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マジシャンと霊能者を同じ土俵にあげてはいけないと思うの

 昨夜ツイキャスをしたのだけど、咳がひどくて15分くらいでやめました。 内容をご覧になりたい方は こちら からどうぞ。 そんなわけで文字でも書いておこうと思う。 さて、なんでタイトルのことを書こうと思ったかといえば、 とあるユーチューバー氏の動画 を観てからである。 最初にお断りしておくが、佐田さんに文句を言いたいわけではない。単純に、一般的な解釈だとそうなるのか、というショックが非常に大きいので書き残しておこうかな、というだけの話。彼女に啓蒙したいとかも思っていないので、直接コメント欄に書き込むのは申し訳ない気がしてツイキャスをやったのだ。 この、マジシャン対超能力者的な対決って昔からあって、有名なのは ジェームス・ランディ だと思う。結構長生きされてて、お亡くなりになったのはつい最近だ。(年寄りの最近) 彼の場合をみていただくと非常にわかりやすいかと思う。 彼はとある交霊術集会に参加して、そのトリックをあばいた。これに関してはその当時、霊媒として活躍していた人たちが手品のトリックを使ってポルターガイスト現象を引き起こし、さも霊との交信に成功したのだと偽って人々(金も)を集めていた、というところが問題であった。 それをあばいたのだから、マジシャンからみての種明かしであるわけで、それは当然のことだと思う。この件で、霊媒という名称に傷がつき、それらの偽霊媒師はこぞってチャネラーと言い換えたわけだ。よくある、都合が悪くなると名称を替えるアレ。 それはまあともかく、実際の霊媒というのはテーブルを揺らしたり、トランペットを鳴らしたり、口から蛍光塗料のついたガーゼを吐き出したりしないのである。長年の修行(お前がいうなと言われると何も言い返せないw)の末トランス状態に入り霊の言葉を降ろすのが精いっぱい。 だけどね、観ている側からするとそれだけじゃつまらないわけですよ。そうなってくるとたまには口から花を吐いたり、目から真珠が出たり、手から金の鎖が飛び出したり、フォークが鶴の形にぐにゃぐにゃになったりしないと、観客は満足しないわけ。(メンタリストはフォークを曲げがち) そうなってきたら、コレ、手品のトリックの出番ですよ。 昔はエンタメが少なかったから、こういう神事の番外編みたいなものにもエンターテイメントが求められたんだね。わからんでもない。祭りってそういうもんだ。 だけど、それ、

霊能イベント配信アーカイブのお知らせ

 1月4日に行われましたトークイベント、テーマは憑依と霊能について考える。 ほかでは聞けない濃い内容の、興味深いトークライブでした。 配信のアーカイブは2024年1月18日(木) 23:59 まで視聴可能です。 興味のある方は是非ご覧になってください。(有料です) 昼の部「憑依を考える」 夜の部「霊能者とは何者か」 私自身、参加して非常に興味深いお話をいくつも耳にしました。 今回はじめましてでしたが神崎さんのお話も大変興味深いもので、個人的に沖縄に行けない(笑)理由も吹っ飛ばすくらい興味を惹かれました。 まず、今までの心霊やオカルトのイベントでは聞いたことがない、おもしろい内容だと思います。 それから色々気づいたのですが、さむさんが主催でやってくださるイベントのおかげなのか、他にも私と同じような意見(個人的にネットや他人から聞いた話などでは私と同じ意見はまず見ないので)や、また今まで聞いたこともないような情報なども集まってきていると実感しています。 この先続けていけば、色々な情報が集まり、悩める人々を解決に導ける方法も集まるのではないかと、個人的にはとても期待を持って参加していると、胸を張って言えるのではないかと感じました。 新年色々なことが短期間で起こり、先行きの不安を抱えておられる方も多いかと思います。 それでも前を向いていける情報を集めていこう。 そう思えるイベントでした。 それからとても嬉しいのですが、皆様何故か食べ物飲み物を差し入れしてくださるのですが、大阪の方は親切なのがデフォなのですか?(笑)ありがとうございました。 最後に、霊能者だと自覚がある方は是非、 さむさん に連絡を取ってみてください。 マジで悪いようにはなりません。ほんとです。我々霊能を持つものに役立つ情報交換の場であることは間違いないと思います。

2024年1月4日イベント告知 「憑依と霊能者Q&A」

 と、いうわけで、なんば白鯨さんでトークイベントを開催します。 今回のテーマは憑依と霊能者について。 宗教研究者のさむさん、沖縄から神崎英敏さん、名古屋から私が登壇します。 さむさんと神崎さんの前回のイベントでは霊障が発生? 配信が止まるなどの不可思議現象も。今回は私がいるので、更に何かが起こるのか? それとも何も起きないか? それは観ないとわかりません。ぜひこのトークライブをお楽しみください。 日頃の心霊研究の発表でもありますので、研究者ならではの視点や、みなさんの疑問などにお答えすることも。今回は1日2回ありますので、どちらか来られる時間にお越しいただけましたら幸いです。通しでご参加の方にはおまけもあるようです。(私が欲しいw) チケットなどの情報はこちらから。 新春オカルトSP第1部「憑依を考える」 新春オカルトSP第2部「霊能者とは何者か」 よろしくお願いします。

このブログは個人の妄想を書き綴っています

気の毒ではあると思うが、これ、わし個人の場合、表に出るという行為自体に制限がかかるんよね。 だからまあ表に出られる(出させられる)以上はそれだけの返りがある、というか、当にこの業界なら呪詛返しみたいなもんなんよ。 それは個人の性格もあるけど、因縁というか、個人ではどうしようもない年季(因縁と時間の積み重ねという意味で)の流れというか、そういうもので決まっていて、立ち向かって勝てる人と負ける人、どうにもできない人、どうにかできるけどそこまでしかできない人(こういう場合は次に繋がるのでステップとして必要だけど、その時には理解できないから個人の感情としてはモヤモヤしちゃうね)など色んな場合が、段階が、あるんだわ。 それ説明が難しいというか、そういうもんだ、としか言えないので、仮にも霊能者という能力(仕事ではない)を持っている場合は強く出ているように見える。 これは霊能者でない場合、(一般的に霊感がないとか言おうとも)それも同様なので、どこでそれが決まってんだ?!という憤りも感じる。 そういう場合にその憤りを引き受けてくれるのが神というものなのかもしれん。 無関心で無慈悲というわけで、それは大自然というものかもしれん。 宇宙の真理とかいっちゃうのかもしれん。 そういうあっちの世界の仕組みはわしにはなんで?という意味では理解できないが、確実にある、としか今は言うことができない。 その意味で言えば、マスメディアに出ている場合はそういう返りもでかい。 わしはその返りに耐えられないから表に出られないのかもしれない。 表の絶対数が決まってる気がして、そしてそれ以上になると必ず潰される。 面白いくらいにそういうことが数多くあった人生なので、そこはもう潰れた時に、あ、最大数越えたんだ、くらいに思うようになった。 これも人それぞれ決まってることなのでどうしようもない。 諦めるよりも、その中でできる範囲内でできることをやる以外はない。 追記:数字の話。 このブログだとまあだいたいよくて30PVくらいあったら普通なので、たぶんネットでは100PVくらいが、私の場合の安全値だと思われる。 ついで同人誌が、つっても100冊以上売れそうだったんだけど、それ以上になると脳が理解できなかったwので、多分それくらいが上限なんだろうと思われる。 商業出版だと…まあ、てのひら関連のあれに3編採用されたけど、そ

結局自分の世界でしかない、という結論に辿り着いてる

 今年の締めくくりというわけでもないけど、まあ12月だからいいか。 長年心霊関係の書籍など読み漁って至った結論ですわ。 よくある霊能者本てのは、大抵は’大昔の苦労話→能力のせい→能力を活かすための苦労話→俺の教団に来い’というパターン。 心霊研究者(自分で能力がある、ない含め)が長年みてきた経験談。だからあっちの世界は存在する。(なんでそれが存在する証明になるのかわしには理解できん) 客観的体験を綴っただけのもの。(第三者的視点というよりも二人称っぽい感じでもある) こうすれば能力者になれる!ハウツー本。 なんかわからん存在からのメッセージ?かな? 俺の見てきたあるいは考えた最強の霊界。 こんな感じかなあ?と思う。例外として’俺の教団のお経本’とかもあるな。あんまり冷静に’こういう存在からこんなメッセ来たんだけどよ〜わからん。とりあえず読者に投げとく’というものはない?かもしれん。まあ読者が作者の思う通りに理解してるわけではないのでなんともいえんが、正解はないのかもしれん。 そんなような長年の経験上、歴史的に受け継がれている技術的なものは、伝統宗教に集約されとる気がするので、街場の霊能者は ’俺だけが最強の世界’ でいいんじゃないかな、って確信したね。だいたいその霊能者一代限りの話ってのが多すぎる。つかそれしかない。 だからわしの言うことが世間一般の霊能の常識みたいな話と何一つかぶらない、というか一致しないとしても、それは俺だけが最強の世界だからであって、誰もその後を継がなくて正解なのだ。 そういうことを本当にマジで今年から実施してたけど、何も変わらず、わしにあるものは変わらず、そして相変わらずわしが見ている世界が正解である、ってことを変わりなく過ごした。 なので今後もこの姿勢は変えずに、この先も心霊研究を続けていきますよ、っと。 余談:あんまり読者がいなくてうるさいコメントや反応ボタンもない、なにか長文が書けるサイトないかなあ、って思って探しても、結局ブログに戻ってるから、まあそのあたりも、今後はそういうことでここを続けていくだろうと思う。最近エッキスはあんまり見てないし、Blueskyはどんどん時間が伸びているので、SNSの拠点もどうするかわからんけど、それでもやっぱりブログはやってるかもな、っていう。そんな気はしてる。

霊視メモ:キキョウ、カタクリ?

 ことの発端 平成9年 秋頃? 当時私は店をやっていた。両親と一緒に働いていたが、父が「この店には女性の霊がいる」と言う。 確かに女性の霊がいるのは知っていたが、私は特に気にしてはいなかった。 両親が女性の霊がいる理由を知りたそうであったので、女性の霊と交信してみることにする。 女性の霊を私に降ろしてみたところ、女性は「キキョウが…キキョウが…」と言う(私の口を借りて喋る)。その時私に見えていた映像は、小さめの青い花。野草?山中の光景。しかしキキョウと言う割には花の形は違った。時代は江戸期と思われた。女性の袖が見えたため。 全体として女性の主張したいことは以下。 彼女は薬草のキキョウを採りに山に入った(私の店が建っている土地は山を切り開いて作った住宅地である)。その際足を滑らせて斜面を滑落した(本人は崖から落ちたと言っていた)。結果としてそこで死んでしまったのでずっとここにいる。 当時調べたこと キキョウの薬効:咳止め、痰を切る。 今朝のこと NHK BS1にて「 薬草歳時記 」を観る。宇陀の山奥でカタクリを見つけるエピソードが紹介されていた。時代は吉宗の時代(徳川吉宗 在職1716~1745)。 花の写真を観たところ、上記女性の霊を降ろした時に見た青い花の写真にそっくりであったことを思い出す。カタクリの薬効→嘔吐、下痢、胃腸炎。 花の形、カタクリは山奥に自生していた、という内容で、上記女性が江戸期に薬草を採りに山に入る可能性は高かったことを確認。まあこのへんは時代劇にもよく描かれる。 ただし女性の霊を降ろした時に見た花は形がカタクリで色がキキョウであったため、もしかしたら女性は花を間違えて記憶していた可能性が高いと感じていたことの確認ができた。また薬効も、女性は咳止めのものではなく、下痢止めを求めていた気がしていたので、ちょっと不思議に思っていたが、そのあたりも彼女の勘違いで山奥に入り運悪く転落死亡、の可能性高まってきたように感じた。 結論 まあ、俺ってやっぱマジすごい能力者じゃね? とりあえずブログに記事でも書いてメモっとこ。 あとついでに、NHKさん時々こうしてドキュメンタリみたいなやつで俺の霊視を確認させてくれるな。以前も、「どうしても前世を見てほしい」と言われて見た建物が、アイルランドに実在してたのを確認したことがあったしな。やだマジで俺すごい能力者。 自

というわけで昨日の感想文の続き

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 全体的によき本だと思った。実際のところを書いている。 ただまあ暴いた結果、みたいな話は書いてないけど、それは別の人達に任せるとしてw それでも一本筋の通った、そっちの立場からみたちゃんとした書き方はしてるので好感を持った。 最後に書いてあったところが特に。昨日も抜き出したあたりが一番最後だった。あとの残りは全部参考文献だったので、ここもゆっくり見ないとだけど、ありがたい本だなあ。 ほんでまあTwitterにも…じゃない、Xにも書いたけど、 今ふっと思ったけど、欧米の霊能者って霊能者なんだけど、日本の霊能者って現代魔女なんじゃないかなあ。近い気がする。単独が基本だけど小規模の団体に所属する場合もあり、背後霊が複雑で多様。ほら〜。 画像はジョークなので本気にしないでもらいたいんだけどwそう考えたら情報交換と交流のみでも成り立つのでは。妙なカルト教祖にならないようにお互い情報交換は必要と思うので。そこは大事なんじゃないかなあ。反社会的になっては意味がない。文化の一部にならないと、と思うなあ。 とか思うので、躍起になってどうこうせんでもいいような気もしてきた。 わしも一応は さむ占 (小規模団体)所属なわけだし、みんなで頑張ってこ!みたいな感じにはもうなってるしな。 メモ: 日本スピリチュアリスト協会