寝床に入ったまま動かなくなった。  早く元気になるといいなと思いながら、犬を撫でてから、私は登校しようとしていた。  そこへ祖母がやってきて、隣に一緒に並んで座った。  「犬、早く治らんかなあ?」 私は祖母にそんなようなことを言ったと思う。  祖母はそれを聞くと、右手を犬にかざして目をつむり、何かを唱えているようだった。  祖母は朝晩の仏壇へのお参りを欠かさない人だったので、きっと仏さまにお祈りしているのだろうと、なんとなく思った。  1分もしないうちに、犬は大きくびくっと震えると、こちらを向いて目を開けたまま止まってしまった。  祖母は目を開いて「もう楽になったから、あんたは学校行きなさい」と言った。  集団登校の集合時間が迫っていたので、私はそのまま学校へ行った。   帰ってきて父から犬が死んだことを聞いた。  祖母が、犬が好きだったふかしたサツマイモを持って行きなさい、と渡してくれた。  埋めた場所は親族共同の墓地だとのこと。  私はすぐにその場所へ行ったが、なんの目印もないのでどこに埋まっているのかわからなかった。  泣きながらサツマイモを持って帰ったのを覚えている。   ばあさん、あんた、犬に、なんかしたんか? おとんの猫が生んだ子猫も、川に流したよなあ? 今更になって思い出して、もう10数年前に亡くなった祖母に対して空恐ろしい気分になる。

ハンバーグの美味しさ

私は基本的にお肉があまり好きではない。  なので焼き肉よりもハンバーグのほうが好きだった。  美味しいお肉の記憶といえば、じーちゃんが買ってくる牛肉のすき焼きだけで、実家で料理するお肉が美味しいと思ったことがない。  基本的に肉料理も苦手で、自分で美味いと思える料理ができない。  スパムやハム、ソーセージなどを使う料理なら、たぶん人並みにはできると思うけど。   大人になるとある程度の資本ができるので、どういうものが美味しいお肉なのかがだんだんとわかってくる。  そして美味しいお肉の理由も、理論として覚えてくる。   最近流行りの某ハンバーグ店だが、まだ一度も行ったことがない。  だからどういうものなのかがわからない。  行った人から話を聞いて、それがどういうものなのか、どこのお店が近い味なのか、という情報を仕入れた。  そして試しにその「近い味のお店」に行ってみたのだが、たしかにその情報を教えてくれた人いわく、「肉の味」であった。  私はそれまではハンバーグが塩の味だということに気づかなかったのだ。   肉の味というのはどういうことかというと、新鮮なひき肉なので、香辛料を使っていないのである。(聞いた話なので確認はしてない。ごめん)  これについては高級ハンバーガー店などでよくある、つなぎも何も使ってない、単なるひき肉をパティにしたやつ(丸めたひき肉を専用の引き伸ばし器みたいなので鉄板にジュッ!っとやる)、と同じなんだと、食べてみて初めて気づいた。  そう、ハムじゃない、つまり塩気がない、香辛料の味がしないのだ。  正直、衝撃を受けた。   ひき肉とソース、それだけで食べる。  高級焼肉店の味に驚いて以来の衝撃だった。  まだまだ料理を食べてないと、自分は勉強が足りてないと思った。  特に自分が好きではない肉料理の分野だから余計に思った。   それ以後、よくあるチェーン店に行ってそこそこのお値段のハンバーグ定食を食べると、つい、その違いに愕然として「ああ、ハム食べてる。辛い」と思う、その情報源の人の気持が、少しわかるようになった。  この先の私はもうあのひき肉だけのハンバーグしか食べられなくなるのだろうか? てゆーか、ハム大好きだし、そもそも練り物好きだから塩気も好き。