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しぞーかケンミンのヌクモリティに癒された話

ありがとう、しぞーか! そして、ありがとう!! もうこの言葉しかでません。 というわけで、久しぶりにしぞーか…ってか地元民じゃないのにしぞーか、しぞーか言ってますんで、わからない人のための説明もせねば、ですな。えー、<しぞーか>とは静岡のことです。 これ、何処から始まったのかは知らないんですが、5年前はもう、しぞーかって言ってた気がする。 とにかく、まあ、そんなしぞーかに行ってきたわけです。 前回は超能力実験の講座のために、SF大会でグランシップ行ったんですけども、そこで『海ぼうず』さんがお弁当売ってて「うおおおお!」って友達と二人で叫んでたんですな。 『海ぼうず』があるのにセッシャーがいない!! ってなwww ちなみにセッシャーとは『 からくり侍セッシャー1 』です。 セッシャーが人間の時バイトしてるのが『海ぼうず』という居酒屋なのです。 なので、SF大会で弁当売るなら、セッシャーがいればいい宣伝になったのに! って思ったわけですわ。ここに集う人々ならば、必ずや一人や二人はセッシャーにはまるに決まってるというのに、マーケティングが足らないぞ! テレしず!! とか、素人二人が騒いでおりましたw まあそんな感じで非常にいい男のセッシャーに会うために、グランシップから駅南銀座に移動した私達だったのですが、SF大会の日は丁度台風が来ておりまして、残念ながら、木製精密機械のからくりであるところのセッシャーは、雨が大の苦手なのですな。 当然、お休みでございました。(´・ω・`)ガッカリ… というわけで、一昨日はそのリベンジに!!!! ……じゃなくて、一番の目的は、『 ふるさと怪談トークライブ in静岡』です。 そのためにしぞーかに行ったのです。しぞーか。 や、大変素晴らしいライブでございましたぞ。もうね、静岡の駅北に行ったのは20年ぶりだったものでね、もうすっかり様相が変わっているかと思っていたのですが、まあお店は変わってるんだけど、あのレンガ道の商店街はまったく変わってないでしたナ。(ナで笑った人はセッシャー通だ) そんなような不純な動機も含めましたところで、今年初の『ふる怪』でござる。 黒木あるじ 氏制作のビデオレターも新作になっておりました。 上映が終わったら、 水銀座 さんの、怪談一人芝居。youtubeで探すと動

文化としては必要

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ペンパルさんがG+で紹介されていた動画です。 まあこれを観て笑い飛ばすのもひとつの行動でしょう。 こういったものはひとつのテンプレに沿って答えていくものだと実感します。 それでご遺族が納得や安心を得られるのなら、その文化にも価値があるのですから、私は否定はしません。 ただそこにはまって周囲に強制するようになると、それは残念な結果が待っているよ、としか、実体験者からは申せませんなあ~、という言動になる。 ところで、テンプレがある、と感じるのは、いろんな霊能者や霊媒師、教祖さまを見てきて感じることです。 何何系のなんとか、とか、本職の方はその答えを聞いてピンとくるものらしいです。 確かに複数こういったものを見聞きすると、その系統があるのがわかります。 現在の私達では、たしかにそれで納得や安心を得られるのかと問われれば、なんだかなあ~、とか失笑してしまったりするしかありませんが、時代や文化圏が違えば、これは遺族にとって大変な癒しになると思います。 必要とする人たちは存在しているでしょうが、この先はそういった人たちもどんどん減っていくでしょうねえ。 全体的に日本が閉塞感で窒息しそうになっている、というのは、スピ系文化にも現れているんでしょうか。こういうのが無駄なのだと省いてきたのが今までの文化ってことでしょうか。 グレーゾーンや緩衝材になっているそのムダ部分、そろそろ見なおさないとやばいのかも。 そんな風に10年前くらいからずっと思ってるんですが、環境はどんどんそれに反して厳しくなる一方ですねえ。( ´Д`)=3

親のため

昔、とある宗教団体の施設に連れていかれたことがある。 とは行っても拉致とかではなく、連れていってくれた人は、私が悩んでいることにたいして何かしらの解決法になれば、と思って連れていってくれたわけだ。 まあ私としては「ネタになる」くらい思っていたことも否定しない。 なにせほら、心霊現象研究家ですから(笑)。 その宗教団体は、見かけが普通の家なのに、中が神社の拝殿のようになっていて、それなのに飾ってあるのが仏像、という、神仏習合的な何かっぽい感じだった。 なんだっけ、ほら、修験道とかだとこういう感じのとこあるよね。でもあれは建物がお寺っぽいところが多い気がするが、まあ神社でも差し支えないんだろう。どっちもありだもんな。 ここでは色々あったんだが、それはさておき(笑)、結構長い間その場所にいたんだ。 合宿生活みたいな感じで数週間、て感じだろうか。夏休みの合宿かなんかっぽい感じ。 その何週間かの間に、でかい集会があった。例祭とでもいうのかなあ。詳しいこと何も訊かなかったからよくわかんないんだけど、その日は信者さんが大勢集まっていたんだ。 その中に、一組の親子連れがいた。両親と娘さんの組み合わせ。 大勢の信者さんが集まって雑談していた所に、すーっと真ん中割って教祖様が壇上にいった。 そこへ、その親子連れの娘さんを呼び出した。 何か新参のお披露目式っぽい感じだった。 そこで何がきっかけだったかよく覚えてないんだが、突然、手を合わせていた娘さんがトランス状態になり、何事かを喋りだした。早い話がチャネリングか。なんか観音だとか言ってた気がする。 そのとき私の興味は、実はそんな他人様のチャネリングではなく、その娘さんのご両親に集中した。 娘さんがトランスってるその横で、お母さんが必死に、小さな声でお経を上げ、両手をあわせて頭をたれ、体中力んでいる状態でガクガク震えていた。 お父さんは娘さんをはさんでお母さんの反対側で、恭しく頭をたれ、あぐらをかいた膝の上に両手を置いて、畏まって固まっている。 そんな光景をみて、自分の実家を思い出したのだ。まるで同じだなあ。と。 滑稽だった。哀れだった。悲しかった。自嘲自責。 自分も必死で親のためにいい子になってたことを、その場で見せられた思いだった。 トランスが終わると教祖様はさっさと自室に引き上

顔が黒く見える

さて、俺テキで<死が近づいている人の顔が黒く見える>という話を書いたわけだが、実はコレ、いまだに続いているのである。 このあとしばらく見なかったので、もう見ずに済むのかなあ、と思っていた。 まあ、こんな出来事があった後に身近で死人が出たことなんて、ジジババくらいなので気づかなかっただけなんかもしれんなあ、てな感じ。 おばあちゃんの時も、おじいちゃんの時も、19歳で死んだ猫の時も、こんなふうに顔が黒く見えることはなかった。 単に「ああもうすぐお別れだなあ」という実感があっただけだった。 その実感も、正確に年月を切って知らされたので、何が実感なのか、それも霊感なのか、私の中ではまったく区別がついていない。 身近なモノが亡くなるのを知るのは寂しい一面、その限られた時間内に精一杯対応しよう、という心構えができるので、私にとってはいいことだった。 人によっては辛いかも知れないけれど、先の顔が黒く見えた人達と思えば、つきあうのが辛いということはなかった。 そんなわけなので、それから顔が黒く見える人達とは付き合わなくてもいいんだな~、なんて気軽に思っていたわけだけど、それもつい数年前にぶち切れられた。 笑い事じゃないんだけど、その時気づいた人達は、今はまだ元気に生存している。 何故顔が黒く見えたかは、理由がはっきりしている。病気だったからだ。 それが治れば黒く見えないので、まあ単なる顔色が悪い、という話だったのかもしれない。 そんな風にして<顔が黒く見える>事態は私の中から遠ざかっていったかに思われた。 ところが、今から2年半ほど前、急に世間が暗くなった。 まさに<顔が黒く見える>状態と同じように、世間が黒くなった。 これは世間が死ぬのか、それとも、鏡を見れば自分の顔も暗く見えるわけだから、もしかしたら自分が死ぬのだろうか。そんな風に思った。 光が届かないところなんかは、本当になんにも見えない状態だったので、病院で色々な検査をした。 結果、つい最近、それが脳梗塞寸前の状態であったことが判明した。 つまり、自分が死にかけていたわけだ。

俺がとり憑かれていた時の話をテキトーにする:8(終)

土曜なので、電話番といっても、平日みたいにガンガン電話がかかってくるわけでもなく、緊急事態に備えて事務所番しているようなものだった。 細々としたことを片付けているだけで済みそうな感じではあったが、急にお腹が痛くなる。 トイレに駆け込んで事無きを得たが、その後も何度も下腹が差し込んでくる。 正露丸を飲んでもまったく効かない。とにかく痛い。鎮痛剤も飲んだが、今度は吐き気までしてきた。 これは耐えられない! と思ったが、フロアには私しかおらず、誰にも伝言できない。 会議室は緊急事態以外誰にも入ることが許されていない。とはいえ、これは緊急事態である。 耐えに耐えてどうにもならないと思った私は、仕方なく会議室の扉をノックした。 扉の一番近くにいた人に声を掛け、事情を説明してなんとか早退させてもらえることになった。 ふらふらしながら着替え、会社の前でタクシーを拾おうとしたが、普段ならいくらでも見かけるというのに、こういう時には一台も通らないのがセオリーなのか。 仕方なく大通りまで出て、交差点でタクシーを停めた。 この時のタクシーは個人タクシーで、とても親切な運転手さんが駅まで乗せてくれた。 そこではうようにして電車に乗り込んだはいいが、次は電車の揺れがひどく体に響いた。 痛みと吐き気とで、それ以上電車に乗っていることはできず、私は途中の駅で降りた。 そこにあったベンチになんとか横になったが、それ以上はもう動けなかった。 ホームにいた客の誰かが駅員さんに知らせたのだろう、しばらくして「大丈夫ですか?」と声を掛けられた。 それからなんとか実家に連絡をとり、父に迎えに来てもらった。 その日はそのまま実家で寝ていることになった。 翌日、嘘のように腹痛も吐き気も収まったので、いったいなんだったのだろうかと思った。 とりあえず何かAさんに関係があるのではないかと、霊能者にたずねてみることにした。 霊能者の答えは、「Aさんが私の体から出ていく腹いせに色々していった。だがもう出ていったから安心」というものだった。 そうなんだろうか。と、ちょっと不安に思ったが、月曜に医者へ行ってみて、異常なしだとわかったので、まあそんなもんかもしれないなあ、と思った。 いなくなったのならそれでいいや、という感じである。

俺がとり憑かれていた時の話をテキトーにする:7

それから1ヶ月ほどして、Tちゃんのバイトするカフェに行くことになった。 ランチも終わって午後のゆっくりした時間のほうが、Tちゃんともお話できるだろう、という目論見で、Kちゃんと二人、そのカフェに出かけた。Tちゃんはカウンターにいた。 「いらっしゃいませ」 こちらに目を向けて微笑んだTちゃんの、その顔を見て私は固まった。真っ黒だった。 Kちゃんはまったく気づかないようで、カウンター席に座ってTちゃんと談笑している。 私は急に居心地が悪くなり、その時何を注文したのか、それは美味しかったのか、そんなことは一切記憶に残らなかった。 ニコニコしながら話しているTちゃんに向かって、何度「何か困ってることでもあるの?」と訊こうとしたかわからない。だが、それを訊いてしまったら、次は私の番である。 その場をやり過ごすのが辛くて仕方なかった。 それから更に1ヶ月後、Kちゃんから電話があった。 「Tちゃんのお葬式があった」 中学からの同級生であったKちゃんへ、Tちゃんの訃報が届いた。別の同級生からの報告だった。 地元にある有名な観光地の橋から飛び降りたらしかった。理由は誰にも心当たりがなかった。 当日Tちゃんのクルマが、橋の袂の駐車場にあったのを近所の人が目撃しており、すぐに警察へ連絡がいったそうだ。(休日でもない時にクルマが停まっているのがおかしいと思ったらしい) 捜索の結果、Tちゃんが発見されたのだと、Kちゃんは教えてくれた。 KちゃんはTちゃんの家に焼香に行くのだが、私にも来るかと尋ねた。私は断った。 立て続けにあった事件で、私は精神的にかなり消耗していたと思う。 それでもバイトは続けなければならないし、会社へ行っていた。 とある土曜日、その日は1日中会議をするので、私ひとりが電話番としてフロアに残された。 同じフロアにある他の部署は全部お休みで、そこにいるのは私ひとりだった。

俺がとり憑かれていた時の話をテキトーにする:6

そんなわけでこれは霊能者に頼るだけじゃどうにもならなくなった。 ここはひとつ、自分の中でも戦わなければ、ずっとこのままかもしれない。 生活に支障が出るのは困る。そして腹立たしい。 毎日毎日私の中でAさんがひいひいと泣いているのが許せない。 とはいえ、どう戦ったらいいのかわからない。 それで無理矢理ひねり出したのが、勧善懲悪法と勝手に名付けた方法である。 それはとっても簡単だが、この時点では有効に働いた。 何故なら、私に死にたい理由がなかったからである。 というわけで、ネガティブな思想は総てAさんの思考であって、私のものではない、と、否定することにした。これが案外上手くいった。 ただ、楽しいことだけ考えるというのも、現実をみればそうそう簡単なことではないのだけれども、このときは完全勝利と言っても過言じゃない。 だけどAさんにとり憑かれていたこの期間は、はたから見てもそうとう具合が悪いとわかるようだった。 ある日更衣室でEさんに「最近、具合が悪そうだけど大丈夫?」と、声をかけられたのがきっかけで、とりあえずEさんにだけはとり憑かれていることを話せるようになった。 現状を理解してくれる人がひとりでもいることが、精神的にも落ち着けて、よかったと思う。 この一件からEさんとはスピリチュアルなことを話すようになった。 霊能者のところで除霊を受けて、自分でも対処して、理解者もできて、そろそろ落ち着きかけてきたころだったと思う。地元の友人Kちゃんから誘いがあった。 久しぶりにゆっくりしゃべろうということになり、モーニングを食べるために喫茶店に向かった。 そこで偶然、高校の同級生Tちゃんを発見した。 TちゃんはKちゃんと中学から同じなので、当然顔見知りだし、私も知っている人物だ。 ひとりでボックス席に座っていたTちゃんと合流し、私達三人はおしゃべりを始めた。 近況を話していたところ、Tちゃんは「実はカフェを経営したいと思っている」と言った。 私は実家が飲食店だし、色々と話がはずんだ。 そしてTちゃんは、当時の地元ではかなりおしゃれなカフェでバイトをしていると教えてくれた。 そこの店主さんはとても親切で、Tちゃんの目標を叶えるために、色々とアドバイスをしてくれていることなど、Tちゃんが頑張っていることをたくさん聞いた。 私とKちゃ

俺がとり憑かれていた時の話をテキトーにする:5

その晩、私は夢を見た。 会社のビルのエントランスにあるエレベーター。朝のラッシュですでに満員。 乗れないので次を待つことにした。目の前で閉まろうとする扉。 社内の人達でぎゅう詰めのその一番奥から、申し訳なさそうにこちらを見るAさん。 エレベーターの扉が静かに閉じる。 「ああ、やっぱり来ちゃったか」 私は夢の中でそう思った。 それから1週間、きちんと3食とっているはずなのに、私の体重は10kg近く落ちた。 さすがにフラフラになって仕事にでかけるのも大変だった。 医者には行ったが原因は特にみつからず、薬も処方されない。 もしかしたら。 他に解決法が思いつかなかったので、両親が信用している霊能者に相談することにした。 うちの両親はその当時、毎週その霊能者のところへ出かけてお祓い? を受けていた。 2~3時間ほどお経を上げてもらうのだが、そのとき私はトランス状態になって泣き出した。 このへんはよくテレビで除霊とかやってるのを観る人もいるだろうけど、あれを思い出してもらうといいかな。まったくあの通りで、なんだかわからないうちに喋りだしたりするのである。 で、その時も、「体調が悪いんですけど医者では原因不明で」みたいな相談をした。 それでお経を上げているうちに、突然倒れて泣いて喋りだしたわけだ。 自分の意識ははっきりしているんだけれども、体がまったくいうことをきかない。 自分じゃない声で、ひいひいと泣いている。 心の中もふたつにわかれているように、このときは感じた。 冷静な自分と、悲しくて死にたくて仕方ないAさんの気持ち。 この時初めて私はAさんにとり憑かれているのだとわかった。 お経が終わってから、霊能者に、以前も母の友人が死んだ時に夢をみて、死ぬ前の顔が真っ黒だったということを話した。だけどおばさんの時のように襲って来なかったから、とり憑かれてはいないだろうと思っていた。というか、おばさんには襲われたけど、別にとり憑かれてないし。 霊能者の答えはこうだった。 「それは単にAさんが控えめな性格だという話で」 そんなわけで、私はAさんとお別れをするために、この霊能者のところへしばらく通うことになった。 完全に切れるまでどのくらいかかるのか、さっぱりわからない。 そして普段の生活の中でも、ふとしたときに、いきな

俺がとり憑かれていた時の話をテキトーにする:4

「お疲れ様です」 とりあえず挨拶はしたが、重苦しく黙り込んだ二人から返事はなかった。 制服を着替えながら、何か言葉をかけたほうがいいか迷っていたが、おもむろにHさんが口を開いた。 「Aさんが死んだ」 私はHさんへ振り向いた。 「は?」 それからあとはBさんが説明してくれた。 昼頃、Aさんの実家から電話があった。 緊急事態が発生したため、至急帰宅して欲しいと、Aさん父からの報せだった。 Aさんは、自分の父親にその理由を尋ねた。 Aさん父は頑として答えなかった。 押し問答はしばらく続いた。 とうとうAさん父は折れ、Aさんに帰宅を乞う理由を告げた。 Aさん母の自死。 電話を切ったAさんは、会社を飛び出した。 Bさん「それから行方不明」 Hさん「ついさっき警察から電話があって」 Aさんは、とあるビルから飛び降りた。 屋上にメモ書きの遺書が1枚おかれていた。 制服姿だったため、すぐに会社に連絡が入った。 Bさんは、「悩み事があるなら相談してくれればよかったのに!」そう怒りをぶつけるように、誰にともなく叫んだ。 「今朝だって、婚約指輪を見せてくれた!」 そうして立ち上がり、Aさんの鍵のかかっていないロッカーを勢い良く開いた。 「私服だってまだここにあるんだよ!」 Bさんの憤りを、Hさんと私はただ見守るしかなかった。 しばらくして『俺チャネ』にも登場するEさんがやってきた。 ただ私はその間も、ひたすらAさんが私のところに来ないことを祈っていた。

俺がとり憑かれていた時の話をテキトーにする:3

この<顔が黒く見える>という現象は私にだけそう見えるもので、他の人にはわからなかった。 そして、私がAさんを嫌う理由も、誰にも明かせなかった。 もし他の誰かに相談できたとしても、Aさんは誰からも認められているできた女性である。 私に理がないことは明白だ。 私の心は、毎日、解決法のない問題と戦っていた。 自分の中だけで葛藤を処理せねばならなかった私は、この頃の精神状態を最悪のものだと記憶している。 それでも表面上は普通に対応しており、まだ若かった私は、これで社会人としての処世術を身につけていったのではないかと思う。 そんなある日、地下鉄への帰り道を歩いていたら、後ろから声をかけられた。 Aさんだった。 「島村さん、☓☓駅?」 「はい」 「じゃあ同じだね。一緒に帰ってもいいかな?」 もちろん、断る理由などない。 「島村さんは彼氏いる?」 「いいえ」 「そう。あのねえ、Bさんから聞いているかもしれないけど、わたし、婚約したの」 「おめでとうございます」 「式は3ヶ月後。あの人気のある式場が予約できたんだよ」 幸せそうなAさんの笑顔が続いた地下鉄までの道のりだったが、私にとっては拷問に近かった。 話のほとんどはあらかじめBさんから聞いていたことばかりだった。 Aさんの彼氏の話と婚約のこと、結婚式の日取りなど、明るい未来へ向けての彼女の語り口は今でも忘れられない。 それからまたしばらく経った頃だった。 仕事を終え、女子更衣室に入った私は、いきなりBさんの喫煙姿を目にする。 隣にはHさんが、同じように足を組んで腰掛け、煙草をふかしていた。 喫煙室でもない場所で、二人は灰皿を持って静かに煙草をふかしていた。

俺がとり憑かれていた時の話をテキトーにする:2

Aさんは実に気さくで丁寧、心遣いが細やかで、当時まだ若かった私には「これが大人の女性というものか」と感動するくらいのできた女性であった。 同じ受付嬢のBさんでさえも、「憧れの女性はAさん」といってゆずらないくらい素敵な女性だ。 ところで、受付嬢のBさんとは歳が同じだったこともあって、割といろんなことをしゃべったり、就業後に遊びに行ったりした。 Bさんが喫煙室に行くときは、私は吸わないのに無理矢理連れていかれてしゃべりたおしていたり、まあそんな感じで仲が良かったといってもいいかもしれない。 ただ、外見オタクな私と、今風にいえばギャル系なBさんが仲がいいというのは、周りからはちょっと不思議がられていたw そんなわけなので、Aさんが素晴らしい女性であることは、普段の彼女からも、Bさんからの情報でも知ることはできた。 だが、ここでひとつ、重大な問題がある。 私は一目みたときからAさんが大嫌いなのだ。 Aさんからはいじめを受けたわけでもないし、普段の行動からAさんを嫌う理由など何一つないのに、私はとにかく彼女が大嫌いだった。 いわゆる「不良が委員長を嫌う」ような、世の中に対して拗ねた気持ちからでもない。 理由はたったひとつ。 彼女の顔が真っ黒に見えたこと。 それだけである。 何故顔が真っ黒に見えるのか、それには理由があった。 彼女があちらの世界に引きずり込まれていることを示すものだ。 これは私の経験上の判断である。 高校生の頃、母の友人の見舞いに行った。 小学生の時に、よく一緒に旅行したこともあり、よく知ったおばさん、という感じのつきあいだった人だ。 母と一緒に見舞いに行ったはいいが、何故か私は入り口の大きな待合室で待たされ、おばさんの病室まで行ったのは母だけである。 待合室のテレビをぼーっと観ながら座っていたら、母と一緒におばさんがやってきた。 病院の寝間着のままのおばさんは、昔の面影もないほどやせ細っており、そのおばさんの顔はAさんと同じく真っ黒に見えた。 だがそんなことを本人に伝えるのはいけない気がして、母と二人でおばさんに挨拶をして家へ帰った。 帰り道、「おばさんの顔が真っ黒に見えたけど、何の病気なの?」と母に訊いた。 おばさんは胃がんだった。 それから数週間後に、私は夢を見た。 高校の教室で友だち数人

俺がとり憑かれていた時の話をテキトーにする:1

というわけで、気晴らしに昔の話をつらつら書くことにした。 色々と反響をいただいた『俺チャネ』の、その前の話になる。 当時、私は某一部上場企業でバイトをしていた。 営業の部署で、PCを使って書類やら統計やらをするバイトだった。 さすがに一流企業なので、自社ビルだった。 いまどきの一流企業だと、受付にはモニターと電話があって、そこで取引相手と連絡をとる、なんていうふうになっていると思う。 だがその当時はまだまだそんなシステムはなかった。 どうでもいい話だが、愛知万博当時の某一流企業の受付には、モニタの横にマスコットキャラクターのモロゾーとモッコリ…じゃねーや、なんだっけ、とにかく森に住んでるあいつらが並んでて、私は取引相手が現れるまでそのぬいぐるみをなでなでしていた。 その会社に行くときは常にぬいぐるみをなでなでしながら相手を待っていたんだ。 他に誰も人はいないので、絶対バレてないと思ってた。 ところが、実は現場をみられていて、取引相手にクスクス笑われていた。 …という事実をだいぶ後になってから聞いた。 まあそんなどうでもいい話はともかく、その当時はまだそういったシステムは導入されていなくて、受付嬢がいるエントランスがあるビルだったんだわな。 さすが一流企業だぜ。 なんてことを当時は思ったものだった。 んで、その受付嬢が、当時は3人くらいいたかなあ。 交代制で常に2人はいた。 受付嬢といえば定番の制服、ってものがあって、その制服は私も着ていた。 なので女子ロッカーでは受付の人ともよく会っていた。 ってゆーよりも、流石に受付嬢だけあって、新しく入ったバイトでも一発で覚えているものらしい。 バイトの面接に1度来ただけだったのに、すっかり顔を覚えられていて、初日で速攻担当部署に連絡してくれて、愛想よく「よろしくね~」なんて声をかけてくれた。 その相手を、仮にAさんと呼んでおこうか。 実に物腰の優しげな、コミュ障なんかとはまったく縁のない女性だった。

音声レイヤーとマナーモード

読者さんチーッス。しまゆーッス。 気づいたら3月になってましたッス。もう春って言ってもいいッスよね。 この先の季節は、女子的にはブラジリアンワックスが気になります。 さて、この前、ちょっと面白い話を仕入れました。 一応ブログに書いてもいいという許可ももらいましたので、ちーっと書いてみるッス。 話してくれたのは、仮にOさんとしときます。 Oさんは、先月の『不安奇異夜話』を生で聞いていたそうです。私はあとで聞きましたけど。 最初のほうは、いたこさんと、らいとまんさんと、りんすけさん? でしたっけね、3人でお話してましたよね。 ほんで、Oさんが言うには、りんすけさんがお話ししはじめたあたりで、何やら男性がぼそぼそとしゃべっている声が聞こえたらしいんです。 あれ? もうひとりメンバーが増えたのかな? と思ったそうなんですが、4人目の男性の声というのは、何をしゃべっているのかまったくわからなかった。 Skypeが混線しているのかな? とか思ったそうですが、よくよく聞いていると、りんすけさんがしゃべっている手前にもうひとつ、音声レイヤーみたいなものがあって、そこでしゃべっているように聞こえたらしいんですな。 そんで、おかしいなあ、聞き間違いかなあ? と、思った。 そのうち、りんすけさんの話の内容が終わったあたりで聞こえなくなった。 あれー? ねとらじの混線かなあ? Oさん、思ったんだ。 けどまあ聞き間違いとかもあるだろうし、それはそれで忘れてしまった。 そのあと、ファンキーさんが参加して、携帯のマナーモードがうるさいとか言い出した。 これ、聞こえないとか、いたこさんは言ってませんでしたっけ? でもOさんは聞こえたらしいんだな。ブー、ブー、って。 だもんだから、Oさん、今日の放送はアタリだなあ、なんて思ったんだって。(何のアタリやねん) ちなみに私はいつも録音を聞いているので、何時頃に終わったのかよくわかってないんだけども、Oさんは最後まで聞いて、それから寝たそうなんだ。 そしたらいきなり金縛り。 「くっそwww おまwww」 とか言ってかなり抵抗したらしい。 が、いきなり額を細身の男性の右手で押さえられた。 そう、金縛り&男にのしかかられている状態。 男は右手をOさんの額にかけ、左手でOさんの右肩を押さえ、Oさんの左足