『秘密のお茶会』の内容を聞いていたら思い出したこと

 

このサムネはわしなんじゃろかw
ともかく収録した時はなんか悪いこと言った気がするから補足しときますw

昔、関口宏が司会してたスピ番組があったんだけど、わしの記憶が確かなら、その当時カナダのキリスト教会で若いシスターがマリア様を視る、とかいうので話題になって放送された回があったと思うんよね。
その人がマリア様を視ている現場の映像が流れたんだけど、あ~これ視てる時の感じ、ってはっきりわかるような映像だったので、その人は何かを視てはいたんだとは思った。
なので、単純にわしがそういう神様を視ない、というだけであって、存在や信仰を否定してるわけではない、ということはちゃんと覚えておいてほしい。
何か意図があるとかそういうこともない。わしが視ないだけ。

ついでに書いておくと、そのシスターがわしの当時の友人にそっくりだったのがいまだに強く記憶に残ってる。その友人はわしが人生で初めて会ったキリスト教に改宗した人だった。という偶然もまたおもろいものなのである。

ちょっと追記。
眷属なのかどうかって話だけど、そもそも神様を視てないので眷属も何もないと思う。
神様のお使いというのは上下関係がある、ってことでしょ?そういうのって何か違うんだよなあ、感覚的に。なんとも説明がつかんのだけど。

あと1日の中でもいるものが違うのはそうなんだけど、特別な日にちにだけいるものもいるんだよね。あれは何が違うのかとかはわからん。けどいる日にちや時間が違うだけで、これは野生動物の類と同じ。

あと、修験や山岳信仰的なもので仏像が視えるてのはそうなんだけど、これも仏像といういわゆる何かの術を形として現したものなんじゃないかとわしは感じている。
それはここでいう野生動物に例えている神様じゃない。ただ形としてそこにあるものなんだよな。けどこれはたまに口をきく。そこが神でもないし、だからって仏はわしが視えてない方の部類の創唱宗教の神になるから、それとも違う。
故に何かの手法(術)で形作られた何かなんだよな。そこがまた違う。
で、なんで仏像の形で視えるのか、つったら、そりゃ神社だけどそこでお経あげてるからだよ。神仏習合だもんな。

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