親のため

昔、とある宗教団体の施設に連れていかれたことがある。
とは行っても拉致とかではなく、連れていってくれた人は、私が悩んでいることにたいして何かしらの解決法になれば、と思って連れていってくれたわけだ。
まあ私としては「ネタになる」くらい思っていたことも否定しない。
なにせほら、心霊現象研究家ですから(笑)。

その宗教団体は、見かけが普通の家なのに、中が神社の拝殿のようになっていて、それなのに飾ってあるのが仏像、という、神仏習合的な何かっぽい感じだった。
なんだっけ、ほら、修験道とかだとこういう感じのとこあるよね。でもあれは建物がお寺っぽいところが多い気がするが、まあ神社でも差し支えないんだろう。どっちもありだもんな。

ここでは色々あったんだが、それはさておき(笑)、結構長い間その場所にいたんだ。
合宿生活みたいな感じで数週間、て感じだろうか。夏休みの合宿かなんかっぽい感じ。
その何週間かの間に、でかい集会があった。例祭とでもいうのかなあ。詳しいこと何も訊かなかったからよくわかんないんだけど、その日は信者さんが大勢集まっていたんだ。

その中に、一組の親子連れがいた。両親と娘さんの組み合わせ。
大勢の信者さんが集まって雑談していた所に、すーっと真ん中割って教祖様が壇上にいった。
そこへ、その親子連れの娘さんを呼び出した。
何か新参のお披露目式っぽい感じだった。

そこで何がきっかけだったかよく覚えてないんだが、突然、手を合わせていた娘さんがトランス状態になり、何事かを喋りだした。早い話がチャネリングか。なんか観音だとか言ってた気がする。

そのとき私の興味は、実はそんな他人様のチャネリングではなく、その娘さんのご両親に集中した。
娘さんがトランスってるその横で、お母さんが必死に、小さな声でお経を上げ、両手をあわせて頭をたれ、体中力んでいる状態でガクガク震えていた。
お父さんは娘さんをはさんでお母さんの反対側で、恭しく頭をたれ、あぐらをかいた膝の上に両手を置いて、畏まって固まっている。

そんな光景をみて、自分の実家を思い出したのだ。まるで同じだなあ。と。

滑稽だった。哀れだった。悲しかった。自嘲自責。
自分も必死で親のためにいい子になってたことを、その場で見せられた思いだった。

トランスが終わると教祖様はさっさと自室に引き上げた。
これは確実に見せものだと感じた。
親子連れは信者さん達に囲まれた。

「娘さんはいつもこんなふうに神様とお話ができるの?」
「いいえ、初めてです」
「すごいわねえ。初めてでもそんなにしっかり喋れるの」

その場にいた信者の全員が、親子を絶賛した。褒めたたえた。
その時のご両親の誇らしげな笑顔が忘れられない。
私もまた、両親が通っていた霊能者のところでトランス状態になって喋りだしていたからだ。
やはりその場にいる、他の信者さん達にとりかこまれて、凄いね、凄いね、なんて褒めそやされた。
その時の、自分の両親のドヤ顔が、私には嬉しかった。

だがそんなにしてまで、私は両親に尽くすべきではなかったのだ。
両親はそんな霊能業界に対する私の冷めた思いなどお構いなしに、どんどんのめり込んでいった。
両親の境遇を不憫に思って、そうして認められ褒められる世界にいさせてあげようと思ったのが総ての間違いだった。

私はその時、名も知らない彼ら親子の姿を見ながら、自分とその両親を見ていた。
そして何度も、その娘さんに、そんなに親に尽くすことなんかないんだよ、と、言おう、言いたい、彼らの目を覚まさせたい、と思った。
しかしそれは無駄なことだ。
熱中している最中の人に、客観的な事実をつきつけても、こちらがバカを見るだけである。
そんなことは何度も経験してきた。
それに、私がそれを指摘するまでもなく、もし客観的に気づくことがあるのなら、彼らは自分からこの宗教から離れていくだろうし、それを私が今ここで、大勢の信者の前で教える必要などない。

今、彼らは一体どうしているだろうか。時々、思い出して悲しくなることがある。

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