俺がチャネラーだった時の話する:7

幸せ脳汁に洗脳された私は、この攻撃に耐え切れず、ついに天使のチャネラーになることを決意する。
だがしかし、チャネラーなんていうハイカラな横文字名称だが、それが霊媒だということは承知していた。
世間からみれば頭のオカシイ人の仲間入りをすることになる。
当然抵抗があってしかるべき事態なのだが、この幸せ汁は最強だった。

それでも多少の抵抗を考えつつ、まずチャネラーになる前に、本当にできるのかどうか、それを確かめねばならないと思った。
できないのなら天使にあきらめてもらえるだろうし、とも思った。
私はチャネラーの講演会にたくさん出かけているEさんに、ひとまずみてもらうことにした。
Eさんは喜んで、共通の友達であるMさんと二人で私の家まで来てくれた。
そこで二人を相手にチャネリングの実演をした。
結果、大好評だった。

すぐにEさんはスピツアーで知り合った、とあるライターさんに連絡をとった。
そのライターさんのところまででかけて、私はチャネリングの実演をした。
ライターさんも相当数のスピツアーを経験している人だったが、私のチャネリングを絶賛した。
私はひとさまに喜んでもらえるなら、と決意し、3年間だけ天使のチャネラーになることを承知した。
今思うと相当のお人好しである。
あの頃の俺、バカバカバカ。

それからは、あれよあれよという間に大きな会場でチャネリングの披露、そして個人セッション(二人だけで天使にご相談、とか)も、バイトの休日いっぱいに入るようになった。
このときの広がり方は、ネットがある現在よりも早かった。
そしてでかかった。
ちょっと調子がよすぎると思うくらい、トントン拍子に話がでかくなっていった。

そうして半年後くらいには、私のために会社を起こそうとするHさんという人物までもが現れるくらいの広がり方をみせた。
これ、どう考えてもおかしいよね。
うん、絶対おかしいんだ。

そんなとき、件のでかい事件が起きる。
あの世紀末大事件の年だった。

その後、新しい会社をつくろうとしていたHさんが入院した。
会社で突然の吐血をして救急車で運ばれた。
原因は内蔵にできたでかい腫瘍だった。
Hさんは数ヶ月の入院後、無事退院した。

そんなこんなで月日は流れ、いつのまにやら約束の3年が過ぎようとしていた。

天使との約束は3年だったが、それを過ぎてまもなくだったと思う。
ある日、ふと、天使の感触がまったくなくなった。
どう頑張っても天使は憑依して来なくなった。
その上、なにやら体調がおかしかった。
いつもの貧血とかとは完全に違う感じだったが、私はHさんが作った新しい会社の手伝いを頑張っていた。

そんな中、夜中に急に腹痛が始まった。
いつものようにトイレに行っても収まらなかったが、2時間我慢してからHさんに連絡をとった。
Hさんが慌てて迎えに来てくれて、Hさんが入院していた病院へ連れて行ってくれた。
結果、Hさんと同じ病気で、内臓に大きな腫瘍ができていることがわかった。
そして病院のストレッチャーに乗った瞬間、私の腫瘍は破裂した。

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