思うところあり

20代のころ、漫画家を目指していた。
投稿や持ち込みを自分なりに頑張って、小さな賞をもらった。
その後、原因不明のめまいに襲われつづけ、自分の絵柄どころか当時流行っていた漫画の絵柄がすべて見られず、見るとめまいを起こすためなんだが、その後悪化して新聞やその他の文字が読めなくなり、書店、図書館、CD屋などにも行けなくなり、すべてをあきらめた。
それから長い間本が読めなかったが、少しずつ回復して、小説を書きはじめた。
掌編がいくつか採用されるようになってがんばろうと思った。
脳硬塞になった。
幸いにも身体的には障害はないが、高次脳機能障害になった。
構成ができないので小説など書けるわけもなく、こうした雑文が精一杯。
それでも長くなると何を書きたかったのか、落としどころがわからなくなり、何度推敲してもそれで正しいのか判断がつかない。
並行していたネットラジオ的なものも、好評をいただいてリスナーさんが増えてきて、イベントもやれるようになって、今度はこちらをがんばろうと思っている現在なのだが、当然のようにわけがわからなくなって、迷惑をかけることがある。
たぶん、私からお願いをすれば助けてくれる人たちはいるのだろうとは思う。
だが、何を助けてもらえばいいのかわからない。
こういう前提条件があって、そうして、それに解決法を求めた場合、多分、公のシステムはない。
私的なシステムってなんだろう? おそらくは家族なんだろうけれども、私の場合、うっかりするとこういう相談をするれば、「手を合わせていないからだ」といわれるだけだろうから、バカバカしくて相談もできない。
けれど、例えばこういうことが何度も続いて何度も絶望感を味わっていれば、信仰やスピにすがろうとする気持ちは理解できる。
現実的な解決法ではないけれど、気持ちの問題、でね。
そうして、現実問題として解決法を探しても、こうして何度も叩かれて芽が出ない状況が続けば、そこで一発逆転を誘うスピがやってくるのなら、簡単にそちらに転がって行くのも仕方がないことだとは思う。
でも私はそうはならない。
ただ、やはり願望は叶えたい、というか、やりたいと思うことはあるのだ。
そのためにスピがありますよ、というのなら、その実績をみせられたのなら? そう考えることがないとは言いきれない。
願いは叶うことのほうが少ないのであろうか? それとも、気づいてないだけで願いは叶っているのか? だとしたらそれは誰の願いなのか? そういう恨み言を考えるくらいの自由はあってもいいだろ。

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