残念ながら誰が書いたのか外からわからない日記では意味が無いのである
艦これも霧島とケッコンカッコカリしてひと通りのことはすませたので、まあそろそろやめてもいいかもしれない時期かもな、なんて思いつつ、じゃあやめたら何すんのよ? みたいな手持ちぶさたもありまして、ね。
だからどうしようかなあ? って考えたときにふと、そういや最近はtwitterでばっかり書いてるから、長文が書けなくなってんじゃないの? なんて思いましてね、ええ。
ここはひとまず己のケツをたたく感じで、こう、ほら、なんてーの? 老いらくの恋。
いや違うなたらちねの母。…いや、なにひとつ合ってない。
何が書きたいのかわからんくなってきた。
まあいいや。
ともかくそんなわけでして、久々にブログを書くことにしました。
つーかね、ほんとはねmixiの日記がネット全体に公開になるってんで試してみたかったんで、あっちに書いたんだけどね、じゃあ、ってんでmixiにアカウント持ってない人がどんなふうに見えるのか試したわけですよ。
そしたら検索に引っかかるのは文章中のどれか、であることと、アカウント持ってない人から見ると誰が書いた文章だかわかんないんですな、これが。
そんなん、自己顕示欲のためにブログ書いているような私がですよ、誰が書いたのかわからないような文章で満足なんかできるわけがないじゃないですか。
てなわけなので、結局ブログで書くのが一番いい、ということを再確認しただけの行為に終わったのでありました。
ああ残念。そんな閉じられた空間でもそもそしてても意味がないわ。
そもそもmixiなんてオワコンじゃないの? というむきもございましょう。
でもあの会社モンストで儲かってんじゃない? 粉にまみれていなければ。
というわけなので、ほぼmixiの日記と同じ内容ですが、ところどころ編集しております以下の文章を、お手すきの方からどうぞ。
てなわけで、思えばmixiも始めて11年くらいになるんじゃないかな?
当初は色々とアレだったね。
そもそもネットを始めたのって1994年くらいだったと思う。
そう考えると早20年か。そらネット老害にもなろうってもんだよ。
当初はワープロ専用機しか持ってなかったんで、ネットに繋ぐのはネットカフェに行かないと無理だったね。
あの頃は高額だったよねえ。1時間1,000円くらいしたよねえ。Macしかなかったし。
それがいつの間にかWinになって、今じゃタブレット端末ですよ。
時の流れは恐ろしいですな。
こないだオカルトかるた大会やったときに大学生の子と話しててさ、そうさ私達はアナログからデジタルに移行するのを体験した最後の世代なんだよっていう話でさ、このまま私達の世代が死んでしまったらその移行期にあった技術はロストテクノロジーになるんだよ、ってさ。
本当にSFの世界に生きているなあ、などといつもの感慨。
ほんでもってまあオカルトかるた大会の前はUFOナイトなんてトークライブもやったりしたもんで、そのとき初めての方々に自己紹介がてら昔の話を色々としましてね、ええ。
そんなもんで思い出したことがあったりして、その「オカルトと私」みたいな感じで、そういった個人的オカルト感を書いていこうかなって思ったりしたんですよ。
だからまあ一応、そういうつもりで心機一転? して、とりあえず出直ししょっぱなってことで、オカルト自己紹介でもしとこうかなと思います。
いやー、なんか長文をダラダラと書くって楽しいな。
私が生まれ育った家は昔の農家な作りで、庭の端にお便所があったりお風呂があったりと、今の形状の一戸建てしか知らない人達には想像がつかないと思う。
そんな中で祖母は何を拝んでいるのかわからないけど、仏壇の中にたった一つだけ観音様の像を入れて毎日手を合わせていた。分家だったのでご先祖様の位牌とかなかった。
当然ながら私にも手を合わせるようにしつけられるわけで、神仏を祀ることに抵抗はない。
だけどその家では信仰心とは別に、なぜだかオカルト心も育ったと思う。
家にある井戸にいわくがあるだとか、私も何かしらしょっちゅう目撃していた。
(詳しくはこちらを読んでいただくと、ほぼ実話として書いていますのでおもしろいかと思います)
けどまあ今、大人になって思うと、祖父母と両親、父と母、というような対立構造があって、子供ながらに怯え暮らしていた部分があったんだろう。
そんな不安定な家庭で幻覚を見ていたといえるのかもしれない。
そんな子供だったので、母親にはしょっちゅう色んなモノが見えると言っていたらしい。
母親は夜、電気を消すのが怖かったと言っていたw。
仲が悪かった祖父母と両親のおかげで私達家族はその家から追い出される。
だけど新しく住み始めた家にもいわくがあったようで、母親がどこかの霊能者から聞いて猿田彦参りを始める。
これについてはまだ詳しく調べたことはないんだけど、土地の守り神としての信仰があるらしく、そこの砂をもらってきて庭にまいていたんだよ。
そんでもってまた私がほら思春期のアレだった上に、身体が弱くてちっとも動けないもんだから、このあたりから母親が霊能者詣でにはまったんだわな。
ほんと大人になった今ならわからんでもないが、他に頼るもんあるじゃろ、っていう気もする。
そんなわけで母親の霊能者詣でに私もつき合わされることになる。
すごく色んなとこ回った。
普通の公民館でやってる普通のおばあさんとか、家を神社みたいに改造してるおもかるさん(質問をして石を持ち上げられるかどうか訊くやつ)とか、都会のマンションの一室でやってる今でいうならスピリチュアルな東南アジアかぶれの人とか。
あげたらキリがないんだけど、普通の神社やお寺もあった。
その中で最終的に母親が辿り着いた人が、修験道系の霊能者だった。
普通の家の普通のおばあさんだけど。
私は当時は漫画家になるのが目標だったので、持ち込みやらコミケやらで忙しく、せっかくの休みの日に、母親に霊能者んとこに連れて行かれるのがいやだったから、せいぜい行ってもツキイチくらいだったのに、母親ははまってるから毎週行ってたり、場合によっては毎日行ってたりしてたんだよね。
そのうち父親もはまりだして、結局二人で通ってた。
他に娯楽もない人達だから、それくらいはいいかって思うけど、今、考えるとすごい金額使ってたよな。
ほんとそれ、うちが貧乏なのってそのせいもあると思う。
手を合わせてたら自動的に商売が繁盛するって思ってたような親だったから。
んでとにかくまあ私はめったに行かない状況だったんだけど、その霊能者んとこ行くと何故か自動的に神がかり状態になるようになって(多分思春期だったから)、それが周りに褒められるようになって、そんでまあ自動的に霊媒をやるようになっちゃったんだな。 流れ的に自然に。
だってさあ考えてもみ? その場に否定する人だれもおらんのよ? そら世間知らずの若者だもん、いい気にもなるってもんじゃん?
だけどほら、私には別の目標があるからさ、とりあえず霊媒はテキトーにやってて、一生懸命漫画書いてたんだよ。
そんな日々が続き、とある雑誌で小さな賞をいただき、これは頑張らねば! つって一念発起してたところに、突然、漫画絵が見れなくなるという謎の症状。
はじめは即売会でのめまいから、で、気づけば書店にも図書館にもCD屋にも行けなくなって、最終的に新聞も読めなくなった。
なんだかわかんないけど、絵が見られなくなってからは、何かが大量にある場所で目的のものが探せなくなったんだよな。 だから書店も図書館もCD屋も行けないわけ。
今みたいに検索できる状態じゃないからね。
図書館には索引あったけども、あれも自分の目で探さないとあかんでしょ?
文字入力だけで検索できる今って、ほんまSFでありがたいわ。
そんな感じなのでもう漫画を書くこともできず、失意の私は次にはしょーがないんで家業をやろうかと思ったんですわ。菓子屋。かっこよくいうとパティシエか。
ところがこの頃、国道で大事故に巻き込まれ、ムチ打ちで1年間治療。
翌年から菓子屋修行を始めるも、手に麻痺が残ってよく鍋落としてた。
菓子屋修行も3年目を迎えようとしていたところに、友人からのお誘いがやってくる。
「瞑想をしてはどうか?」
その友人は瞑想の学習ビジネスを始めてたんだな。
元々ニューエイジ(今でいうスピリチュアル)な話をしていたから、その人がそんなビジネスを始めていたとしても不思議じゃないから、気軽にお試ししたりして、いつの間にか気づけばチャネラーになってたわ。
UFOナイトでも話したけど、私、できれば宇宙人とコンタクトしたかったのに、なんでか望みもしてない大天使がチャネってきたんだわ。 ほんとどうかしてるわ。
ほんでまあこの頃はまだまだ純粋な心があったんで、人のためになるならと、3年間の期間限定でチャネラーをやることに決めた。
そしたらまあものすごい勢いで拡散したね。
今みたいにネットがあればあのくらいの勢いも理解できるけど、そんなもんがない時代の口コミの拡散力すごまじかったね。 時流に乗るってのはああいうのをいうんだな。
それできっかり3年じゃなくて、正確には3年半くらい大天使はいた。
これも幻覚なのかと言われればそれまでだけど、この間まったく私の知らないことをなんでも知ってたからそれは一体なんなのか? という疑問は残るものの、ともかく今は気のせいだったって思ってるから、今から大天使を呼んでくれとか言われてもできませんのでそこんとこはよろしく。
でもねえ、不思議っつーかなんつーかよくわからんのだけど、大天使、ほんとに突然やってきていきなり突然いなくなったからね。脳の病気だったにしても仕組みがまったくわからん。そういうもんなのかね。
とにかく突然いなくなったもんはどうしようもないので、チャネラーはやめるにしても霊媒はできるんで、それなら続けられるよ? つって当時のお客さんには言ったんだけどさ、当然ニューエイジのやつらは修験道の霊媒なんかいらんのよ。
なにしろお綺麗な大天使さまがいなくなったら私には用はないわけね。
自分たちの欲しい答えを出さない霊媒はいらんのよ。
なもんだから純粋な私はこのとき死んだね。文字通り死んだ。
でもここからはあれよ、瞳からハイライトが消えてからが本番ですからね。
馬鹿信者はこっちから切り捨ててやりましたとも、ええ。
てなわけなので、ひと通りのことは経験済みで、スピリチュアル業界の裏側もたっぷり見学してきて、しかもそれから目が濁ったまますげえ勉強しまくったから、今の私は無敵ですよ。
質問とかありましたらどうぞ。
次回以降お答えしていきますです。
あ、ところで、チャネラーやったからUFOも勉強してるんだよ。
だってチャネラーって基本的に宇宙人でしょ? まあUFOと宇宙人は別モンだけど、コンタクティ入れたらだいたいおんなじようなもんだから。
だからどうしようかなあ? って考えたときにふと、そういや最近はtwitterでばっかり書いてるから、長文が書けなくなってんじゃないの? なんて思いましてね、ええ。
ここはひとまず己のケツをたたく感じで、こう、ほら、なんてーの? 老いらくの恋。
いや違うなたらちねの母。…いや、なにひとつ合ってない。
何が書きたいのかわからんくなってきた。
まあいいや。
ともかくそんなわけでして、久々にブログを書くことにしました。
つーかね、ほんとはねmixiの日記がネット全体に公開になるってんで試してみたかったんで、あっちに書いたんだけどね、じゃあ、ってんでmixiにアカウント持ってない人がどんなふうに見えるのか試したわけですよ。
そしたら検索に引っかかるのは文章中のどれか、であることと、アカウント持ってない人から見ると誰が書いた文章だかわかんないんですな、これが。
そんなん、自己顕示欲のためにブログ書いているような私がですよ、誰が書いたのかわからないような文章で満足なんかできるわけがないじゃないですか。
てなわけなので、結局ブログで書くのが一番いい、ということを再確認しただけの行為に終わったのでありました。
ああ残念。そんな閉じられた空間でもそもそしてても意味がないわ。
そもそもmixiなんてオワコンじゃないの? というむきもございましょう。
でもあの会社モンストで儲かってんじゃない? 粉にまみれていなければ。
というわけなので、ほぼmixiの日記と同じ内容ですが、ところどころ編集しております以下の文章を、お手すきの方からどうぞ。
ふと、たまには日記を書いてみようかなって思ったら
てなわけで、思えばmixiも始めて11年くらいになるんじゃないかな?
当初は色々とアレだったね。
そもそもネットを始めたのって1994年くらいだったと思う。
そう考えると早20年か。そらネット老害にもなろうってもんだよ。
当初はワープロ専用機しか持ってなかったんで、ネットに繋ぐのはネットカフェに行かないと無理だったね。
あの頃は高額だったよねえ。1時間1,000円くらいしたよねえ。Macしかなかったし。
それがいつの間にかWinになって、今じゃタブレット端末ですよ。
時の流れは恐ろしいですな。
こないだオカルトかるた大会やったときに大学生の子と話しててさ、そうさ私達はアナログからデジタルに移行するのを体験した最後の世代なんだよっていう話でさ、このまま私達の世代が死んでしまったらその移行期にあった技術はロストテクノロジーになるんだよ、ってさ。
本当にSFの世界に生きているなあ、などといつもの感慨。
ほんでもってまあオカルトかるた大会の前はUFOナイトなんてトークライブもやったりしたもんで、そのとき初めての方々に自己紹介がてら昔の話を色々としましてね、ええ。
そんなもんで思い出したことがあったりして、その「オカルトと私」みたいな感じで、そういった個人的オカルト感を書いていこうかなって思ったりしたんですよ。
だからまあ一応、そういうつもりで心機一転? して、とりあえず出直ししょっぱなってことで、オカルト自己紹介でもしとこうかなと思います。
いやー、なんか長文をダラダラと書くって楽しいな。
あらためまして自己紹介
私が生まれ育った家は昔の農家な作りで、庭の端にお便所があったりお風呂があったりと、今の形状の一戸建てしか知らない人達には想像がつかないと思う。
そんな中で祖母は何を拝んでいるのかわからないけど、仏壇の中にたった一つだけ観音様の像を入れて毎日手を合わせていた。分家だったのでご先祖様の位牌とかなかった。
当然ながら私にも手を合わせるようにしつけられるわけで、神仏を祀ることに抵抗はない。
だけどその家では信仰心とは別に、なぜだかオカルト心も育ったと思う。
家にある井戸にいわくがあるだとか、私も何かしらしょっちゅう目撃していた。
(詳しくはこちらを読んでいただくと、ほぼ実話として書いていますのでおもしろいかと思います)
けどまあ今、大人になって思うと、祖父母と両親、父と母、というような対立構造があって、子供ながらに怯え暮らしていた部分があったんだろう。
そんな不安定な家庭で幻覚を見ていたといえるのかもしれない。
そんな子供だったので、母親にはしょっちゅう色んなモノが見えると言っていたらしい。
母親は夜、電気を消すのが怖かったと言っていたw。
仲が悪かった祖父母と両親のおかげで私達家族はその家から追い出される。
だけど新しく住み始めた家にもいわくがあったようで、母親がどこかの霊能者から聞いて猿田彦参りを始める。
これについてはまだ詳しく調べたことはないんだけど、土地の守り神としての信仰があるらしく、そこの砂をもらってきて庭にまいていたんだよ。
そんでもってまた私がほら思春期のアレだった上に、身体が弱くてちっとも動けないもんだから、このあたりから母親が霊能者詣でにはまったんだわな。
ほんと大人になった今ならわからんでもないが、他に頼るもんあるじゃろ、っていう気もする。
そんなわけで母親の霊能者詣でに私もつき合わされることになる。
すごく色んなとこ回った。
普通の公民館でやってる普通のおばあさんとか、家を神社みたいに改造してるおもかるさん(質問をして石を持ち上げられるかどうか訊くやつ)とか、都会のマンションの一室でやってる今でいうならスピリチュアルな東南アジアかぶれの人とか。
あげたらキリがないんだけど、普通の神社やお寺もあった。
その中で最終的に母親が辿り着いた人が、修験道系の霊能者だった。
普通の家の普通のおばあさんだけど。
私は当時は漫画家になるのが目標だったので、持ち込みやらコミケやらで忙しく、せっかくの休みの日に、母親に霊能者んとこに連れて行かれるのがいやだったから、せいぜい行ってもツキイチくらいだったのに、母親ははまってるから毎週行ってたり、場合によっては毎日行ってたりしてたんだよね。
そのうち父親もはまりだして、結局二人で通ってた。
他に娯楽もない人達だから、それくらいはいいかって思うけど、今、考えるとすごい金額使ってたよな。
ほんとそれ、うちが貧乏なのってそのせいもあると思う。
手を合わせてたら自動的に商売が繁盛するって思ってたような親だったから。
んでとにかくまあ私はめったに行かない状況だったんだけど、その霊能者んとこ行くと何故か自動的に神がかり状態になるようになって(多分思春期だったから)、それが周りに褒められるようになって、そんでまあ自動的に霊媒をやるようになっちゃったんだな。 流れ的に自然に。
だってさあ考えてもみ? その場に否定する人だれもおらんのよ? そら世間知らずの若者だもん、いい気にもなるってもんじゃん?
だけどほら、私には別の目標があるからさ、とりあえず霊媒はテキトーにやってて、一生懸命漫画書いてたんだよ。
そんな日々が続き、とある雑誌で小さな賞をいただき、これは頑張らねば! つって一念発起してたところに、突然、漫画絵が見れなくなるという謎の症状。
はじめは即売会でのめまいから、で、気づけば書店にも図書館にもCD屋にも行けなくなって、最終的に新聞も読めなくなった。
なんだかわかんないけど、絵が見られなくなってからは、何かが大量にある場所で目的のものが探せなくなったんだよな。 だから書店も図書館もCD屋も行けないわけ。
今みたいに検索できる状態じゃないからね。
図書館には索引あったけども、あれも自分の目で探さないとあかんでしょ?
文字入力だけで検索できる今って、ほんまSFでありがたいわ。
そんな感じなのでもう漫画を書くこともできず、失意の私は次にはしょーがないんで家業をやろうかと思ったんですわ。菓子屋。かっこよくいうとパティシエか。
ところがこの頃、国道で大事故に巻き込まれ、ムチ打ちで1年間治療。
翌年から菓子屋修行を始めるも、手に麻痺が残ってよく鍋落としてた。
菓子屋修行も3年目を迎えようとしていたところに、友人からのお誘いがやってくる。
「瞑想をしてはどうか?」
その友人は瞑想の学習ビジネスを始めてたんだな。
元々ニューエイジ(今でいうスピリチュアル)な話をしていたから、その人がそんなビジネスを始めていたとしても不思議じゃないから、気軽にお試ししたりして、いつの間にか気づけばチャネラーになってたわ。
UFOナイトでも話したけど、私、できれば宇宙人とコンタクトしたかったのに、なんでか望みもしてない大天使がチャネってきたんだわ。 ほんとどうかしてるわ。
ほんでまあこの頃はまだまだ純粋な心があったんで、人のためになるならと、3年間の期間限定でチャネラーをやることに決めた。
そしたらまあものすごい勢いで拡散したね。
今みたいにネットがあればあのくらいの勢いも理解できるけど、そんなもんがない時代の口コミの拡散力すごまじかったね。 時流に乗るってのはああいうのをいうんだな。
それできっかり3年じゃなくて、正確には3年半くらい大天使はいた。
これも幻覚なのかと言われればそれまでだけど、この間まったく私の知らないことをなんでも知ってたからそれは一体なんなのか? という疑問は残るものの、ともかく今は気のせいだったって思ってるから、今から大天使を呼んでくれとか言われてもできませんのでそこんとこはよろしく。
でもねえ、不思議っつーかなんつーかよくわからんのだけど、大天使、ほんとに突然やってきていきなり突然いなくなったからね。脳の病気だったにしても仕組みがまったくわからん。そういうもんなのかね。
とにかく突然いなくなったもんはどうしようもないので、チャネラーはやめるにしても霊媒はできるんで、それなら続けられるよ? つって当時のお客さんには言ったんだけどさ、当然ニューエイジのやつらは修験道の霊媒なんかいらんのよ。
なにしろお綺麗な大天使さまがいなくなったら私には用はないわけね。
自分たちの欲しい答えを出さない霊媒はいらんのよ。
なもんだから純粋な私はこのとき死んだね。文字通り死んだ。
でもここからはあれよ、瞳からハイライトが消えてからが本番ですからね。
馬鹿信者はこっちから切り捨ててやりましたとも、ええ。
てなわけなので、ひと通りのことは経験済みで、スピリチュアル業界の裏側もたっぷり見学してきて、しかもそれから目が濁ったまますげえ勉強しまくったから、今の私は無敵ですよ。
そんなわけなので
質問とかありましたらどうぞ。
次回以降お答えしていきますです。
あ、ところで、チャネラーやったからUFOも勉強してるんだよ。
だってチャネラーって基本的に宇宙人でしょ? まあUFOと宇宙人は別モンだけど、コンタクティ入れたらだいたいおんなじようなもんだから。
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