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気がついちゃったらしょうがない

前回までのあらすじ。 霊媒をしていた私はチャネラーと霊媒の違いに気づいた。 それは「問題を解決するためのきっかけ」と「エンターテイメント」という剥離。 その隙間は埋まるのか? そんなよーなわけで元々いい加減な私ですので、お客さんがそんな風に答えを求めてくるのなら、まじめにやったってしょーがねーよなー。 というような、ちょっと「自由を求めて」グレちゃったんですな。 それでもまあ根っからの芸人根性もありましたもんで、ちったあお客さんに受けるようにしようとは思いましたんですけども、どーにもこーにも身が入らない。 でもニューエイジ企業に囲われてたもんですから、当然のごとくお仕事が入るわけです。 しかしやる気がでない。 だってお客さん、まじめに問題を解決する気がないんだもん。 宗教結社に来ているような人達とはまったく違うんですな。 それで適当にやってる自分と、それでも純真に人の役に立ちたい真面目な私が対立してて、かなり葛藤はありました。 ありましたが、あまりにも遊び気分のチャラチャラしたお客さんしか来ないので、いい加減うんざりしちゃいまして、色々とやらかしましたね。 詳しくは書かないけど、多分それでお客さん来なくなったのかもしれない。 ま、会社自体も今でいうところのブラックだったんで、それもしょーがないかもなー。 うん、ニューエイジ系の会社、たいがいブラックだよー。 それはまあ商売だからしょうがないとしても、約束の3年も過ぎたので、そう、そんなにいい加減にやってても、時間はすぎるのよね。 こればっかりは誰にでも平等だ。 だから、「天使との契約期間が過ぎた」ので、そうね、きゅうべえは宇宙へ還って行きました、てなもんでしょーか、ある日突然、いなくなった。 それで喜びいさんで廃業宣言を出したのですが、ところがどっこい、辞めると言った途端引き止められるんですな。 当時は私以外にもチャネラーはわんさかいたんですが、どういうわけか私にも常連さんがついてまして、まあ人徳かしら(てへぺろ☆)。 何をしても全員には好かれないけど、多少は気に入ってくれる人もいるってことだ。 そんな風に天使がいなくなっても、もっとチャネリングを! と望まれていたのですが、こちとらすっかり嫌気が差してんですよ。 続けるわけないでしょ? それでも1年にわたって

まだ多少やる気のあるうちに

なんとか3日続いたな。 で、いきなり結論を書いちゃいますけど、私がチャネラーを辞めた理由は「何もチャネラーじゃなくてもエンターテイメントは他にもある」という部分ですね。 昨日も書きましたが、チャネリングの内容なんてSFかファンタジーにしかなりません。 そんなものは小説でも漫画でも映画でもなんでもあるような内容です。 それをたった一人のお客様のために、その人だけの物語を提供する。 それがチャネラーなのだ、と思ったからですね。 何もそんなこと、チャネラーとしてやらなくても、今まで漫画や小説を書いてきたのだもの、そっちでやっても同じじゃん。 たった一人のために物語を作るのか、多くの読者に向けて物語を作るのか、それが違うだけでしょう。 そう思ったら、皆から否定されながらチャネラーやるなんて馬鹿馬鹿しいと思いませんか? 思うでしょ? と、ここで少し私の過去の経験に戻します。 私は子供の頃から身体が弱く、高校生の時にそれがピークに達し、原因不明の鼻血や貧血、過剰換気症候群、自律神経失調症などで動けなくなったりするようになりました。(今はないよ) こうなると親は心配し、特に母親なんかは、父親の顔の火傷以来、なんでもかんでも心霊現象にその答えをみつけようとするようになってましたんで、「医者でも原因がわからない=霊障」という実に単純な思考回路に陥ってまして、あっちの霊能者、こっちの宗教と、渡り歩いてたんですね。 で、結局、民間の宗教結社のようなところに落ち着きましたけど、そこは修験道系の霊能者さんが主催しているところだったのです。 修験道系のやり方というのは、オカルトマニアな方ならご存知でしょうが、昔なら慈雲法師とか、つい最近なら下ヨシ子師とか、テレビでご覧になったこともあるでしょう。 ああいった方式で除霊だか浄霊だかをするのです。 大勢で取り囲んで霊能者さんが読経して、てな感じ。 まあ私が行ってた、というか、親が通っていたところはあんなにおどろおどろしくないけど、あれも一種のテレビ的演出だと私は理解しているので、はたから見たらおんなじ様なもんだと思います。 なので、ああいった状況で勝手に自分が思っていもいないことを喋りだすようになってたわけですね。 通ってたのは結局10年くらいだったでしょうか。 なんかある日突然うちの親は「この人

さーて、どこから書いたらいいものやら

なんかもうどうでもよくなっちゃってね~。 いやほんと、やる気ないと生きづらいよね~、中高年は。 というわけで、初めから説明するとすんげー長くなって、書くこちらとしてもうんざりするので、だいぶ端折ってみることにする。 こないだ押入れの奥からチャネリングしてた時の録音テープの書き起こしが発見されたわけですが、これをUPしようにも個人的な相談内容なども書かれているため、公開するには大変まずい部分があるわけで、許可を取ろうにもとれない相手だったりもするし、内容の公開は当然できないわけですな。 なので、ノートの日付だけ書いておきます。 一番最初が1995年7月6日になってます。 ちょうど今の時期、ゴールデンウィークぐらいのときに、初めて大きな天使を見てからすんごい抵抗しまくった挙げ句の果てのチャネラー宣言ですから、まあだいたいそんくらいだったかなと思うわけですね。 翌年の5月にはばあちゃんが倒れて色々大変だったんだけどさ。 まあそんな感じで天使に抵抗してたのは大体2ヶ月くらいかな。 このあたりのことはねとらじでも喋ったかもしれんけど、実はあんまり覚えてない。 つーか、嫌なことは忘れるに限るよね。 そんでまあちょっとパラパラっと自分の文字を読み返してみたんだけど、もう笑えるっつーか当時の妄想乙!ってゆーか、中2病ってゆーか、もうどーしよーもない。 月に住んでいる人だとか、アカシックレコードの管理人だとか、なんですかそのぼくたまは?!みたいなファンタジー全開の内容なんだもん、公開できなくてほんと良かったわ。 つーかこれを元にして小説でも書けばいんじゃね?とも言えない稚拙なSFチックな、なんかもうどーしよもーない黒歴史を覗いたときってきっとこんな感じ!にしかなってないんですよ、奥さん。 そりゃあたしだって長いことオタクやってますんでね、黒歴史のひとつくらいはあってもいいと思うんですけどね、だけどそれが漫画や小説の設定資料とかだったりしたら「あら可愛い(はぁと)」くらいで済むんだけど、あなたこれ超本気でやってるチャネリングですよ? 黒歴史とかで枕に顔をうずめて足をバタバタどころの騒ぎじゃないでしょう。 可愛いとか言ってらんないよ、いい大人がさ。 というような己の恥部をさらけだそうとしている、私は今、芸人に向けて一皮むけようとしているのだ!

誰に向けて書いているのか

久々の記事更新がこんなんでアレですが、まあ基本的になんでこのブログをやっているのか、という話を書いておこうかな~、と、唐突に思った次第です。 で、誰に向けて書いてんの? つったら、自分のためです。 このブログを始めようと思ったのは、去年のお正月、というか、一昨年の暮れなんだけど、年末最後のランチに事務所の近所のお店にでかけ、目が見えなくなったことに端を発します。 私は普段はランチ時に喫茶店をお手伝いしているので、外食にでかけることはありません。 ですが、その日は事務所の年末営業の最後の日だったので、喫茶店のお手伝いはお休みでした。 久々の外食で喜び勇んで、あっつーいお肉をフーフーしながら食べておりました。 すると、右目の端っこのほうが曇ったんですね。 最初、メガネのレンズが曇ったのかと思ったんですが、レンズ外のところが曇ってるんです。 まあ疲れ目で何度か右目が見えなくなったことがあったので、しばらくほっとけば治るだろうと、その時は思ってました。 案の定、30分くらいしたら曇りはとれて、もとの視界に戻りました。 でもそれ以前から2年半以上、暗いところが見えないようになってて、別の眼病もあって眼科には定期的に通っているのですが、そこでも原因がわからず対応のしようがなかったんですね。 それで眼科に行こうかと思ったのですが、もう年末でお休みに入ってました。 そのままお正月休みを過ごしていたのですが、2~3日に一回必ず右目の端っこが曇るようになりました。 たいてい30分くらいで元に戻るのですが、定期的に起こるので、酷い時は1日に何度も起こるので、さすがにまずいと思い、去年のお正月明けに眼科へ行ったわけです。 そこでいつもの検査をして、眼球に以上はないことがわかったので、大きな病院で検査をすることになりました。 結果、脳梗塞の前兆現象だとわかりました。 そこで処方された薬を飲んでいると、三日目くらいから嘘のように目が見えるようになり、暗いところもはっきりと見えるようになりました。 そのとき本当に自分が病気だったのだとわかったのですが、目の病気ではなく脳の病気であったため、他にもまともに考えられないことなどがあって、その機能も治っているのかどうか、それを確認したかったのですね。 それには文章を書いてみるのが一番手っ取り早いかな、と思