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心霊スポット凸配信終焉しろよ

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とは昔から思っております。 Twitterのプロフィールに「スピリチュアル評論家」って書いたらフォローしてくる人がいたので最初に説明しておきますが、わたくしは幽霊否定するぞ!派です。まあ懐疑主義。 というわけで、立て続けに心霊スポットに関するイベントやら動画やらを観たので、その感想を書いておきます。 イベントは愛知県近郊の「いわゆる心霊スポットと言われている場所の紹介」でした。 それ自体に問題があるわけでなく、イベントを観ていて「山岳信仰(修験道)系のものが多いなあ」と個人的には思いました。民間信仰でくくればいいのか。 そこで気づいたのですが、心霊スポットとして有名になるのは、廃墟、もしくは何らかの信仰があった場所です。どちらも人間の営みとして普遍的に行われる「暮らし」の痕跡、もしくは現在もそれが残っている場所などです。 こちらでも色々と言われておりますが、最後の方だけ観ていただければ充分かなと思います。まさに他人の信仰を馬鹿にしたという反省が述べられております。ご覧になられたらご理解いただけるかと思います。 個人的にはどちらでもかまわないのですが、罰が当たればいいな、くらいは思います。それで心を入れ替えたのなら幸いです。迷惑系ユーチューバーは滅びればいいと思っています。 心の中で何を思っても自由ですので、信仰する、ということも各個人の自由です。それは憲法でも認められています。 そしてそれを馬鹿にするのも心の中だけであれば個人の自由なので私は止めません。 表に出してどうこうするのも個人の自由なので好きにすればいいと思います。そして私がそうした人々が滅びればよいと思うのもまた自由です。 みなさんの思うとおりになさればよいと思っています。 まったくの私個人の感覚だと、信仰だけして暮らしていける生活ならとても心穏やかで、己の内面にのみ集中して暮らせるだろうし楽だろうな~、と思っています。現実問題を一切顧みないわけですから、そりゃ楽だ。もしかしたら社会的にはそっちの方が迷惑なのかもだけど。だって生産性がないもんね!ってゆ~昨今の風潮なのか? いやでもさあ、私の地元にもある心霊スポットと言われている廃墟、あれまあ確かに10年もすりゃそりゃ何がどうなってるのかわからんだろうから、心霊スポットと言われるのもわからんでもないけど、じいちゃんの還暦祝いとか、普通に町内会の旅行に行っ

UFO怪談について

 昨日は 日本UFO会議 on Zoom を拝聴しておりました。 興味深い内容があったので、思うところを書いてみます。 ネットが広がり始めた頃、私はスピ業界にいましたし、実際スピ系ホームページを作ったりもしておりました。が、徐々にオカルト業界全体に広がりここ14年位は怪談業界に入り浸っております。 そこで「UFOが出てくる怪談は怪談じゃない」などと怪談の範囲を狭めるご意見なども見聞きしてきましたが、私の感想としては怪異があるならすべて怪談だと思っています。なのでUFOだろうが心霊だろうが妖怪妖精ともかくなんでも、現実にありえないとその当時の人が感じる出来事なら全部怪異だと思います。 だから怪談。怪異が起こったと体験者や聞いた人が思ったことなら怪談です。 それを踏まえて、UFO怪談を集めている、または発信している人は一人しかいない、というような発表がありまして、いやいや、まだまだ多くいますよ、とつっこみたかったのですが、とりあえず私は発表者じゃないので黙ってました。(聞いてるだけでも楽しいので) 宇宙人怪談も、昨日録画しといた『宇宙人カラオケ大会』観てて吉田会長が喋ってた竈猫さんの、例の「ぴぽっ!」っていう宇宙人怪談を聞いて、そうそう、zoom聞いてるときこれ思い出したわ、と思ったものです。あれほんといい怪談です。 と、まあこれだけ発信者が増えている現状ではすべて追えないだろうし、知名度低くても仕方ないだろうなあ、と思わないでもありません。(神沼さんはUFO怪談集めるのに苦労しているのだろうか?) で、発表者のお一人が、「UFOは呼べば来る。呼べば来るくらいなんだから宇宙からは来てない」というようなことを言っておられ、これは素晴らしいと思いました。 個人的には地球空洞説に子供の頃から魅入られておりますので、超地球人説なども大変好みなのですが、物理的に空を飛んでなんらかの乗り物が来ているとは思っていません。なのでUFO(空を飛んでいるなんらかのもの)が心(人間)でしか観られない何かなのだとしたら、そりゃ呼べば来るよな、としか思えないのも納得がいきます。(チャネラーが宇宙人を呼んでいるのだから来るわよ、てなもんだ) そして唯一私が体験したUFOも、実際に自分の上空から見られている、という視線を感じて空を見上げたものであったから、これは確かにわざわざ宇宙から来てピンポイント

【感想】精神科医の悪魔祓い: デーモンと闘いつづけた医学者の手記

 というわけでやっと全部(たぶん)読みました。 感想としてはまあそうなるな、としか。 他人の体験談や経験値をすべて見聞きすることは無理なので、私の場合は自分の体験と他人から聞いた話、読んだ本、見た動画などから推察することしかできませんが、この立ち位置まで来るのはとても長い時間と多くの経験を必要とするでしょう。 その結果としてこの立ち位置になることは、すべての人に可能とはとても言えません。 まず、無理。だからこその個人差が生じてさらに己の立ち位置がわからなくなるでしょう。 そこを踏ん張って立っているあたりが想像できる手記だなと感じました。 私もほとんど立ち位置が同じなので、私に相談に来られた人はほんとに自分の思った通りの答えを言われなくて失望しただろうなとも想像できます。 そしてこの本を読んでも多くの人はそこが理解できないだろうなと思うと、私のとしてはとても悲しいと感じました。 けどまあ社会などそうした構造でできているともいえるので、今更それにどうこうするような若造でもないので、そりゃそうなるな、とも言えるかな。 まあ、なんだ、相談者が自分の欲しい答えを得られた場合、それはビジネスでしかない、ということなのだった。とはいえ著者さんも他に本業がちゃんとあって生活が成り立っているからこその無料相談なんだろうし、研究者としての好奇心の方が先にないとここまでのことはできないでしょう。素直に感動する。 似たようなオタク気質を持っている私としては、すべてに同意するしかないような書籍でした。

エンタメとオカルトは相互に関係がある

現実が先にあってオカルトが追随してる、でもいいんだけど、ちょっとメモとして残しておく。まあエンタメや物語がオカルトに取り込まれるとか、その逆でオカルトを取り込んで物語を作っていく、の両方があって現在のオカルトになってる、ってことなんだけど。 それについて、以前、古代ギリシャの研究家である藤村シシンさんが何かの配信で言ってたことを思い出すのよ。 なんであんなにゼウスはあっちこっちに子供つくってんの?という疑問に対して 古代ギリシア人A「あ、このゼウスってかっこよくね?」  古代ギリシア人B「あ~、このゼウスがうちらの先祖だったらなあ」 古代ギリシア人C「そうだ、創作しちゃおうぜ」 というような流れで神話を創作していった。だからゼウスはあっちこっちに子供がいる。 そら妻も嫉妬深くなるわい、て思いますよね~。 つまりはそういうことだ。オカルトってのは特に何か人生に徳になるようなことはないだろう。けど、あれば楽しい。その楽しい要素の細かい設定を色々付け足した、神話を創作したような人が後世にたくさん現れる。同人業界ならおなじみの二次創作、三次創作だ。 それを記録しておけば、そりゃどんどん子孫も増えるよね、ってゆ~。 なんか上手いことまとめられなかった気はするけど、そうやって個人が好きなとこくっつけて作ってる壮大な物語なんですよ、オカルトって。んでそれを承知でお楽しみを作ればエンターテイメントになるわけで、漫画っぽいだのラノベっぽいだの、そりゃそうなるな、って話。 まー、この頃の陰謀論はこれが悪い方悪い方へ流れている気がしないでもなく、オウム事件を思い出して警戒感が強まるんですわなあ。ちなみにオウムの言ってることなんか当時もすでに「あっ(察し」状態だったから、鼻で笑いつつ、興味持った同僚を抑えた実績がありますのでね、わたくし。 ネット始めたばかりの中高年の人達はほんとマジで正気に戻ってくださいよ。 ついでに書いておくと怪談業界で同じような事件があったとき、某匿名掲示板だったかmixiのコミュだったかでわしのことを心配してくださってた某団体の方々、あの時は爆笑させていただきまして本当に感謝しております。

宜保愛子がビビッて入れなかった心霊スポット

 twitterやツイキャスでも言及しましたが、ブログにもまとめておくことにしました。 元の投稿は吉田会長の このツイート になります。 これに引用RTした 私のツイート 。 そして結果として検索に引っかかってきたのは このサイト でした。 上記リンクを見ていただければ経緯と、結果としての情報がみられます。 最終的に私の結論は ツイキャス でも配信しました。 宜保さんの心霊スポット訪問記録も兼ねてる感じで、とてもまとまった素晴らしいページだと思います。 そこに書かれている文言を読んで、思い出したことがあったんですね。 最初は私も、単なる心霊スポットの箔づけのために使われている都市伝説だと思っていました。 ところが、冝保さんのテレビ番組を思い出すにつれ、ああ、そういえばいつも「やだ怖いわ」とか「いや~私ここは無理だわ」とか、何かにつけそうした発言が多かったなあ、と。 それで、これは宜保さんの芸風なんだな、と納得したというわけです。 個人的な感想ですが、あの時代の霊能者がテレビに出てくると、だいたいそんな感じでしたよね。 現地に到着する前にロケバスの中で「なんか気分悪くなってきちゃった」とか「あ~、だめだわ頭が痛い」とか言い始め、いざ現地に到着すると「あっ、ここはだめだわ」となる。 その後、実際に中へ入れば「やだ!今何かに触られた!」とか。 なんとなく、テンプレ化した霊能者の対応ですよね。 当時のだいたいの霊能者はこんな感じでした。 テレビ的な演出なのかもしれないし、そういう台本があったのかもしれませんし、ご本人が意識するにしろしないにしろそういうウリ(芸風)としての表現を身に着けている場合もあるのかもしれません。 多少なりとも霊能者の現場を知っている私からすれば芸風だという感想を持つのもいたしかたない気もします。 まあ夢最優先の方は箔を信じて心霊スポットへおでかけになるのもいいのかもしれませんけど、私はおすすめしません。 現実的な問題として、ね。 それはともかく、なんか昔はロマンがありましたね。今思えば。

スピリチュアル・ビジネスの被害と宗教者的立場

カンニング竹山の土曜The NIGHT#167~エセスピチュアルにご用心~   この番組を観ての感想。 最後の方で、SNS信者ビジネスをやっている人の意見を募集している。 興味を持たれた方はメールを送ってみてはどうだろうか? 私は25年前くらいにやっていたのだが、実際に自分の立場としては、後半で弁護士さんが言っている宗教者的立場の位置にいた(自覚している感覚として)ので、信者ビジネスには関与していない、かもしれない。 はっきり関与していないとは言える自信がない。 第三者を介して客を勧誘していたからだ。 しかもその第三者からは、信者ビジネスたる顧客へのサービスがなっとらん!と、割とマジな感じで毎回詰られていた。 お客様からもクレームが入っている、と。 という部分でいえば、信者ビジネスをやっていたといえるかもしれない。 こういうサービス業は双方の納得が得られたうえで金銭のやりとりをしていれば、契約として成り立つはずなので(おぼろげな商法の記憶)客側からクレームが入ってなければいいんだろうけど、実際にはそうじゃなかったわけだね。 だけど、どうなんだろうか。 当時は占いと霊能が一緒くたにされていた頃だった。 私はチャネラーを始める以前は修験道の霊能者のところで御座という霊媒をしていたわけで、ビジネスとしてやっていたわけではない。 日本の民間宗教を守っている宗教者的立場だったといえるのではないだろうか。 宗教者的立場の定義がいまいちわからんけど、番組の後半の弁護士さんの文脈から読みとると、それは高額を請求したり、ぁゃιぃ開運物品を高額で売りつけたりはしてない、どっちかというと精神的、補助的アドバイスをする人、という立場なのだと解釈する。(違ってたらご指摘願いたい) いわゆるトンデモ業界でいう「ほんもの」ってやつだな。(何をもってこの「ほんもの」を定義するのかいまいちわからんけど、宗教者として、というのならまあわからんでもないので個人的にはそこに位置付けておきたい) こうやって書いてみると、良心的詐欺師と悪徳詐欺師の違い、くらいしかないような気がしてきた。 まあいいや。 そんなわけなのでチャネラーを始めた当初、サービス精神が足りないと散々文句言われたんだよな。 そりゃそうだよ、別に伝統芸能でもなければエンターテイメントでもない霊能しかしらなかったんだもん。 最初からビジネスです