【読書感想文】白装束集団を率いた女 千乃裕子の生涯

 

個人の感想です

一番最初にこう書いておいても誤読する人はいる。

なのでこの記事を読んでどのような感想を持っても自由ではある。だがそれを私に押し付けるな。

ざっくりとした経緯

私が千乃正法会を知ったのは1998年とかだったかもしれない。正確には覚えていないけど某公営団地のポルターガイスト騒動があるよりは前だったから、まあだいたいそんなもん。

それまではGLAは「H井K正がゴーストライターをやっていた」という情報しか知らなかった。


私は10代の終わりごろからとある霊能者の元に通っていた。親がその霊能者のところに通っていたのでついでについていっていた程度なのだが、その親が通うようになった理由が私の虚弱体質ゆえであった。なので、まあ半強制というか、自分も好奇心があったし、虚弱体質が治るのなら通いたいという気持ちがあった。

そこでたまたま何かの霊が降りるようになり、歌ったり喋ったり身体が勝手に動くという常態になり、霊能者や周りからもてはやされるようになった。

そんな経緯もあり、20代になったころ知り合った人と、そうしたオカルトめいたことを話すようになった。その人がたまたまニューエイジ運動に詳しい人だったため、瞑想法などの話を聞くようになった。その人はその後瞑想法の先生になった。

その人経由で、バシャールという宇宙人とチャネリングをしている人物が来日するということも知る。バシャールの講演会にも行った。

1970年代の子供だったし『UFOと宇宙』や『ムー』を読んでいたこともあって、UFOコンタクティというものになりたい、というような気持ちも持っていた。それが瞑想で叶うかもしれない、というチャネリング。私は宇宙人とコンタクトがとれるのならと、瞑想法を習うことにした。

ところが瞑想を始めたとたん現れたのは宇宙人ではなく天使だった。


一番初めにその天使の幻覚を見たのは1994年5月だったと記憶している。それより前に瞑想法のお試し会があってそれに参加していた。その後日、用があって実家に帰る途中のバスの中で、バスの斜め前方を虹色に輝く巨大な天使が飛んでいたのである。

当初「遂にお迎えが来た」と思った。その当時は腹痛で倒れるのが常態となっていたためである。

それでどうしたものか悩んだのだが、残念ながら私の周りにはオカルト肯定派しか存在せず、誰に相談しても「そのまま天使とコンタクトするべきである」としか言われないのである。半年くらいは悩んだと思うし、何せいわゆる瞑想したあとの幸福感というか、例のヤバイ脳内麻薬(絶対的幸福感のやつ)に侵されて「これがマジのヤバい感覚だ」と拒否し続けていた。

結局周りの勧めに負けてチャネラーになることを決意。その後いろいろな伝手を辿って大阪で初のチャネリング講演会を開くことになった。

その時50人程の人数が集まったのと、大きな撮影カメラが入っていたのが恐ろしくてたまらなかった。

当初から「チャネラーをやるのは3年だけ」と決めていたので、今はそれを行っていない。このあたりの経緯などはこのブログの過去記事にもあるので興味のある方はラベルを辿ってください。


というわけで本の感想

と、まあ、このような経緯があるため、千乃正法会については以前から興味があったが、それほど強く思うこともなかった。何故なら千乃正法会について教えてくれたのはYさんという人であったからだ。

このYさん、私が初めてチャネリングを公開で行ったときに参加していた、と聞いた覚えがある。Yさんはその後も何度も私のチャネリング会に参加していて、個人的にもチャネリングを行ったと思う。

私は3年でチャネラーを辞めるつもりであったので、1996年で完全に辞めますと宣言をした。だがその後もYさんは辛抱強く私にチャネリングを行って欲しいと説得してきた。

私も若い頃はまだ多少情けのある性格だったので、1年も口説かれ続ければそれは申し訳ない気がして、不承不承チャネリングを行うことにしたのである。

だがその頃にはすでに天使はまったく答えてくれなくなっていて、というか存在自体何処かに消え去っていて、それについてもブログに書いてあるので興味があったら読んでください。あと電子書籍にしてダウンロード販売しています。ブログの「しまゆー文庫」というタブにあるBOOTHをみてねw

とにかく幻覚も幻聴もすべてなくなっていたので「天使を呼ぶことはできません」と断り続けていた。それでも構わないということだったので霊能者としてYさんの会に参加したのだ。それが私が決定的にYさんとは決別する気持ちをもたらした。

詳細は今となってはどうでもいいのだが、ともかくYさんが許せないというよりも、霊能者やチャネラーを頼ってくる人々すべてが嫌いになった。

なので千乃正法会もどうでもいいものになった。


とはいえオカルト好きはどうやっても直らないので、怪談をやっている今となってはよいネタにさせてもらっている。


Yさんの会が終わったあと、私はYさんから千乃正法の話を聞いた。そしてその時「16歳の高校生が天使とチャネリングをしている」というテープを聞かされた。

その音声は私がチャネリングをしているときの声、喋り方、内容にそっくりだった。

当時でもすでに14年くらい前のカセットテープであったのだが、Yさんは大事にしていたのだろう、伸びた感じもなく綺麗な音声が録音されていた。それが千乃正法で販売していたカセットテープだったのだと、本書で知ることができた。

Yさんは1980年代に千乃正法の会員であったのだろう。テープも大事にしていることが感じられた。そしてそのテープを根拠に、私のチャネリングが本物であることを信じている、とYさんは言った。


このこと事態をどうこういうつもりはないし、何を信じようと個人の自由なので文句はない。だがだからといって天使は本物だとはいえないのではないか?

私はそう思ったが、Yさんは千乃正法がどのような流れから生まれたのかの説明もしてくれた。GLA→千乃正法という流れである。

だから私に降りてくる天使も本物だった、というのである。

最初はT橋S二に、次は千乃裕子に、その次はO川R法に、そして私に至る、という流れらしかった。ただその当時、すでに天使はどこかへ消えている。なので、数年ごとに憑代を移動するのが天使である、ということらしかった。


それって悪霊じゃ?


うちはひいじいさんの実家が高野山真言宗で、私はそこのお寺で書道を習っていたのだが、そのお寺の39代目の先生は「悪霊は綺麗な姿で現れる」と常々言っていて、それがどうしても私の心に引っかかっていた。


それが天使の姿の悪霊なんじゃないの? 悪霊だからこそ数年ごとに憑代をとりかえ、その場その場で狂気の集団を作り上げては捨てていく。


私はそう考えたので怪談としてこの話を時々する。だがYさんにはそれこそが真実本物の証であると思えたようだ。

そして本書の中では「1994年の7月にガブリエルから消滅宣言が出され」たと書かれている。私が初めて天使を見たのは1994年5月のことで、その天使はガブリエルであると名乗っている。

この偶然の一致があったからこそ、Yさんは私が本物だと思い込んだんだろう。本書を読んで千乃正法のことを知ると、Yさんがそう思い込んだのも無理はないと感じた。

そりゃ元から悪い方へ信じる人なんかいないとは思うけど、そして正法会で色々事件が起きてどうなるのかわからない不安定な時期に私が偶然現れて、そんなことが重なればそりゃ信じるのもわかる。


…となった。

まあ、気持ちはわかる。だがそんな信仰の受け皿に私を置かれても、こっちはそういう信者に嫌気がさしてやめたんだから。


というような、今だからこそYさんも気の毒に思う程度には私にも知識がついた。

そんなさなかにO川R法の死去。ニュースもタイミングが良すぎる。

こういう偶然がタイミングよく重なるから、陰謀論者も生まれるってもんですよ。ええ、もうほんと、世紀末じゃないんだからさあ、もお。


というような感じで、読んでる途中あちこちで色々書きましたが、まとめるとだいたい上記のようなことです。あと大阪でチャネリングの会を開くと大勢が集まる理由もわかった。千乃正法の本拠地が大阪だったからですな。

面白いから今後もこの件については怪談として話します。

最後に、この本を書いてくださってありがとうございました。私には色々と感じ入ることが多い本でした。知識と理解も深まったと思います。たぶん。


追記1)

霊能者のところで霊媒をしているとき、ずっと「本を読むな」と言われていた。この本を読んでほんとうに霊媒は本を読んだらあかんのやな、って実感した。特に後半。霊媒、チャネラーを辞めて本当に良かったと思う。


追記2)

某氏がまた映画製作に戻って来ないかな、みたいなツイートをちらっと見たけど、エンタメで成功するより教祖やったほうが何倍も快感が強いんだよ。だから某氏は教祖になるんじゃないかなと予想する。返り咲きか乗っ取りか分派かはわからんけど。

それに漫画家が教祖になった例っていくつかあるでしょ? そういうことよ。


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