エンタメは適度に利用する

 わしがチャネラーを辞めた時は1996年年末か1997年年始くらいだったと思う。
その時はまだまだ信者がいて、個人相談をやってくれと言われ続けてた。
けどチャネリングのソース(天使)はとっくの昔(多分1996年の10月後半くらい)にいなくなってた。
つまりわしはわし自身の言葉でしか個人相談できないわけで、それでもいいならやるけど、と散々言ってきたのに、いざそうなったら「天使の言葉じゃない。あなたは不要」と言われた。

これでやる気がそがれない(うつ病にならない)のならほんとうによくできた人だけど、わしはそうじゃなかった。
とりあえず樹海に行ってみるか(目的はソレ)と軽い気持ちで高速を走らせていたら、知人が近所で暮らしているのがわかり、そこで暫くお世話になった。
その後は普通に派遣で仕事した。パソコンができる人でほんとうによかった。

それから、日本公開は2000年の3月だけど、映画『ロードオブザリング』三部作にはまった。
理由は単純にオタクだったから、とも言えるけど、原作は高校生の頃に読んでる(けどうろ覚え)し、テーブルトークロールプレイングゲーム(TRGP)の特にファンタジー系やってたし、ゲームブックも通ってきた世代。はまらないわけがなかった。
そして主人公とわしは誕生日が同じ。主人公は強大な力の誘惑(世界の王になれる。わしの場合は教祖になれる)にうち勝って指輪(わしの場合はチャネリング能力)を破棄する。そして日常に戻る。

主人公に自分を投影して気持ちをなんとか切り替えることができた。
本来の正しいエンターテイメントの利用方法の一つではなかろうか。

こうやって自身の体験ではないが、現実に問題としてふりかかってきている精神的な問題を、エンターテイメントを利用して解消したからこそ、わしはなんとか生きている。

けどまあ映画のラストはアレだよね。結局生きている限り理解者はなく、己の正当性も担保されない。誰もが欲しがる素晴らしく強い魔法の力を破壊したんだから、一般人からみれば悪魔よ。(だがその一般人が強い魔法の力を制御できると思ってんのかね?)

だったら、自分だけが自分を理解してとりあえず死ぬまでは生きていこう。そう思った。
この能力は誰のものでもない、わし自身のものである。
それだけでも十二分にわしには利益があった。そういう素晴らしい映画だった。
エンターテイメントの力というものは信じてもいい。

コメント

このブログの人気の投稿

顔が黒く見える

宜保愛子がビビッて入れなかった心霊スポット

【イベント】霊媒とバシャールと私【告知】